07
「わりー立木、ちょっと飲み物追加で買ってきてー」
「はーい、アルコールもですか?」
「追加追加〜!立木ちゃんよろしく〜!!」
仕事も休みの日曜日、今日は職場の親睦も兼ねたバーベキュー大会が行われている。参加しているのは職場の全員ではないが、若年者が多いせいか大いに盛り上がっている。食べることに集中している人もいればお酒ばかり飲んでいる人もいて、楽しみ方は様々だ。
新人の私は言わずもがな使い走りを買って出る。同期の人は私以外に2人いるが、大卒の子と資格を取り直して再就職した人なので、私が一番年下だった。別に買い出しは苦じゃないので進んで引き受ける。
お店も会場からすぐ近くにあるので、先輩からお金を受け取ると広い公園の中を歩き出した。4月から慌ただしく過ごしているけれど、新緑に囲まれてそよぐ風を感じていると気分も穏やかになる。
顔を上げれば、連なっている木々が揺れその隙間から光が差し込んでくる。景色を見ながら歩く、なんて仕事が始まってからしたこと無かった。自然と笑みが零れる。
「立木ちゃん!手伝うよ〜」
後ろから声をかけられ振り向けば、2年先輩の笠原さんがこちらに走って来た。いつも明るいムードメーカー的存在の男性だ。
「1人で大丈夫ですよ」
「いやいや、かなりの量と重さになるって!女の子1人じゃー厳しいよ」
「じゃあ先輩じゃなくて同期の子に頼みます」
「──もう俺が来たからいいって!さー行こう!」
「は、はあ……ありがとうございます」
強引に押し切られる形で笠原さんと並んで歩き出す。先輩を付き合わせちゃっていいのかな。笠原さんはお酒を少し飲んでたはずだ。
「あのさー、立木ちゃん。聞きたいことあんだけど」
「はい」
「彼氏いないって聞いたけどホント?」
「え……はい」
「好きな奴はいるって?そいつとは脈あるの?」
「……今は仕事のことで頭一杯で余裕ないので、余計な事考えてられません」
笠原さんの勢いとしつこさに、早々に話を切り上げようと正直な気持ちを言い切ると、笠原さんは一瞬目を丸くしてから更にテンションを上げた。
「え〜!そんな事言ってたら立木ちゃん枯れるよ!?枯れちゃうよ!?」
「枯れ……私にはいいですけど、他の女子には言わない方がいいですよそれ」
「事実だからさ〜、仕事は一通り覚えても年々任されることも勉強しなきゃいけないことも増えていくし……気持ちの余裕や暇なんて自分でどうにかしない限り無理じゃん?」
「まあ……それはそうですけど」
「なんかさー……、長尾さんが『立木は東京に彼氏いんじゃねーの』って言うんだよねー」
私と笠原さんの目が合った。長尾さんは私が配属されている部門の主任で、一番お世話になっている先輩だ。配属後の自己紹介の時に、東京出身だということは伝えてあった。
「立木ちゃんの雰囲気とか見てて、男性スタッフ皆『ありゃ男いそう』って意見で一致してるんだよね〜」
笠原さんの興味津々な表情に私は大いに顔を歪ませた。
「……人のいないところでそういう話しないでくれますか」
「ごめんって〜、それだけ皆立木ちゃんに興味あるんだよー」
私は笠原さんに分かるように大きく息を吐いた。
好きな人がいることは事実だけど──
あんなことした私が『彼氏います』って言える筈がない。
一也も彼女だって思ってくれている筈がない。
「……本当に今はいませんから。好きな人は……変わらないと思いますけど」
笠原さんから少し目をそらして言うと、それ以上は聞かないでいてくれた。
そんな話をしながら歩いていたらお店が目の前にあり、中に入ると笠原さんと相談しながら飲み物を買い込んだ。
大きな買い物袋2つ分になり、若干大きい方の袋を片手で持つと、笠原さんから取り上げられる。
「立木ちゃんはこっち、軽い方!」
「私意外と力あるんで大丈夫ですよ」
「ダメー」
笠原さんは私と袋を交換した後、空いた手で私の手を握った。
「え、ちょっと」
「役得役得〜!皆のとこ着くまで──ね」
ニッコリ笑った笠原さんを見て、どう足掻いても状況が変わりそうにないと感じるとそのままお店から出た。元来た道を引き返し、並んで歩き出す。
笠原さんと雑談しながらも、私は握られた手を横目で見やる。
男の人の手って、意外と柔らかいんだ……
一也の手は長年バットを振り続けている影響からマメだらけで、皮も厚く硬かった。
今まで一也の手しか、知らなかったから。
思わず足元に目線を落とし、これ以上は思い出さないように、と思考を遮った。
**********
今日は逃げれなかった。
試合後に相手チームに所属する大ベテランの先輩からの誘いで食事会──までは良かったものの、そのまま有無を言わさず女性が沢山いる飲み屋に直行だった。プロ生活20年の人の重い一言「一緒に来い」は流石に断れない。
飲めない訳じゃないから適当に自分のペースで酒だけ飲んでいると、一緒に来た先輩後輩の周りは女の子でビッシリ固められていた。後輩の顔のデレデレ感が半端ない。
「御幸さん、噂には聞いてたんですけどホントにカッコいいですね」
俺の隣に座っている女性が酒を注ぎながら話しかけてきた。俺は「それ程じゃないっすよ」と言いながらやんわりと受け流すと、静かに腰を上げ距離を詰めてくる。
「私御幸さんすごくタイプです」
そう言うと、俺の腕に上半身を寄せてくる。夜の蝶というだけあって露出が激しい衣装を着ているため確信犯だろう。
おー、胸でけえ。
男なら皆好きであろう柔らかいものを押しつけられて、急激に香ってきた香水の匂いに「うっ」と怯んでいると、彼女の顔がゆっくりと近づいてくる。
え、マジ?
てか仕事中だろ……?
俺は瞬時に危機感を感じ、迫ってくる唇を咄嗟に両手で覆った。驚いたのか彼女の目が大きく見開かれる。
「──化粧、落ちるよ?」
俺はニカッと作り笑いをしながらおどけて言うと、彼女はバツが悪そうに腰を上げ「ちょっと失礼します」と言って席を離れた。
ちょうど他の席の死角になっていたようで、周りはこちらの事など気にも留めておらず、ほっと息を吐く。
俺と2人になったことを利用したのかは分からないが、場の空気に流されると思っていたのだろうか。
まだ手に唇の感触が残っている。あのままキスしていたら、澪と触れ合った感覚が上書きされてしまいそうで嫌だった。ただでさえ、会えなくなって少しずつ忘れかけているのに──。
俺はこれ以上忘れないように、と澪の顔を、感触を思い返した。
2017.4.25