ただ、そこに在る


 ただいま、俺はそう言って部屋の扉を開けた。といってもここは俺の家かといえば少し違う。靴を脱ごうと足元に目を向けると、女物の靴が一足並んでいた。鍵が開いていたから分かってたけど、今日も俺より先に帰ってきてる。


「おかえりー」

「おう、…なんつーカッコしてんだお前は」

「え、これ?そんな言うほどのことかな」

「…背中ばっくり見えてんじゃねーかよ」


 今日はいつも通り朝練で澪より早く家を出たから、寝間着姿の澪しか見ていなかった。俺の一日は朝練から始まり、大学の講義後また野球の練習。同じ大学に通っていても、学部も違う澪とは夜にしか顔を合わせない。

 澪とは青道高校で知り合い、卒業後に付き合いが始まった。澪から「付き合って」と言われ、それまで普通に仲良く友達として接してきた俺に断わる理由は無かった。

 お互い大学3年生。俺は入学後の2年間は野球部の寮にいたが、3年になる前に澪の部屋に転がり込んだ。俺が寮を出ようか迷っていた時に、すでに1人暮らしをしていた澪が「じゃあ家に来れば」とあっさり言ってきた。


「…そのカッコで大学行ったのか?」

「これだけじゃ寒いよ。ちゃんと上にダウン羽織って行ったよ」

「……」


 どうしたの、と無言になった俺の顔を覗き込み、澪は素知らぬ顔をして聞いてくる。こいつは分かってんのか。上着を着て行っても講義室は暖房入ってっから着いたら脱ぐだろうが。背中がパックリ開いたニットなんか着やがって。


「…ちょっと背中見えすぎだろーが。考えて服選べよ、女子大じゃねーんだぞ」

「大丈夫だって、私なんて誰も見ちゃいないよ。お父さんみたい、洋一」

「誰がいつお前の親父になったんだよ!」

「あはは、…あ、お風呂沸いてるよ。入ってくれば?その間にご飯用意しとく」

「…〜っ、おう」


 冬でも野球をすれば汗をかく。運動をすれば腹は減る。俺のそんな心を見透かしてか、澪は俺が今一番望んでいる事を先に言ってくれた。





 澪は自炊派で、1人暮らしを始めてからやりだした料理もなかなかのものだった。風呂に入って腹も満たされれば今日の疲れも自然と取れていく。

 食器の片付けを始める澪に、俺は言わなければならない事を思い出した。


「澪、俺明日野球部の奴らと飲みだから」

「あ、そーなの。合コン?」

「!?野球部で、って言ってんだろ!」

「…いや、野球って冬はオフシーズンじゃん。この間に女の子と遊ぶのかと」

「なわけねーだろが!!男だけだから明日は!」


 はいはい分かった分かったー、と軽く笑いながらキッチンに向かう澪を眺めながら、俺は深く溜息をついた。


 …あいつ、俺の事本当に好きなのか??


 普通彼氏が合コン行くのなんて、女は許さねえんじゃねーのか。何であいつは笑いながらこんな話が出来るんだ。さっきの口ぶりだと合コン行ってもいーよ、くらいのノリだったぞ。


 付き合って丸3年になる澪に、俺はただの同居人としか思われてねーんじゃねーのか?


 俺は考えても答えが出ない問題に頭を悩ませることになった。






*****



 翌日の飲み会、メンツは野郎だけだと聞いていた俺は面食らった。


「あーっ、倉持くん!大学野球で結構名が知れてるんでしょ!?今日はよろしくね!」


 野球部の奴らは俺入れて5人。店に入って通された部屋には、俺らと同数の女子がすでに座っていた。

 俺は小声でチームメイトの胸倉を掴む。


「おい、聞ーてねーぞ」

「はは…。言ってたら倉持絶対来ねーだろ、彼女思いだからさ。でも倉持が来るなら、って女の子達集めれたんだよ〜頼むよ、今日だけ!な!?」


 まさか澪が言った事が本当になってしまうとは。俺は頭を抱えたが、こうなってしまった以上逃げれなさそうだ。顔を上げると野球部の奴ら全員俺に頭を下げている。


「…わかったよ」


 サンキュー倉持!!と予想以上に喜ばれて戸惑ったが、適当に飲んだら帰ろうと思った。


 飲み会が始まって、男女共自己紹介をした後酒飲みながら話を振ったり振られたり。でも俺は適当に相槌を打つだけだった。やたらくっついてくる女がいたけどやんわり断った。女子にどう思われようが関係ねえ。


