Happy Birthday?
「──え?もうすぐ誕生日なの?御幸」
日曜日、勉強道具を持参してうちに遊びに来た菜々美は驚いたように聞き返した。
御幸のドラフト騒ぎも少し落ち着いてきた11月初旬。私は開いていたノートから目を離さずに、シャーペンを動かしながら呟いた。
「うん……今月の17日、だったはず」
「──だったはず、ってアンタねえ。彼氏の誕生日くらいはっきり覚えときなさいよ」
「んー……でも、まだ寮生活だし──何ができるってわけでも」
「……あんたらが付き合いだしてから初めての誕生日でしょ。カップルには一大イベントじゃないの!」
「別に御幸を擁護する訳じゃないけど!」と言い放った菜々美に、私はくすっと笑った。そんな私を見た菜々美は、筆記用具を机に置いて片肘をついた。課題ではなくこの話題に本腰を入れるようだ。
「寮生活でもプレゼントくらいは渡せるでしょ」
「えー…まあ、うー…そうだけど」
「どうせ恥ずかしいとか考えてんでしょ。──渡せ!」
「……御幸の欲しいもの分かんない」
「聞きゃいーじゃないの」
「……は」
「恥ずかしいとかだったら却下」
菜々美に上手いこと言い当てられて、私は口を噤んだ。
真剣に考えてみても御幸が欲しいもの、が何か分からない。思い切って聞いてみたところで突拍子のない答えが返ってくるか、茶化されてはぐらかされるか、しか想像できない。
「──澪があげたいものはないの?アンタなら御幸の好みは大体把握してんでしょ」
「……あげたいもの……」
「料理上手いんだからケーキつくってやったらいいじゃないの」
「──御幸は甘いもの食べないの。それに寮で食事管理されてるだろうから、食べ物持って行っても迷惑になるかなって」
「…1日くらいどうってことないでしょ。ケーキがダメなら御幸に欲しいもの聞きなさいよ!」
そこまで吐き捨てると、菜々美は再び課題に取り掛かった。反対に私はもう勉強どころでは無くなって、御幸の欲しいもの、御幸の好きな食べ物、と頭の中で繰り返している。
野球用品は私があげても、球団から指定されたものを使わなくてはならなくなるかもしれない。好みのメーカーもあるだろうし。ここで意地をはらなくてもいいのに、もうすぐ誕生日だからといってすんなり御幸に聞けるほど素直じゃないのだ。バレバレになるのも落ち着かなくて嫌だ──御幸相手だと。
食べ物──と頭を捻って、今まで御幸につくってあげたおかずを思い出せる限り挙げてみる。寮に持って行けて、寮の食事の邪魔にならない──と考えると数々のメニューが脱落していった。
「……あ」
「?何、思い浮かんだ?」
思っていた以上に大きい声が出たので、菜々美が顔を上げた。
「──あのね、私ちょっと前から漬物作り始めたの」
「……は?」
「漬物ならご飯のお供になるし食事にも響かないしいいんじゃない!?御幸も好きだと思う絶対!」
これは名案だ!と自分でもピンときたものを意気揚々と提案したら、若干身体を震わせた菜々美がノートにシャーペンを叩きつけた。
「──高校生の彼氏の誕生日に漬物あげる奴がどこにいんのよ!!もらってもハア!?じゃないの!馬鹿なの!?」
「……あ、やっぱり?」
「他の野球部員に笑われるに決まってんじゃないの!おばあちゃんでもやらないわよ誕生日に!」
軽い気持ちで口に出したら全力で否定されて首をすくめた。流石に誕生日プレゼントには出来ないけれど、実は漬物は御幸に食べてもらいたい。ここ最近の自信作だから。
…と言いたいところだけれど、菜々美の雰囲気が怖くて胸の中だけにおさめておいた。
**********
「御幸先輩!これ立木さんから預かりました!」
練習終わりに、マネージャーの吉川からそんなに大きくない保冷バッグを渡された。俺はまだ野球部の練習に参加しているが、キャプテン業は後輩に引き継いでおり自主練に専念させてもらっている。
「……立木?」
「練習中だから、と言って渡されたらそのまま帰られました…」
「……声かけてくれりゃいいのにな」
ちょっと残念に思った俺は、吉川に礼を言った後立木の預け物に目を向けた。──何故保冷バッグ。
気がつけば俺の隣には、大学のセレクションに合格し俺と同様に練習に参加している倉持がいた。
「──お前の誕生日って来週だよな?」
