青い、その先へ


 いつもなら晩ご飯の用意やその他諸々の家事で追われる時間帯。今日は簡単に出来るメニューで済ませ、私はテレビ前のソファーに陣取っていた。隣には凛ちゃんも座っている。


「あー、ドラフトなんて見るの涼の時以来だわ」


 兄が大学4年の時。プロ志望届を出していた涼くんが、球団に指名されるか家族みんなドキドキしてテレビを見ていた。

 でも今日は──。



 テレビのCMが切り替わり、派手なテロップが映し出された。「プロ野球ドラフト会議」の文字が画面いっぱいに表示される。
 プロ球団が一斉に人材を獲得する、年に1度の派手な会議。大々的にテレビ中継され、一般人もその様子に触れることができる。

 今か今かと指名の開始を待つ間に、解説者がドラフトの説明と注目選手の紹介をはさんでいく。


「このチャンネルはドラフト終了までちゃんと放送するからね!」


 凛ちゃんが少しだけ興奮しながら私に親指を立てたので、頷いた。今年、私は高校3年。同学年である鳴は、確実に指名されるだろう。そして──


「──御幸は、呼ばれるかなー?」


飲み物を片手に凛ちゃんが呟いた。


「……どうだろうね…」


 御幸からプロ志望届を出したことは聞いていた。それ以前からも野球雑誌にはドラフト注目選手だと載っていて、プロに行くなら指名されるだろうとの前評判だった。


 少し考え込んでいると、テレビでは各球団の1巡目選択希望選手──1位指名選手の発表が行われようとしていた。
 球団毎に選手の名前がアナウンスされる中──


『成宮鳴、投手、稲城実業高校』


 会場から歓声が上がった。


『甲子園を沸かせた高校生屈指の左腕ですね、大本命といったところでしょうか』


 解説者のコメントが発された直後、画面は一瞬だけ稲実からの中継映像に切り替わる。
 ドラフト速報を見守る鳴のアップが映し出された。


「…ぶっ、表情つくってるよ、鳴の奴」


 至極真剣な顔つきで表情を崩さない鳴を見て、凛ちゃんが笑った。


 全球団の1巡目選択が終わった。鳴を指名したのは最多の5球団。これからクジで交渉権獲得球団が決まる。
 クジが各球団監督に引かれている間、画面隅には鳴の様子がずっと映っている。私と凛ちゃんは可笑しくて仕方がない。


「──鳴、内心では喜びまくってるだろーね。顔ひきつってるけど。騒ぎたくてウズウズしてるよ絶対」

「あーあれね、響子がクギさしたみたいだから。学校側からもきつく言われたってさ、いつもの調子でテレビに映るな、って」


 引かれ終わったクジが一斉に開かれると、ガッツポーズをした監督と、カメラのフラッシュを浴びる鳴のアップが交互に映った。


「鳴は関東の球団ねー。おばさん今頃喜んでるだろうね、“鳴と離れなくて済んだー!”って」


 凛ちゃんの予想は当たってると思う。息子を溺愛しているおばさんが、これから鳴の出場する試合を毎回観に行く姿が目に浮かんだ。


 鳴は1位指名だろうな、と粗方予想はついていたからそれほど驚かなかった。
 私が気になるのは──御幸だ。


 画面の奥では鳴を逃した球団の外れ1位指名も終わり、2巡目指名が行われようとしているところだった。
 私はソファ上に置いてあったクッションを胸の前でぎゅっと抱きしめた。涼くんの時よりも緊張が増す。落ち着かない。


