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浴室のドアが開いた音がしたので目を向ければ、タオルで頭を拭きながら御幸が姿を見せた。中学の時から知っているのに、濡れ髪にラフな部屋着姿は初めて見たので一瞬だけ緊張した。
そんな御幸を見た私は洗面所に向かい、ドライヤーを手にリビングへ戻った。
「御幸、髪これで乾かして?」
ソファに座っている御幸にドライヤーを差し出すと、私より目線の低い御幸は自然と上目遣いになり「いいよ」と拒否する。
「俺あんまりドライヤー使わねーんだ、自然乾燥」
「──いいの?」
「いいから、立木は風呂入ってこいよ」
なんだこの、こなれた同棲カップルみたいな台詞は。と固まったが、ソファの前のテーブルにドライヤーを一応置いて、御幸にコンセントの位置を教えてから自室にパジャマを取りに向かった。
──なんか、落ち着かない。
自分の日常生活を過ごす場所に御幸がいる。学校では当たり前でも、それは中学までの話だ。高校生になって3年目、私達は別々のステージで成長している。身体的にも、精神的にも。
御幸の声や、瞳や、言動や、体格が「今の御幸」をダイレクトに突きつけてきて、私はそれだけでいっぱいいっぱいだった。
お風呂から上がってリビングの扉を開けると、ソファでくつろぎながらテレビを見ていた御幸がこちらを振り返った。
「……」
「あ、何か飲む?お水でいい?」
「ん、サンキュ」
私は冷蔵庫からペットボトルを取り出し、2人分のコップに水を注ぐと、テーブルに持っていく。御幸に手渡した後、一瞬座る場所に迷ったが御幸の隣に腰を下ろした。離れて座るのも何か変だし、かといって真向かいに座るのも違うかな、と思った。
「何見てたの?」
「ちょうどスポーツニュースやってたから」
「そっか。──あ、プロ野球」
肩に掛けていたタオルで髪をポンポンと拭いていると、御幸の視線がテレビから私に注がれた。
「立木こそ髪、乾かさねーと」
御幸はテーブルからドライヤーを取ると、プラグをコンセントに挿した。
「ありがとう」
「──俺が乾かしてやろーか?」
「ええっ!いいよ、自分で出来るからっ」
御幸の予想外の申し出を慌てて断り、無理矢理ドライヤーを受け取った。ドライヤーのスイッチを入れようとした私は、ふと手を止める。
「今使うとテレビの音聞こえなくなるから……洗面所で乾かしてこようかな」
「別にいいよ、真剣に見てた訳じゃないし──ここで座ってゆっくり乾かせよ」
う、うん、と有難く頷くと、私はドライヤーの電源を入れた。ゴー、という音と共に髪の毛が熱風に揺れる。
テレビの映像を見ながら手を動かしていたが、ふと隣を見ると御幸はテレビじゃなく私を見ていた。
「な、何?」
「やっぱり後ろは俺が乾かす」
え、と面食らっていると、御幸は私の手からドライヤーを取り上げ、私に「後ろ向いて」と合図した。御幸の意図が分からなくてそのまま指示に従うと、私の髪を御幸が軽く掬いとった。
ドライヤーの風を当てながら御幸が私の髪に触れる。御幸の姿が見えず、指の感触だけが伝わってくるこの状況に私は身を竦めた。
しばらくされるがままになっていると、御幸が小さく呟いた。
「……いい匂いする」
「──え?でも今日は御幸も同じシャンプー使ったでしょ」
「うん……でも何か違うんだよな、柔らかいし」
御幸の指が私の髪をすくのが気持ち良くなってきて目を閉じると、背後から聞こえる声が少し低くなった。
「──凛さんが気ぃ回してくれたことだけど」
この後のことを言われてるのが分かって、身体が強張った。御幸は変わらず私の髪を乾かしてくれている。
「……正直したいのはやまやまだけど、立木が嫌ならしない。無理矢理すんのは趣味じゃねえし」
「……うん」
それだけ言うと、御幸は喋らなくなった。私の髪に触れる手は止まっていないけれど。
御幸の表情は見えないが、声で真剣なのはちゃんと伝わってる。
御幸が好き。その気持ちは想いが通じ合った時よりも明らかに増している。
御幸が言葉で正直に伝えてくれたことで、逆に私は落ち着きを取り戻した。
「……私も御幸と──したい。……初めてだから、迷惑かけちゃうと思うけど」
自分でも驚くくらい穏やかな気持ちで、自然と言葉が紡がれた。
私の言葉を聞いた御幸は、ドライヤーのスイッチを切った。
「それなら俺だって初めてだからお互い様だよ」
大体乾いたぜ、と髪を触りながら口にした御幸の言葉に、私は勢いよく振り返った。
「え、ええっ!?」
「え?」
「み、御幸初めてなの!?」
「……うん、悪い?」
「……いや、てっきり年上女性との経験があるものとばっかり……」
「……立木以外に付き合ってた女なんていねーけど。しかも何、年上って」
そんな誤解してたなんて軽くショックだなー、と言いながら御幸がそっぽを向くので、私は慌てて御幸の手を掴んだ。
「ごめん!私の勝手な勘違い!」
「立木にそんな話したことないだろ?」
「……だって、分かんないじゃん。私も御幸の全部が分かってる訳じゃないし……御幸が私に言ってなかった、ってこともあるかもって」
青道に入ってからのことなんて、尚更分からない。自分で言い出したことにも関わらず少し落ち込んだ。
そんな不安を感じ取ったのか、御幸は私に向き直ると私の手をきゅっ、と握った。
「ねーよ。俺が野球ばっかりって立木が一番よく分かってるだろ……てか立木、手、荒れてる?」
私の手を裏返すと、御幸は手の平をまじまじと見つめた。
「──長年家事やってるから。周りの女子高生よりは荒れてるよね」
触り心地悪くてごめんね、と苦笑いで答えると、御幸は私の手を優しく包んだ後自分の手の平を私に見せた。
「俺もマメだらけだし」
御幸の手の平に目を奪われた私は、そうっと指先でその手に触れた。
硬くて、強い。今までの御幸の頑張りが一目で分かる、全てが凝縮されたような、手。
「──勲章だね」
私の言葉に、御幸は照れたようにはにかんだ。
「それを言うなら立木もだろ?」
お互いが同じタイミングで見つめ合うと、自然と笑顔がこぼれる。
どちらからともなく手を握り合い、顔を近づけた。
静かに唇が重なり合う。
御幸が乾いた私の髪に手を差し込む頃には、キスは深いものへと変わっていた。
2015.6.2