遠く近く
※この作品は少々シリアスです。死ネタがあります。苦手な方は閲覧をお控えください。
ヒロインの子供の名前変換ができます。name changeから設定してください。(デフォルト名:葵)「あー!くらもちのおじちゃん!!」
「よー!……てか呼びづれーだろ、長くて。それに俺はまだおじちゃんじゃねえ」
「えー?くらもち、ってなまえじゃないの?パパがいってたよ?」
「くらもち、は名字!名前は洋一だからよ」
「じゃー…、よーいち!」
俺の名前を呼んだ途端、満面の笑顔を見せたガキに俺もつられて笑った。今日は平日だが仕事が休みの俺は一通りの用事を済ませ、自宅近くの公園の前を通り過ぎようとした時、砂場で遊んでいる顔見知りの少女を見つけた。俺は公園に足を踏み入れ、せっせと砂の山を作っているそいつに声をかけた。
「よーいちもいっしょにつくろ!」
「おー、いいぞ。じゃあ大きいの作っか!」
「うん!」
俺は袖をまくり上げ、両手に溢れんばかりの砂を掬い上げると、作りかけの山に豪快にのせていく。たちまち大きな山になっていく様を見て、目の前の少女は「わあー!」と目をキラキラさせている。
「このくらいやんねーと日が暮れるぞ、ほら手ぇ動かせ。――トンネル作るか?」
「とんねる!?うん!」
思いがけない俺の提案に、これでもかと目を大きくする葵。そんな葵を見てアイツの顔が頭をよぎった。
葵が持参してきていた小さいバケツに水を汲み、砂を固めながら2人して黙々と山を作っていると、背後から葵を呼ぶ女性の声がした。振り返ると、俺に一瞬目を向けた後その人は葵の隣に中腰になって話を続ける。
「大きいお山が出来てるわねー」
「うん!」
「葵ちゃん、一緒に作ってる人は誰?」
「よーいち!」
葵の返答、表情からはいまいち納得していないのか、その人は俺に注目する。怪しまれてんな、と悟った俺は会釈をすると口を開いた。
「――こいつの母親の、大学時代の同級生なんです」
「!!――澪さんの……そうだったんですね」
俺の一言で、その人は申し訳なさそうな顔をした。きっと葵の近所に住んでる別の子供の母親だろう。ジャングルジムの上から「ママ―見てー!」とこの女性を呼ぶ男の子の声がした。
「なあ葵、今日ばーちゃんどーした」
「ばあばお風邪ひいててねてるの」
「――だから一緒に遊ぼ、って私が誘って連れて来たんです」
「……良かったな、葵」
嬉しそうに遊んでいる葵の隣で、俺は「ありがとうございます」と思わず言いそうになったのを引っ込めた。俺は葵の父親でもなければ身内でもない。
――葵の母親の、昔付き合ってた男、ってだけだ。
「よーっし、じゃあ穴掘るぞ!」
「やったあー!よーいち、はやくー!」
「急かすんじゃねえ、これは慎重にやんねーと崩れるんだよ!」
俺と葵のやり取りに、さっきまで訝しげにしていた付き添いの女性はくすくすと笑った。
――アイツも生きていれば、こうして葵の成長を見守ることが出来た筈なのに――。
俺が知っている最期の澪は、棺に納められたまま動かず、何も喋らず、ただ静かに横たわっていた。――すぐ傍にいるのに。
澪は交通事故で亡くなった。葵をバギーに乗せて歩いていたら、急に車が澪の方に突っ込んだ。葵はバギーに乗せられていたのが幸いし車の接触を逃れることが出来たが、澪は病院に搬送後帰らぬ人となった。
葬式では皆泣いていた。声にならない悲鳴を上げる人もいれば、懸命に泣くのを堪えようとしているがそれでも涙が零れる人も。澪は大学生の時野球部のマネージャーをしていたから、野球部の仲間や学生時代の友人も大勢詰めかけた。急すぎる突然のことに皆悲しんだ。
同じ大学で、俺と澪は野球部員とマネージャー。自然と恋人になった。その後お互い社会人になってすれ違いが続くようになり、別れた。
俺の表情をうかがっている大学時代の友人に「俺は大丈夫だ」と告げた。この状況を完全に把握出来ていなかったのかもしれない。その時は我慢しているわけでもなく、本当に涙が出てこなかった。
