02
球団の寮で生活をしている兄の涼くんが久し振りに家に帰って来た。今日は珍しく家族全員が揃うので、お母さんはお父さんを連れて買い物に出掛けている。その間、家のリビングには姉、兄、私のきょうだいだけだ。
3人分のお茶を入れテーブルに置くと、涼くんが私を見て笑みを零している。
「──御幸、調子上がってきてるみたいだな」
「──そうみたいだね」
「高卒選手じゃ順調な方だろ。まだ完全に身体も出来あがってないし」
「──鳴は?響子が1軍で投げてる、って言ってたけど」
「定着はしてねえよ。鳴も御幸もこれからが勝負だなー」
飲み物に口をつけようとした涼くんに、姉である凛ちゃんが「アンタ上からもの言える立場なの」と威圧しているが涼くんの言うとおりだと思う。大学野球や社会人野球出身者と違って高卒選手は若くしてプロ入りする分、入団初めはフィジカルが弱い。
身体面に加えて学生野球と違うのは、入れ替わり競争が更に熾烈になることだ。中高では3年、大学でも4年で最上級生だった学生時代とは違い、10代から40代までの幅広い年齢層の中レギュラーを争わなければならない。
「俺も通って来た道だから言えるんだよ!」
「“まだ”通ってる途中でしょーが」
「まーまー、涼くんはか…御幸達よりは先輩なんだから」
私の発言の直後、凛ちゃん涼くんが一斉に私に振り返った。困っている兄の為に、と思ってのフォローだったが裏目に出た。いくら家族でも一也以外の前で彼氏を名前呼びするのは居心地が悪くなるため咄嗟に言い直したら、2人とも聞き逃さなかったようだった。私は苦笑して、何か突っ込まれる前にお茶のおかわりを入れるため立ち上がった。
「──御幸とは順調なんだな、その様子だと」
涼くんの表情が野球人ではなく、マウンドでは見たことのない兄の表情になった。姉兄に自分の恋愛事情を話すのは正直恥ずかしい。今までは凛ちゃんにしつこく追及されて仕方なく答えていただけに。
「……う、ん。順調、ってどんな状態なのかイマイチ分からないけど……」
「──別れてないんだろ?」
「……うん。この前久し振りに会った」
凛ちゃんが首を突っ込んでこないことが拍子抜けだったけど正直に話した。私がお茶を持ってくると、涼くんはソファーにどかっと背中をあずけて伸びをする。
「じゃあ順調じゃん。──御幸に声かけてくるヤツとかいなかったか?だんだん知名度上がってきてるしなー」
涼くんが何気なく発した一言に、私は今まで聞きたいけど聞けなかったことを思い切って口にした。
「あ、涼くん。──えっと、その、球団的にはどうなのかな?伸び盛りの選手が付き合ってることって」
「は?」
「あ、つまり──選手の恋愛事情に球団はタッチするのか、ってこと」
自分から言い出したことなのに恥ずかしくなって語尾が小さくなる。凛ちゃんがお茶の入ったカップに口をつけたまま無言なのが怖い。
「──普通に付き合ってる分には何も言わねーよ球団も。そりゃ週刊誌にバンバン載るような、球団のイメージダウンに繋がる女付き合いだったら厳重注意とかあるけどよ…お前ら超健全じゃねーか」
「そ、うなのかな?」
「学生時代からのお付き合い、って一番健全だろ!既婚の先輩でも“学生の時から付き合って結婚した”って人は少なくねーよ。……澪、気にしてたのか?」
涼くんに驚いた顔をされ、私は頭に手をやり複雑な表情を浮かべた。涼くんは軽く息を吐いて苦笑する。
「そりゃ昔より交友関係はバレやすくなってるよ。今はSNSとかネットで情報が一気に拡散される時代だからな……正しい事もデマも含めだけど」
「……」
「御幸は隠したいとか言ってんのか?」
「──ううん。隠すつもりない、って」
「じゃあ問題ないだろ。普通に付き合ってるだけなんだから、何も心配することねえって」
涼くんの声にだんだん力が入ってきたのが分かって、私は「うん、ありがとう」とだけ笑顔で伝えると、玄関の方で音がした。
「ただいまー!」
「あ、おかえりー!」
両手いっぱいに買い物袋を持った父母の帰宅でリビングが一気に騒がしくなった。母と私は一緒に台所に入って、夕飯の用意に取りかかる。
凛ちゃんと涼くんがあの後何を話していたかは分からないけれど。
「……凛、やたら静かじゃね?澪のあんな話題、すぐに食いつくかと思ったのによ」
「……そう?」
2016.6.27