愛しき君へ


 吐く息が白く見え始め出した、12月初め。毎年恒例の冬合宿が年末に控えているが、3年は1、2年のサポートにまわるため今年は地獄じゃない。年明けの球団への入寮も間近に迫り、俺は相変わらず自主練に力を入れていた──が。



「……何でここにいんの?」


 土曜日の練習中、グラウンド外にちらっと見えた人物を俺は二度見した。間違いない、知り合いだと確認すると、練習を中断して1人で佇む“そいつ”に近づいた。


「……別にー。近くまで来たから寄っただけ!」

「──何だよそのカッコ」

「俺、格好良いから何でも似合っちゃって困る〜」


 練習中である1、2年の視線がこちらに向いてるのが分かる。何で青道にいるのか、という皆の疑問を代弁するかの様に、外野にいた沢村が大声を上げた。


「なぜここにいる!?稲実の白アタマ──!!そんなかしこまった格好して……まさか偵察か!?」


 俺の隣にいた稲実の白アタマ、こと成宮鳴は流石にカチンときたのか沢村に向かって声を張り上げた。


「うるさいな!!練習に集中しなよ守備ど下手くそ!!」


 憤慨した沢村に、2年が「本当のことだろ」とつっこんでいる。俺は鳴に視線を戻し、全身を見回した。
 鳴はタキシードスーツを着ていて、髪も少し逆立てて固めていた。明らかに今から野球をする、という格好ではない。


「何でスーツ着てんの?」

「……ん―?母さんに“絶対似合うから!”って言われて着させられた」

「いや、そういう事じゃなくて……」
「あ、いた!鳴!!」


 聞き慣れた声がして振り向くと、カツカツと足音を鳴らして立木が走ってこちらに向かって来た。フォーマルコートに身を包んで、髪はアップに、ばっちり化粧もしている。

 はあはあ言いながら身を屈めた立木は、息を整えた後背筋を正すと鳴の腕を掴んだ。


「会場から青道が近いから絶対ここだと思った……行くよ!鳴」


 立木からそっぽを向いたままの鳴は、ポケットに手を突っ込んだままえー、と呟いている。


「──立木、今日何かあんの?」


 このまま訳の分からない展開になりそうだと思った俺は、立木に疑問を投げ掛けた。立木は御幸、と俺の方を向いた後「お騒がせしてごめんね」と謝った。


 にしても、立木ががっつり化粧をしているのを初めて見たので、その姿に戸惑っている俺がいる。変に緊張してしまって仕方がない。
 昔から知っているという贔屓目無しに、綺麗だと思った。


「今日ね、鳴の2番目のお姉さんの結婚式なの。凛ちゃんの親友の。私も昔からよくしてもらってたんだ」

「──俺は結婚認めてない」

「鳴!……さっきまで会場にいたのにいなくなった、って鳴のお母さん達が騒いでて…親族は会場から離れられないから私が探しに来たの」


 事の顛末を簡潔に話してくれた立木は、鳴に険しい顔をしている。化粧のせいか、いつも以上に迫力が増している…気がする。


「──何でこんな寒い時期にやるのさ、意味分かんない」

「……鳴、本気で言ってるの?」

「俺がいなくてもどうせ式するんでしょ?」


 唇を尖らせた鳴の言葉を聞いた立木は、下を向いて黙ってしまった。俺が気になって声をかけようとしたら、立木は握り拳で鳴の頭を殴った。


「い……ってえ──!!!何すんのさプロ野球選手の俺に──!!」

「──顔じゃなかっただけありがたいと思いなさいよ、まだ球団の寮にも入ってないくせに」


 立木が鳴を殴るとは思わなくて、間に入るタイミングを失った俺はしばらく静観することにした。
 正直なところ、こんなに怒っている立木を見たことが無くて、ビビってる。立木、ちょっとコワイ。



