横縞メガネモード


 ごん、と小さく音を立てて机と額がぶつかると、私はそのまま突っ伏した。今は昼休みだから前を向いて黒板に注目していなくてもいい。はあーっと大きく息を吐いた。


「……どうしたのよ澪」


 微動だにしない私に、側にいた菜々美が怪訝そうに問いかけた。机から顔だけ上げると、小声で呟く。


「……私、どんどん馬鹿になっていってる……」

「……は?」

「……最近、考える事がもう、お花畑みたいで……」

「……花?」

「気がつくと頭の中がピンクの花一色に……」

「……ははーん」


 その端的な情報だけでピンときたのか、菜々美はにやーと薄気味悪い笑顔を浮かべると、私に顔をぐっと近付けた。


「……御幸とエッチしてから頭の中が御幸でいっぱいなんでしょー?」

「!な……」

「学校も違うし離れてるのに御幸の事が頭から離れない〜」


 口に拳を当てて演歌を歌うような振りをする菜々美に、慌てて身体を起こした。


「ちっ……違うよ!」

「違わなーい、恋愛っていうのは人を馬鹿にするのよ!特に初期は麻薬みたいなもの、中毒症状よ!冷静な判断なんて出来ない、気がつくとその事ばっかり考えてる、1回経験するとしばらくそこから抜け出せない……」

「わぁーやめてやめて!」

「それが恋!」


 ビシィ!と音でもさせたかのように、菜々美は人差し指を私に突きつけた。自信満々な立ち振舞いに、妙に怖じ気づく。
 見事な仁王立ちを披露した後、菜々美は私の隣の席に腰を下ろした。


「……でも私は嬉しいけどな。 澪とやっとこういう恋バナが出来るかと思うと 」

「菜々美……」

「──で?私の予想は当たってる?」


 菜々美の勝ち誇ったような表情に、私は唇を尖らせた。


「……別にその、エッチしてから、って訳じゃないけど……御幸の事を考えてる時間が増えた、ってのはあるかも……」

「ふんふん。澪が恋愛事に頭悩ませてるって微笑ましいわー」

「……馬鹿にしてるでしょ」

「いーやー?御幸に会えてないから余計なこと考えるんじゃないの?直接会えば解消されるわよ、その脳内花畑も」

「……そうかな」

「もうすぐ甲子園予選始まるでしょ、観に行ったら?」

「予選……」


 御幸の高校生活最後の夏を決める──西東京大会。夏の甲子園出場を賭けた、最後の戦い。


「……初戦から観に行ったことないしなあー…」

「なーに弱気なこと言ってんの。行きづらいんだったら私も一緒に行ってあげるわよ、貸し1つで」

「……」


 菜々美に告げたことも確かに行くのを渋る理由の1つだが──もう1つ大きな原因もあった。

 少し前に青道に行った時──凛ちゃんと涼くんを迎えに青道を訪れた際、凛ちゃんに御幸と一線を越えたことを盛大にばらされてしまった。部員の皆や先生方がいる前で。
 あの一件から青道には行っていないし、御幸にも会っていない。できれば部員には会いたくない、合わせる顔が無い。


「……じゃあ隠れて行く。恥ずかしいし……」


 勘のいい菜々美は、細かい事情は分からないまでも、すぐに私の心情を悟ったようだった。

 御幸に会いたいような、会いたくないような。複雑な心境はまだ変わることは無かった。






**






 西東京大会も神宮球場で試合を行うのは準決勝からで、それまでは市民球場や区民球場に散らばって試合が行われる。
 青道の皆に気付かれないように、私はボーイッシュな服装に帽子を深めにかぶっていた。菜々美と人もまばらの球場に足を踏み入れ、スタンドに上がろうかという時、よく通る声が遠くから聞こえた。


「立木さん!」

「あ……高島先生」


 スーツ姿の高島先生がこちらに早足で歩いてくる。私は帽子を取って頭を下げた。


「観に来てくれたの?ありがとう。貴方やお母様には御幸くんの事でとてもお世話になったから…」

「あ、いえ。御幸の事は私が勝手にしたことですし……あの時は出しゃばってしまって」

「おかげで御幸くんも冬合宿には参加できたし……感謝しているわ。本当にありがとう」


 頭を下げる高島先生に、いえ、と恐縮しきりだった。先生と話している間、別の事も気になってしまってあまり先生の顔を見れなかった。




「──御幸くん呼んできましょうか?」


 高島先生の急な提案に、少しぼうっとしていた私の頭が覚醒する。


「ええっ!?いや、いいです!……気を散らせたくないので」

「……そう?じゃあ私達の応援席に座る?席取ってもらってるから」

「いやいやいや!他の方に譲って下さい!!では失礼しますっ!!」


 高島先生にお辞儀をすると、菜々美の腕を掴み急いでスタンドの階段を駆け上がった。席はもちろん青道側じゃなく。
 私にされるがまま大人しくついて来てくれた菜々美は、席に着くなり私を見て笑った。