焼香に並んでいると、澪の遺族が参列者ひとりひとりに礼をしていた。喪主である澪の旦那は、葵を抱きながら涙を見せずにただ粛々と頭を下げていた。
その様子を見ていると、俺はある事に気付き唇を噛んだ。小さくて、母親が死んだとは分かっていないかもしれない葵を抱く手の血管が、遠目でも分かるくらい浮き出ていた。それを見た途端熱いものが込み上げ目が熱くなったが、葵を強く抱くことで必死にそこに立っている元恋人の旦那を見て、俺がここで泣く訳にはいかない、と思った。
アイツが守りたかったものを――守りたい。
別の男のものになった澪だけど、それくらいは許してくれるだろ。
愛していた女のために、俺が出来ることを、やりたいんだ。
「おっし、出来たぞ!」
「わあー!よーいちすごい!」
「水流してみるか?」
「――うん!!」
葵は空になったバケツを持つと立ち上がった。先に水道で手を綺麗にした後バケツに水を入れ、葵の元に戻りスカートに付いている砂をぱんぱんとはたき落してやる。
葵は俺の顔を覗き込み「よーいちはやくはやく!」と興奮している。俺が水を流そうとした時、近くにコロコロと野球ボールが転がってきた。
「すみませ――ん!!」
遠くで野球少年が脱帽し頭を下げていた。この公園は遊具に隣接してグラウンドが広がっている。今日は少年野球のチームが練習しており、取り損ねた球が普段は届かない遊具のそばまで転がってきたようだ。
俺はボールを拾うと、取りに走ってくる少年を手で制した。
「そこにいろー!投げるぞ!!」
俺はすぐさま上体を整え遠投の構えをとると、勢いよくボールを投げた。その少年がキャッチする距離でいい感じにスピードが落ち、パン!と良い音をさせてボールがグラブにおさまった。
「ありがとうございましたあ!!」という声に手を振って答えると、隣にいた葵が口をポカンと開けて俺を見上げていた。
「よーいちすごい――!!」
「おー、すごいか?」
ヒャハと笑った俺に葵はすごいすごいと飛び跳ねている。
「よーいち、あれなに?」
「あ?野球だよ。知らねえか?」
「やきゅう?よーいちやきゅうできるの?」
「おー、まあな。……じゃあパパかばーちゃんに、明日の夜テレビで野球見たい、って言ってみろ」
俺のこの言葉に、近くにいた付き添いの母親が驚いた様子で口に手をあてた。
「……もしかしてプロの野球選手なんですか?」
「近所にいるなんて知りませんでした」という呟きに、俺は手を叩いてついた砂を落としながら苦笑した。
「――ちょっと前に引っ越してきたんです。それまでは寮生活だったんで」
「よーいちはやきゅうせんしゅなの?」
「おー、調子悪くねーから次の試合も出るぞ。テレビで見とけ」
「――うん!」
期待の眼差しで俺を見つめる葵に、歯を見せて笑う。
――お前の母さんも、野球好きだったんだぞ。
母親の軌跡に、少しでも触れて欲しい。
「あー、パパだ!!」
俺の脇から公園の外を指差した葵は、スーツ姿の男を見つけると勢いよく手を振った。いつの間にか日が落ちかけている。
葵の父親は葵の姿を認めると、公園に入って来た。俺は無言で頭を下げる。お互い顔を合わせたからといって気安く話す間柄じゃない。俺が澪の元彼だったことを知っているかどうかも分からない。
父親に駆け寄った葵を抱えると、彼は俺に頭を下げた。表情から嫌悪は見られないことに内心ほっとする。
「じゃあ帰ろうか、葵」
大人と同じ目線になった葵は、父親の言葉を聞き俺に振り返った。
「まだとんねるにおみずながしてない」
「……また今度作りゃいいよ。な?」
「――またいっしょにつくろーね!」
父親のいる前で即答してもいいものかと一瞬考えたが、葵の笑顔には抗えない。
「おー、また遊ぼうな!!」
「うん!よーいち、ばいばーい!!」
満足した葵を見た父親は俺に軽く礼をした後、葵と一緒に来ていた母親達と帰っていった。
俺は俺で出来ることをやる――。
野球でも、プライベートでも。
昔から一貫して変わらない信条を思い返し、俺は茜色に染まる空を見上げた。
(100000HIT記念リクエスト:シリアスなお話)
2016.5.27