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チーター様はかく語りき
「──御幸」
「──ん?」
「……あいつさあ、何かあったのか?」
「あいつ、って?」
「さっき立木さんと来てただろ。早川、さん」
「早川?俺は立木とすぐ礼ちゃんのとこ行ったから話してねーけど……」
「……ならいい」
「立木は今日青道来たのは気分転換、って言ってたけどなー」
「気分転換、ね……」
練習終わりの夕食中、前に座っていた御幸にそれとなく聞いてみたけど大した情報は得られなかった。
箸と口を動かしながら、今日のあいつの態度を思い返す。
つーか、何で俺が気にしなきゃなんねーんだ。
あいつが言っていたように、気にしなきゃいい。
「──早川が気になんの?」
御幸が咀嚼しながら俺に目を向けたので、何となく居心地が悪くなった俺は目線を飯に移し「別に何でもねーよ」と吐き捨てた。
2杯目のご飯をよそいに空の茶碗を持って立ち上がると、食堂の扉が開いた。マネージャーの梅本が少し慌てている。
「高島先生こっちにいる?──あ、先生!」
梅本が食堂の奥に向かって声を張り上げると、高島先生がキッチンから顔を出した。先生が梅本に早足で近づく。
「どうしたの?」
「あの、グラウンドのフェンスのそばでこれ──拾ったんです」
梅本が先生に差し出した手のひらには、小さい鍵がのっていた。
「落とし物だと思うんですが……先生預かって頂けないでしょうか」
先生は了承しその鍵を受け取ると、梅本は「お疲れ様でした」と言いながら食堂を出て行った。
「──礼ちゃん、それ何の鍵?」
俺達のすぐそばで行われたやり取りだったので、気になったのか御幸が先生に尋ねた。
「……何かしら。自転車の鍵?大きさから言えばだけど」
先生が指でつまんで鍵を凝視する。その様子を見ていた俺達も、何の鍵かは特定出来なかった。
「まあしばらくうちで預かりましょう。学校の方にも拾得物として報告しておくわ」
先生がスーツのポケットに鍵を入れると、食堂の扉が再び大きい音を立てて開いた。
「せんせーい!さっきの落とし物、落とし主の方が来られました!」
先生が声がした方に顔を向けると、梅本の後ろから予想外の人物が姿を見せた。
「「あ」」
俺と御幸が口を開けたと同時に、今日一悶着あったヤツが肩身が狭そうに中に入ってきた。
俺らが座っている近くで、早川は先生から鍵を受け取る。
「──これ私のです。ご迷惑かけてすみません、ありがとうございました」
俺と話していた時の態度とはうって変わって、粛々と頭を下げた早川は顔を上げた後はーっと息を吐いた。安堵の様子を見た先生は早川に尋ねる。
「これ何の鍵なの?」
「バイト先のロッカーの鍵です。無くすとマズイので助かりました……」
早川はありがとう、と梅本にも頭を下げる。
……いつも立木さんのそばにいるから気付かなかったけど、こうやって見るとこいつも結構整った顔してるんだよな。
つまり、と思った時点で考えるのを止めた。いや、こいつは性格が可愛くねえ。やたらつっかかってくるし。
「……バイト先行ってから鍵が無いのに気付いて、焦った……」
誰に言うわけでもなく溜息混じりに呟いた言葉に、意外なことに御幸が反応した。
「──バイトって高校入ってから始めたやつだろ?」
「そうだけど、辞めるから。今年はあんまり働けてないし……借りてる物は返却しないと辞めるに辞めれないから」
「へ?辞めんの?」
「……澪から聞いてない?」
御幸と会話している早川の表情が一瞬、曇ったのが分かった。何かあったんだろうなバイト先で。……俺には関係ねーけどよ。
「立木から聞いてんのは付き合ってる男と同じバイト先、ってことくらい……」
最後まで言い終わる前に御幸が身体をビクつかせた。早川の空気が一変し、身体の周りに炎がほとばしっている様に見えるのは気のせい、だ絶対。
「あ、ん、た、ねえ〜〜!相変わらずデリカシーが無いわね!!そこまで知っててこの時期にバイト辞めるってことはつまり、って察しろ!!その頭野球にしか使ってないでこういう時にも使え!!」
早川の目は完全につり上がっていて、御幸に敵意むき出しだ。今までこちらに注目してなかった部員の奴らも、この大声で一斉に俺らの方に目を向ける。
御幸は御幸で「受験だからかな〜と。あ、別れたんだ?わりーわりー」と悪びれる様子もなくはっはっはっと笑っているので、ますます早川の怒りに拍車をかけた。
「ちょっとは成長してるかと思えば…中学から全然変わってないわね……!」
恐ろしい形相で御幸の胸倉を掴む早川を見て流石に止めねーとまずいか、と俺は立ち上がった。
「──おい、周りみんな見てんぞ」
早川の肩をぽん、と軽く叩くと、ここがどこだか思い出したのか早川の動きがピタっと止まった。
「おめーも面白がって煽ってんじゃねーよ」と御幸の頭をどつくと、俺はそのまま早川の腕を掴んだ。
「こいつ送ってきます、外もう暗いんで」
周りが「おぉっ」とざわめいたけど気にしねえ。御幸は気がききそうにねえし、俺は先生に頭を下げるとそのまま食堂の扉を開けた。
「あ、また後日お礼に来ます、ありがとうございました!」
俺に引っ張られながら礼を言う早川は、そのまま抵抗もせずに俺について出た。
青心寮を出てしばらくしてから俺は早川から手を離した。何か一言でも言われるかと思っていたのに無言だったから、思わず振り返ると早川は苦笑していた。
「……こんな面倒臭いことしなくていいのに。──ありがとう」
薄暗い中見える早川の表情は、怒っているわけでも笑っているわけでもなく。意外だったのでそのまま学校の敷地外まで送ることにした。
「──よく気がつくんでしょ、御幸と違って。人のちょっとした変化も見落とさない」
こんなに穏やかで落ち着いた声を、こいつから聞いたのは初めてだった。
「……自分じゃよく分かんねーけどな」
「面倒臭い女の面倒臭いことなんて、放っておけばいいのに」
「……」
「器用貧乏?情にあつそうだもんね。よく御幸とつるんでいられるわね、大変でしょアイツ」
「……つるみたくてつるんでる訳じゃねー」
俺が不本意に言葉を吐くと、早川はふふ、と笑った。
その表情を見た途端、俺が口を開こうとしたのと同時に携帯の着信音が響いた。
「──あ、ちょっとゴメン」
カバンから携帯を取り出した早川は、画面を見て動きを止めた。さっき見た笑顔とは違い、陰った表情で。
「……ここまででいいよ。寮生だからって外ホイホイ歩いちゃマズイでしょ」
そう言うと早川は俺にありがとう、と手を振り早足で歩き出した。こちらを振り返ることもなく。
携帯を耳にあて深刻な声色で話し始める早川に、俺はその姿が見えなくなるまでただその場につっ立っっていた。
続く
2016.4.28