08
「澪──!久しぶり!!」
「凛ちゃん響子ちゃん──いらっしゃい!」
「澪元気そうじゃん良かった〜」
1人暮らしになって初めて姉の凛ちゃんが泊まりに来た。「遊びに行きたい」と言って来た姉の電話には、「帰国してる響子も連れて行くから!」というおまけ付きで、私もこの日をとても楽しみにしていた。
玄関で立ち話もなんだから、と部屋の中に招き入れる。「結構広いねー」「思ってたより近かったわー」等思い思いの感想が聞かれた。
「響子ちゃん、ソファに座って。身体きつくない?」
「もう安定期入ってるから大丈夫。ありがとう」
事前に、響子ちゃんの近況は凛ちゃんから聞いて把握済みだった。
「てっきりアメリカで産むかと思ったら日本で産むとはね〜」
「夫婦で相談して決めたの。……鳴にも見せたいし?赤ちゃん」
「……あの鳴が叔父さん……」
お茶を用意しながら思わず笑ってしまう。もし会った時「オジサン」と連呼しまくってやろう、と心の中で秘かに企んでいた。
「鳴がメジャー行ったら向こうで会えるじゃない」
凛ちゃんは寝転び足を投げ出して、自分の部屋のようにくつろいでいる。
「FAもまだだし、かなり先の話よ。それは」
「──でも鳴、響子ちゃんが帰ってきて喜んでるでしょ」
私は2人にカップを差し出すと、響子ちゃんは苦笑して私を見た。
「まあそれは分からないけど……澪のことについては聞かれたわ〜。『連絡先教えろ!』って」
「う……迷惑かけてごめんね」
「適当にあしらっておいたから大丈夫。……御幸くんとも連絡とってないんだ?」
“御幸”の名前が出て、私は一斉に視線を浴びる。今度は私が苦笑いする番だった。
「──うん。全く」
「……そっかー」
「──涼も澪のこと気にしてたわよ、『元気かー』って」
「え、今度電話してみるね」
「お父さんもお母さんも言わないだけで、澪の顔見たいだろうからたまには帰っておいで」
「……うん」
凛ちゃんと響子ちゃんの昔と変わらない優しい眼差しに、心の中が温かくなり、ほっとする。
「──今日の晩御飯はリクエストくれてたメニューでいい?」
「うん!やった〜澪のご飯久しぶり!嬉しい〜!!」
相変わらず私が作るご飯に喜んでくれる凛ちゃんを見て、自然と笑みが零れた。
**
『澪!久しぶりだな〜元気か?』
「うん、元気だよ。涼くんごめんね……全然連絡もしないで頼み事ばかりしちゃって」
凛ちゃんと響子ちゃんが1泊して帰った後、私は兄の涼くんに電話をかけた。一也や鳴に居場所を知られたくないからと、涼くんには私の新しい携帯番号や住所を教えていなかった。同じプロ野球選手で接点もある涼くんから情報が漏れることを防ぐためだ。
『いいよ。俺もいつボロが出るか分からないからなー。鳴が勝手に俺の携帯触ってたこともあったし』
「え、そうなの?」
『おう。だからこのままの方が俺もいいわ』
「……ありがとう」
兄の気遣いに礼を言う。その後お互いの近況を伝え合って談笑していると、涼くんが「そうだ」と急に話を変えた。
『澪、御幸な。正捕手確定だぞ』
「……え」
『球団スタッフの情報だけど……1軍での試合連続出場も長くなってるし、決まりだろうって。4年目で前任の怪我も無しに実力で正捕手になるって有望すぎるよアイツ』
「……」
私は言葉が出ず押し黙った。
徐々に押し寄せる興奮と、嬉しさ。
直接本人に伝えたいとこだけれど、到底無理な話だ。自分でも分かってる。
『今度対戦する時に本人に聞いてみるわ』
一也と同じリーグでプレーしている涼くんの思いがけない一言に、咄嗟に言葉がついて出た。
「涼くん!一也のチームとの試合、直近でいつ!?」
『え!?ちょっと待ってな……えっと、2週間後だ』
「ホーム?ビジター?デーゲーム!?」
『ちょ、澪落ち着け!その日は──』
涼くんから一也とのチームの試合日程を聞いて、私は興奮冷めやらぬ勢いのまま涼くんに声を上げた。
「涼くん!ちょっとお願いが──」
**********
「──御幸!!」
今日試合が行われる球場に到着してすぐに呼び止められて振り返ると、対戦相手の涼さんがユニフォーム姿で現れた。
「涼さん!ちわっす」
「おー、御幸ちょっといいか?」
「え?はい」
涼さんに呼ばれた俺は、通路奥の人の出入りが無いところに連れていかれた。
「御幸、正捕手確定の情報はマジか?」
「あ、はい」
「おー、そうか。ひとまずおめでとう。……そうか」
「……?」
1人で頷いた後、涼さんは持っていた袋を俺の前に差し出す。
「──えーっとな、最初に言っておく。これは強制じゃない」
「──は?」
「俺の知り合いにお前のファンがいてな。1軍正捕手になったって聞いて、居ても立っても居られなくなったみたいでな。お前に差し入れを渡して欲しい、って頼まれたんだ」
「え……」
「試合後に良かったら、って弁当を作ってきて──俺も同じものを貰ったから危ないものは入ってない。そこは安心していい」
「手作り……すか」
「中身が見えるから、見てから受け取るか決めてもらっていいぞ。嫌だったら俺が持って帰る。知り合いには適当に言っとくから安心しろ」
いくら涼さんの知り合いとはいえ、手作りの食べ物を受け取るのは気が引ける。でも涼さんの手前、拒否する訳にもいかず、俺は促されるまま袋の中を覗き込んだ。
保冷剤に囲まれた使い捨ての弁当容器には、透明の蓋がされている。蓋の中央には大きめの付箋が貼ってあり、一言添えられていた。
“正捕手おめでとうございます”
付箋の周りに見えるおにぎりやおかずに、俺は目を見開いた。
この字。
この弁当の具材。
明らかに見覚えがあるものに、俺は言葉が出てこなかった。
これを作ったのは──
「……涼さん」
「おう、どーする?」
「勿論頂きます」
「……おう。知り合いも喜ぶわ」
「ありがとう、って伝えて下さい」
「──ああ」
「何なら涼さんの分も俺が持って帰りましょうか」
「ダメ!俺も久しぶりだから!──あ」
口にした後バツが悪そうに頭をかく涼さんに、俺は笑った。
「涼さん、ホントありがとうございます」
「……ファンのためだしな」
「……付箋、ってのが“らしい”ですよね」
「──御幸……」
俺は涼さんに頭を下げると、「失礼します」と言ってロッカールームに向かった。チームメイトに紙袋の中身を追及され、簡単に中身を教えると「御幸ばっかりずりーぞ!」と野次られた。
その日の試合は、俺達のチームが勝利した。
「御幸!この後飯食わねー?」
試合後に先輩から飯に誘われたが、断った。今日はこの後のお楽しみの事しか頭に無い。
自分の部屋に戻り、身の回りの事を一通り済ませた後、テーブルに置いていた弁当の前に座った。
「……いただきます」
少し緊張して蓋を開ける。懐かしい記憶を思い出した後、中身に箸をつけた。ゆっくりと口に運ぶ。
「……はは、うめー」
相変わらずの美味さに、思わず呟いた。
──見守ってくれている。
その後は一口一口噛みしめるように、無我夢中で食べた。
2017.5.23