「──ああ」
「じゃあ誕生日プレゼントじゃ、ねーか」
「中身何だよ」と倉持は興味深々に俺宛の荷物を覗き込んだ。聞かれても俺にもさっぱり分からねえ。立木からは何も聞いていない。
好奇心に負けて、その場で保冷バッグのチャックを開けると、中には小さいタッパーが3つ入っていた。
「何だこれ……漬物?」
その内の1つを取り出した倉持は、目の高さまでタッパーを持ち上げると底から中身を確認した。
俺もそれを見やると、再びバッグの中を覗く。残り2つのタッパーも、それぞれ別の野菜の漬物が入っていた。
そして、1つのタッパーの蓋には付箋が貼ってあり、一言だけ添えられていた。
“作ってみたので味見して下さい”
「……とうとう立木も漬物にまで手ぇ出し始めたか」
「──あ?これ立木さんの手作り?」
「そーみてえ。早速今晩食おー」
倉持が「何で漬物……」と呟いたが、俺は気にせず寮に向かって歩き出した。立木の作る料理にハズレは無い。小さく鼻歌を歌いながら、ミットが入ったバッグと保冷バッグを肩にかけた。
「御幸先輩、何すかその漬物。俺らにはねーんですけど」
「ん?これは俺だけの特別メニューだから」
「立木さんの手作りだとよ」
「え!澪さんの!?1つもらってもいーっすか!?」
「ダメー」
夕食時、俺の前と横には沢村と倉持が座り、丼3杯飯を騒がしく食べている。特に沢村の声がでかくて、周りに俺が立木作の漬物を食べているのが筒抜けになってしまった。
「…え、御幸先輩の彼女?」「来たの分かった?」「誰か顔見てないのか」「何で彼女が漬物を……」等と他の部員の声が聞こえる。主に1年の。
「漬物あると飯が進むわー」
「だから俺にも下さいって!!ちょっとぐらいいいでしょうが!」
「──あいつぬか床も扱い始めたのかー流石だなー」
「無視か──!相変わらず意地が悪いぃ──!!」
3種類の野菜で作られた漬物は全て美味で、俺はいつもより早く夕食を食べ終えると、沢村の愚痴などお構いなしに食堂を後にした。
お腹も膨れて風呂も洗濯も終えると、寮の隅のあまり人目につかない静かなところで携帯を取り出した。
耳に当て、コール音が3回鳴ると、聞き慣れた声が直接響く。
『もしもし?』
「おー、今電話大丈夫?」
『うん。──今日勝手に持って行ってごめんね、その……』
「サンキュ。食った、漬物。美味かった」
『ホント!?良かった〜結構上手くできて、御幸に食べてもらいたいなーって思って……』
立木がテンション高く喜んでいると思ったら、急に言葉尻が小さくなったので俺は「ん?」と聞き返した。
『……あの、ひいてない?周りの人達にひかれなかった?」
「──いや?沢村なんか食わせろ食わせろうるさかったし」
『……そっか。菜々美に怒られたんだよね。彼氏に漬物あげるなんておばあちゃんか、って』
「はは。俺は立木らしいな、って思ったよ」
『……ありがとう』
礼を言った立木はその後黙っていた。しばらく沈黙が続いたので、俺が話題を振ろうと話そうとしたら、立木の声と重なった。
「わり、何?」
『ごめん。──あのね、御幸来週誕生日でしょ。…欲しいもの何かある?』
「──これだったんじゃねーの?漬物。プレゼントって」
『…………御幸』
「ん?」
『すき』
「……」
『だ、なあ、って、御幸のそういう、ところ、が……って急に、ご、めん』
立木からの不意打ちの告白に、俺は固まって言葉が出なかった。身構えてないと何という破壊力。
『──分かってくれて、ありがとう。でも漬物が誕生日プレゼント、って流石にどうかと思うから何か言って?欲しいもの』
たどたどしく慌てながら言う立木に、俺はその姿が想像出来てふっ、と笑ってしまった。
「──いーよ、今もらったから。プレゼント」
『──え?何を?あげてないよ』
「分かってないならいいよ」と答えたら、立木は疑問だらけなのか俺に追及してきたけど軽く流しておいた。
突然の告白や、温かい気持ちにさせてくれる言葉や会話。俺を必要としてくれて、リラックスさせてくれる空間を作り出してくれる──それだけで十分なんだけどな。
『もう、じゃあ勝手に選ぶから!』
電話の最後まで煮え切らなかった俺にこう吐き捨てた立木から、1週間後、野球のアンダーシャツが届いた。
2015.11.17