01


「かっ……一也!」


 息せき切って、先に待ち合わせ場所に着いていた御幸へ自分から呼びかけたのに、言い慣れない一言に私は思わず噛んだ。
 妙に力が入りすぎていた声に、御幸は驚いた様子で私を見つめる。


「……おー、どうしたの急に」

「あ―…、名字で呼んだ方が周りにバレやすいのかなって思って……」


 御幸と出会ってから初めて口にした名前に、大胆なことしたなと今になって顔が熱くなる。
 そんな私を見て、御幸は握り拳を口に当て軽く咳払いをした。


「ぶ、なるほどなー」

「み、…か、ずやが嫌だったら止めるけど……」

「いーや?この際だから俺も名前で呼んじゃお」


 え!?と私がびっくりして顔を上げると、にやけ顔の御幸と目が合った。からかう時の表情そのもので、嫌な予感しかしない。


「じゃー行くか──澪チャン?」


 ニッと笑う“してやったり”の顔に、私は素直に嬉しがることも出来ず顔を歪ませた。


「……『ちゃん』はいらないから。なんか腹立つ」

「えー、じゃあ……澪」


 からかいの延長で言われるのかと思ったら、急に落ち着き払った低い声で名前を呼ばれた。思わず御幸の顔を見ると、御幸は顔をそらして私の手を握った。


「買いたいモンあるから先に付き合って」

「あ、うん、いいよ」


 私の一歩先を歩く御幸に、もしかして照れてるのかな、と思うと可笑しくなってふ、と笑った。

 私の手を包む御幸の手は、高校生の時よりも厚く、固くなった気がする。後ろから見上げる彼の背中は、一回り大きくなったようだ。
 プロの野球選手となった御幸の身体は、球団からの指導もありまだまだ成長している。




 み…一也はプロ野球選手2年目、私はスポーツトレーナーを目指す専門学校2年生。私が大学に行かずに3年制の専門学校を選んだのは、一足早く社会人となった一也と鳴の影響が少なからずある。比較的時間に余裕のある大学に入って遊びたい、という気持ちは2人に触発されたのか全くなかった。少しでも早く知識や技術を身につけて、将来の夢に向かって働きたい──。そう思うと、毎日朝から夕方までみっちりある授業も苦じゃなかった。

 一也は野球に打ち込みながら寮生活、私は学生で休みが合わず、一也がプロとなってからは数える程しか会えていない。それでも私達の付き合いは続いていた。


 プロ2年目の一也は2軍の試合が主だ。1軍に不動の正捕手がいるため、一也はなかなか上に上がれない。数回1軍の試合に出場したけれど、定着するのはまだまだ先のようだ。
 一也のプロ1年目の年の話題は、ほとんど鳴のことばかりだった。鳴り物入りで即戦力、と言われていたルーキーに注目が集まるのも無理はない。鳴と同校で同じくプロ入りしたカルロスくんもブラジルの血が入っていて身体能力が高い、とマスコミの注目の的だった。だから今まで一也にスポットは当たっていなかったんだけれど──。






「あっ、あの……!御幸選手、ですよね……!?」


 買物中、私がトイレに行って戻ってくると、一也が2人組の女性に捕まっていた。私はとっさに大きな柱の陰に隠れる。
 何となく、今出て行ってはいけない気がした。

 一也がはい、と返事をすると、その2人組はキャーと甲高い声を上げた。


「私達いつも試合観に行ってて…!1軍でプレイしてるの見てから2軍の試合も観に行ってるんです!」

「あー、ありがとうございます」

「これからも応援してます!──握手してもらってもいいですか!?」


 一也は躊躇なく手を差し出し握手を交わすと、彼女達のボルテージは一気に上昇した。
 ファンの2人は興奮しすぎてその場にとどまれないようで「頑張って下さい〜!!」と激励を残した後、逃げるように去って行った。

 私は何故か出ていく気になれず、柱に背をあずけ軽く息を吐いた。


 昨年よりも今年、と一也の注目度がだんだんと高まっている。調子も上向いていて、野球雑誌以外でも取り上げられることが増えた。
 結果も残しているし、着実にファンも増えている。
 中学の時から知っている身としては喜ばしいこと、なんだけど……。





「──おせーよ。あ、大きいほうだったのか?」


 思考を突き破る声が頭上から響いた。いつのまにか隣にいた一也は、柱に腕をつくとヘラヘラと私を見下ろしている。
 失礼な質問に、私は顔をそらして語気を強めた。
 

「ち、が、う!──出て行ったらマズイかなと思って!」

「──別に問題ねーだろ。隠してる訳じゃないし、隠すつもりもねーし」

「……球団は知ってるの?その……付き合ってること」


 いまだに自分を御幸一也の“彼女”と言うのには慣れていなかった。学校の友達には恋人がいると伝えてはいるが「誰が」彼氏なのかは言っていない。自分から言う気も無いし、何より一也に不要な影響を及ぼすのだけは避けたかった。


「入団してすぐの頃聞かれたことあるけど、“います”って言ってそれだけだったよ」

「……そっか」

「それにさっきの人達だって野球が好きなんだろ。じゃねーと2軍の試合まで観に来ないって」


 ……明らかに一也と接触して喜んでたけど。と言いそうになったけど、一也が「飯食いに行こー」と言い出したので何も言わずにおいた。






 中学、高校と見てきたから分かる。

 今までは学生だったから知っている人も限られていたけど、これから瞬く間に有名になって──。

 人を惹きつける存在になるってことを。









2016.6.7




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