「──何でこの時期かって、鳴の都合に合わせてるに決まってるでしょ」

「──俺?」

「響子ちゃん、鳴のために結婚延ばしてたんだよ。甲子園で投げる鳴を生で見たいから、鳴が高校生の間は家にいて、姉としてサポートしたいって」

「……」

「式が12月になったのも、鳴のドラフトが一段落して、球団に入る前で時間取れるからって……全部、鳴のこと考えた上での今日なんだよ」


 立木の言葉を聞いた鳴は、顔を背けたままだけど落ち着きを取り戻していた。


「響子ちゃんの旦那さんも、今度海外赴任が決まったからもう待てないみたいで──」

「……響子姉、日本出るの?」

「それも聞いてないの!?響子ちゃんが『鳴が聞く耳持たない』って言ってたけど──話してるはずだよ、鳴がちゃんと聞いてなかったんでしょ?」


 呆れ顔で腕を組んでいる立木に、鳴は一瞬ぽかんとした後唇を噛み締めた。


「……響子ちゃん、鳴に一番お祝いして欲しいんだと思うよ?…式に出ない、なんて言わないでよ……だーいすきなお姉さんの幸せな顔、見たくないの?」


 明らかに大人しくなった鳴に、立木は苦笑した。
 立木ももう怒ってはおらず、鳴を諭すように話しかけていると、立木の持っているバッグから携帯の着信音が聞こえてきた。
 立木は慌ててバッグを開けて携帯を取り出す。


「──もしもし。あ、鳴見つかったよ!やっぱり青道にいた。……うん、うん……じゃ代わる、ちょっと待ってて」


 立木は鳴に携帯を差し出した。


「響子ちゃんから。鳴に代わって欲しいって」


 バツの悪い顔をした鳴は、立木の携帯を耳に当てるとんー、んー、とだけ返事をした。しかしだんだんと表情が変わった。
 照れくさそうな、泣くのをこらえるような──沢山の感情が入り混じったような。
 鳴のこんな顔、今まで見たことが無い。


「……じゃー戻るから!幸せになんないと承知しないからね!!」


 捨て台詞を吐いて電話を切ると、鳴は立木に携帯を突き返した。
 立木はニッ、と笑った。


「その言葉、直接言ってあげなよー?」

「うるさいなー、戻るよ澪!──あ、そーだ」


 一歩足を出そうとした鳴が、振り返って俺と立木にニヒヒ、と笑う。


「一也んとこ、もうすぐ冬合宿だろー?クリスマスも寮から出れねーだろうし…2人で過ごせないの確実!ザマーミロ!」


 そう言い残すと、鳴は走っていった。俺はともかく立木もその場に取り残されている。


「……鳴!ちゃんと会場に戻りなさいよー!」


 立木が大声で呼び掛けると、鳴は振り返ることなく片手を挙げてこちらに手を振った。それを見た立木ははーっ、と息を吐いた。


「……練習の邪魔してごめんね、御幸」


 鳴の事で一段落ついた立木は、俺に軽く頭を下げた。俺は「鳴が相手だと大変だよな」と笑って返すと、立木はこちらをじーっと見つめている。


「……な、何?」

「御幸、ちょっと、こっち来て」


 俺の腕を引っ張り、ギャラリーがいないところまで来ると、立木は「しゃがんで」と言って俺にグラウンドを背に座るように促した。

 しゃがんだ直後、俺の隣で立木は座らずに屈んだ。ん?と思ったのと同時に、左頬に柔らかいものがふに、と触れた。

 驚いた俺と、立木の目が超至近距離で重なる。立木の顔は真っ赤になっていて、頬に触れたものが間違いなく何か分かると、立木は勢いよく上体を起こした。


「──ちょっと早いけど、クリスマスだから!!じゃーね!!」


 そう言うと、立木は走って去っていった。俺はゆっくり立ち上がり、着けていた手袋を外すと、左頬に指でそっと触れる。
 触った指先を見ると、うっすらではあるが立木の口紅がついていた。


「……立木、化粧してること完全に忘れてんな」


 キスマークを拭わないと練習には戻れないのだが、勿体ねえなという思いとのせめぎ合いでしばらくその場に突っ立っていた。












2015.12.11



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