「青道側じゃなくていーのぉ?」

「……いい。こっそり見るから」


 帽子を深くかぶり直す。両校の試合前ノックが終わると、プレイボールの合図が響き渡った。



 久々に見る、キャッチャー姿の御幸。6月に青道で見た練習試合は、風邪をひいてフラフラだったから正直よく覚えていない。



 歓声が上がる。御幸が盗塁阻止をするため投げたボールは、瞬時にショートの倉持くんのグラブに収まり、アウトをもらった。

 ふと視線が気になり隣を向くと、菜々美がこちらをじっと見ていた。


「──何?」


 私と目が合うと、菜々美はふっ、と笑ってグラウンドに向き直る。


「やっぱ変わったよ、澪。御幸を見る目が前とは全然違う」

「──え?」

「いつだっけ、2人で試合観に行ったじゃん──1年の時かな、甲子園予選の準決勝。あの時と御幸を見てる表情が全然違うよ」

「……そんなことないよ」

「無意識に出ちゃってんだろーね。前は友達として応援に来てる感じだったのが、今は好きな人を見つめる視線がとろけちゃってもう──」

「──それ以上言わないで」


 指摘されて無性に恥ずかしくなって「もうタオルかぶる!」と言い放つと、帽子を取って持参していたタオルを頭からかぶった。これなら表情を見られる事も無い。


 確かに、今までの私なら選手1人1人に注目して試合を見ていたはずなのに──今日は御幸にばかり目がいく。気が付くと御幸を見ている。

 もっと、沢村くんや降谷くんや倉持くんや選手はいっぱいいるのに──


 菜々美の指摘が的を得ているのが分かると、タオルの上から帽子をかぶり、防備を固めた。










 試合は危なげなく青道の勝利で終了した。「ナイスゲーム!」「次も頑張れよー!」という声と、両校の頑張りを讃える拍手でスタンドが湧く。

 何かすっきりした気分でスタンドを出る。御幸の力強いプレーを見れただけでもう満足だった。


「立木!」


 菜々美と並んで球場を出ようかという時、聞き慣れた、でも久し振りに聞く声がして振り向くと、スポーツサングラスを早々に外していつもの眼鏡に戻っている御幸の姿があった。
 駆けてきた御幸は私達の前で立ち止まると、膝に手をついてから姿勢を正した。


「試合終わってから礼ちゃんに聞いてさ、立木が来てるって──ありがとな、見に来てくれて」

「ちょっと、私もいるんですけど」

「……早川にも言ったつもりだけど?」


 御幸と菜々美の不毛な言い争いを他人事の様に聞いていたら、菜々美がニヤニヤしながら私に耳打ちしてきた。


「……向こうで待っとくから、ごゆっくり〜」


 菜々美はそう言い残して手を振ると、私達から離れた。私は菜々美に「ありがとう」と言うのが精一杯で、御幸の顔もまともに見られない。


 “礼ちゃん”