 俺は無性に、澪の待つ家へ帰りたくなった。







「ただいま」


 俺は一次会で早々に切り上げて帰った。玄関を上がると、ちょうど風呂上がりであろう澪が洗面所から顔を出した。


「おかえりー、思ったより早かったね」

「ああー…」


 俺は着替えようと澪の前を通り過ぎる。風呂入りて―けど飲んだしどーすっかな。


「…やっぱり今日合コンだったんじゃん」


 いつもより少し低い澪の声が聞こえて、俺は振り向いた。
 俺は何も言ってねえのに、何で。


「え、いや、今日は」

「隠さなくていいって。香水の匂い、すごくするもん」


 隣に座った女の香水が確かにキツかったのを瞬時に思い出す。


「違えんだよ、俺だけ女が来ること知らなかったんだよ」

「別に怒ってないって。楽しかった?」


 澪の言葉を聞いた途端、俺の中でプチンと何かが切れた。澪が思ってることがさっぱり分からねえ、イラつく。


「――何でそんな平然としてられんだよ!」


 俺は予想以上に声を荒げてしまった。澪は少し驚いたのか目を見開いた。


「普通、彼氏が女と合コンしたら嫌なんじゃねーのかよ!?それとも俺だから何とも思わねーのか?」


 俺は最近自分の中に湧き出た疑問を澪にぶつけていた。俺のこと、恋人として好きなのかそうじゃねえのか。


 澪は無言のままだったが、俺がマジなのを察してか、俺の手を取るとリビングに引っ張っていった。

 澪は俺に座ってと促すと、俺の前に座った。
 澪は俯いたまま、俺を見ようとはしない。


「…私は洋一の空気みたいな存在で、いいの」

「…あ?」

「目には見えないけれど、いつも傍にいる。洋一が必要な時、感じてくれればいい」


 俺は、澪の言葉に絶句した。何て言っていいのか分からねえ。
 顔を上げた澪は、笑顔を見せるけどいつもの明るい笑顔では無かった。


「それに空気だったら、別れる心配も無いし」

「澪…」


 澪は無理をして言っている様には見えない。本当に常にそう思っていたかのように言葉を紡ぐ。

 今度は俺が下を向いてしまった。


「…澪が空気だったら、俺は触れねーじゃねーかよ」

「あー、そうか。そうなるね」

「俺は澪に触りてえし、感じてえ。…澪はそうじゃねえのかよ」

「私は…」


 俺は澪の言葉を聞く前に澪を抱きしめた。痛くないように、でも強く。


「俺は澪を抱きてえと思う。――澪は?俺が好きじゃねえのか?」

「…なんか洋一、乙女だね」

「…茶化してんじゃねえよ」


 俺の腕の中でふ、と笑った澪は、俺の背中に手を回し力を込めた。


「だって空気になりたい、っていう位だから。好きや愛を通り越してるよね」


 俺はますます澪を強く抱いた。お互いが力一杯抱きしめ合う。


「――洋一が、大事なの。大切なの」


 澪の声がだんだん涙をおびているのが分かった。








「…今日は寝かせられねえから、覚悟しとけよ」

「…ふふ。じゃあその香水の匂いシャワーで落としてね」








 お互いの腕の力は緩まない。

 空気よりも感じれる。愛する人の温もりを。











(50000HIT記念リクエストより:同棲していて長く付き合ってるさばさばした女の子と倉持)

2015.2.3







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