 2巡目選択希望選手が次々と発表される。私は体勢を崩さないまま、テレビから目が離せない。鼓動も時間を追う毎に早くなっていく。

 ぎゅうっと再度クッションを抱き込んだ時――


『御幸一也、捕手、青道高校』


 私の心臓が、大きく跳ねた。





『ここで捕手を指名ですか!強肩で勝負強いバッティングに定評があります』


 簡単な説明の後、御幸の活躍シーンが流れた。


『今はどの球団も捕手は人材難です、育成に時間がかかりますからね……』


 解説者の言葉は全部は頭に入らなかった。鼓動は大きく、早く鳴ったまま治まることを知らない。


 「御幸、涼より上位じゃん」と凛ちゃんが話しかけてきたけれど、それに頷く事も出来ず、私は画面にずっと見入っていた。












**









「あ……」

「よ」


 家のチャイムが鳴ったので玄関を開けると、御幸が立っていた。メールで事前に知らされてはいたけれど、久し振りに会ったので少し驚く。

 ドラフト会議が終わってから、御幸は学校側と球団の交渉に取材とかなり慌ただしかったらしい。今日もプロ契約の事で実家に帰っていて、青道に戻る前にうちに寄ってくれた。


 御幸が帰る時間も考慮して、2人で家を出た。近所をゆっくり歩きながら、気が付くと馴染みのある場所へ到着した。
 昨年末、御幸と想いを通わせた公園。

 御幸も私と同じく、ここならゆっくり話せると思っていたようだった。


 あの時と同じように並んでベンチに座る。こじんまりとしたこの公園は、人の姿も見当たらなかった。
 私と御幸の足元から、影が伸びている。


「──お疲れ。大変でしょ、今」


 私の言葉に御幸は頭をポリポリとかいた。


「んー、だいぶヤマは越えたな。ドラフト直後はバタバタだったけど」

「そっか」


 私の返事の後、静寂が包んだ。私も御幸も前を見つめたまま、周りの景色をぼうっと眺めている。


「……ドラフト2位指名、おめでとう」


 御幸に顔を向けて、私は言葉を発した。
 直接言いたかったことが、やっと言えた。


 御幸は私の方を向き、照れたように髪に手をやると「サンキュ」と呟いた。


「ドラフトの後鳴がメールくれてさ。“一也とカルロスに勝ったー!”って」


 おどけた様に言うと、御幸は「指名順位かよ」と苦笑した。


「……テレビでドラフト会議見てて、御幸の名前が呼ばれた時──鳥肌立った」


 御幸と目が合うと私はへへ、と笑った。


「ドラフトで呼ばれた御幸は、中学の時から知ってる御幸じゃない、なんか別の人の様に感じちゃって」


 その時の感情を思い出し、軽く腕をさすった。


「すごいね、一足先に社会人だ。御幸も、鳴も」


 これからも応援してる、そう言おうと思ったけれど。
 もっと私の高揚した、色んな思いを伝えたいと思うのに、言葉が中々出てこない。


 余裕が無くなっていると、御幸の腕が私の身体を包んだ。
 優しく抱きしめられたと思ったら、ぎゅ、と力が強くなる。


「……外でこんな事してたらマズいんじゃないの?御幸サーン」

「誰も見てねえからいーの」


 ふ、と思わず笑った。御幸の胸に寄り掛かっていたら、頭上から声が響いた。


「……プロを目指すか迷った。父さんの仕事のことも考えたし」

「……うん」

「でも全国の舞台で試合してから──もっと野球がやりたいって思った」

「うん」

「父さんに家継ごうか、って言ったら一喝された」

「あはは、おじさんにそのつもりがあるなら既に言ってるよね」

「…流石立木サン、分かってんなー」


 私と御幸はお互い体勢を崩そうとせず、そのまま寄り添っていた。

 そんな御幸に甘えたまま、私はゆっくりと目を閉じた。

 まぶたに浮かぶのは、晴天の青空の下で野球をする御幸。

 そして青道のチームカラーである、青。





 私達の未来がどんなものになるのか、まだ分からないけれど。


 目の前に広がる、鮮やかな青に。
 青空へと続く長い長い一本道に、そっと思いを馳せた。


 




 



2015.10.30





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