 この単語がどうしても引っ掛かっていた。中1の時から青道にスカウトされていた御幸が、信頼のおける高島先生をどう呼ぼうが気にする必要もない──のに。


「──おーい、立木?」


 私の目の前に掌をかざしてヒラヒラと動かしている御幸に、ゆっくりと口を開いた。


「──集合は、まだなの…?」

「あとちょっとなら──立木?」


 返答を聞いた後御幸の腕を掴むと、死角になりそうな球場の柱の陰に御幸を引っ張った。


「お、おい──」


 私はその場にしゃがみ込むと、落ちていた小枝を拾って地面をカリカリと掘った。そんな私を見た御幸は隣に腰を下ろし、少し動揺しながら私の顔を覗き込んだ。


「……どうした?」

「……高島先生って、胸大きいよねー…」

「…は!?」

「どのくらいあるんだろ……スーツの上からでも分かるくらいだから──腰も締まっててお尻も出てるし」

「──おい、立木サン??」

「御幸がハマってた女優さんいたじゃん、長澤なんとかって……あの人も巨乳だし──御幸って胸大きい人好みなの?」

「ちょ、ちょっと立木──!?」

 御幸は両手で私の肩をがしっと掴んだ。その力強さに我に返ると、御幸はなんとも複雑な表情で私の顔を見つめている。


「──なんかあった!?」


 妙に焦った様子の御幸を見て、私は自分が喋った言葉を反芻した。ぼーっとして話したことが、それはそれはヒドイ内容でみるみる顔が赤くなる。背中には汗が流れた。


「──あ、いや、今の、聞いて、た?」

「……バッチリ」

「ご、ごめん。独り言!ホントにごめん!気にしないで、ね!?」


 呆然としている御幸に私は大慌てだ。遠くで「御幸先輩〜」と御幸を呼ぶ声が聞こえる。おそらく青道の部員だろう、と勢いよく立ち上がった。


「──御幸、集合だって!次も応援するから!じゃあ──」


 一歩足を踏み出そうとした時、後ろから腕がぐっと引っ張られた。


「み、御幸!呼ばれてる!」

「……いやー、今の立木はちょっと離せねーわ」


 御幸の眼鏡が逆光で光っていてどんな表情をしているか分からない。御幸は「無理無理」と言いながら私を再び座らせた。


「──何で礼ちゃん?長澤ちゃん?」

「……え?」

「なんか気にしてんの?」

「……いや、別に……」

「胸のこと言ってたけど、俺とシてから気になってんの?」


 自分でもちゃんと理解していなかった悩みを御幸に言い当てられて、私の顔は一気に紅潮した。今までにないくらい熱くて、絶対みっともない顔をしているのは間違いない。
 やっと認識できるようになった眼鏡越しの御幸の瞳は、嬉しそうな面白がっているような、私にとっては厄介の何物でもないものだった。

 ニヤニヤしながら「ん?」と問い詰めてくる御幸に観念し、不本意ながら小さく頷き下を向いた。


「……男はやっぱり、大きい方がいいよね、って思って……」


 口に出すととてつもなく恥ずかしい。しかも彼氏の試合終わりに、球場の隅でする話じゃないと心の中で突っ込んだ。

 ずっと私の腕を掴んでいた御幸は、そのまま手を移動させると、私の掌を握った。
 

「──そーか?俺は別に……」

「……」

「てかこんな立木見せられたら他の女は勝てねえ」

「……は!?」

「立木の胸はすんげえ柔らかかったからさ、それで十分」


 思わず顔を上げると、御幸は空いている手で胸を揉む仕草をした。わきわき、と。

 それを見て瞬時に頭が沸騰した。


 「ぎゃ────!!!」と絶叫し御幸の手をバッと振り払うと、御幸を探している青道部員めがけて走った。


「あ、澪さん!!来てたんすか!?」


 その部員は沢村くんだった。「御幸先輩知りません!?」という問いには答えず、混乱冷めやらないまま沢村くんに尋ねる。


「沢村くん!油性マジック持ってない!?」

「は?マジックっすか!?」

「あのエロメガネを見えないように塗りつぶす!!」


 何の事だか分からない沢村くんは慌てていたが、御幸が私の後ろから姿を現すと「御幸先輩のことっすね!分かりやした!」とダッシュで戻っていった。


「ピンクがいいんじゃない?御幸にピッタリ」


 いつの間にか近くに来ていた菜々美が、ピンクメガネにしようと提案してきた。御幸が傍に来たのが分かると、息も荒く菜々美の背後に隠れる。


「──元はと言えば立木から言い出したんだからなー」

「……っ、いやでも御幸が悪い!さっきのは!」

「澪さーん!黒マジックならありやした!」


 青道の部員を何人か引き連れて沢村くんが戻って来た。


「御幸がこそこそ彼女と会ってんぞー」

「くっそー許せねえ」

「立木さん!俺が押さえとくからやっていいぞ!」


 その中の1人だった倉持くんが御幸を羽交い締めにすると、私は沢村くんからマジックを受け取った。


「え?マジ?てか集合なんだろ、監督に怒られっぞ」

「問答無用!」


 マジックのキャップを開けると、それを見た御幸は見たことのない速さで倉持くんの腕を払い、勢いよく走り出した。


「あっ逃げた!」

「待てコラ御幸ぃ!」


 青道部員が御幸を追いかけるため、一斉に元来た道をダッシュで引き返していく。私は沢村くんにマジックを投げ返して、ありがとう、と笑顔で手を振った。










(100000HIT記念リクエストより:Hello, my Friend 番外編 試合後に周りに内緒で会っていたのにバレてからかわれる)

2015.10.19



 






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