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御幸はお母さんと一緒に寮の部屋に行ってしまった。その間、私は青道野球部の食堂内で待機することにした。お母さんを青道に連れてくるという任務が済んだ今私にはやることがないが、お母さんはこの後仕事も無く直帰だというので一緒に帰るために待つことになった。
食堂のテーブルと椅子を借りて学校の課題でもしようかな、と考えていた時、ユニフォーム姿の男の子が目の前に立ち塞がった。
ちわす!と挨拶をしてくれたその子は、甲子園予選も秋大にも出てた子だから顔は覚えている。
「うちのキャップとどういったご関係で!!?」
ンフー、と鼻息も荒く私の返答を待つその人は──名前、なんだったっけ。
私は試合を思い出しながら、ふっと頭に浮かんできた名前にあ、と手を打った。
「サウスポーの沢村くん!背番号18!」
するとその沢村くんは私の顔を見ておお!と感嘆した。
「俺のことご存知でしたか!!」
「うん、夏の大会も秋大も決勝戦見てたから。面白い球投げるよね」
俺も名が知れ渡ってきているな……と感慨深げにしている沢村くんを眺めながら、まだ質問に答えていなかったことを思い出した。
「さっき聞かれたことだけど、御幸は中学の時からの友達だよ」
「──友達っすか!俺はてっきり御幸センパイの彼女さんかと──」
……懐かしい。中学の時にこんな質問されたなあ、と遠くを見つめる。
「違うよ。御幸、青道に彼女いないの?」
「あのヤローは意地悪いから絶対いねー!!……あ」
言い過ぎた、と沢村くんはすぐに口を押さえたが、時すでに遅し。
私は思わず噴き出してしまった。
「──沢村くん面白いね。あいつの意地の悪さは今に始まったことじゃないよ、もう筋金入り」
笑いを堪えながら返答すると、あんた話が分かる人っすね!!とお褒めの言葉をもらった。
ホント面白い子だなあ。
「私、まだ名乗ってなかったよね。立木澪、2年です。よろしく」
そう私が挨拶をした直後、後ろから沢村くんに強烈な蹴りが入った。
──痛そう。
「何するんすか、倉持先輩ィ!!」
「お前、グラウンド集合だって言ってたの忘れてんじゃねえよな、あ?」
そうだった!!と沢村くんは我に返ると、じゃあ失礼しまっす!!と言って食堂から急いで出て行った。
私の存在が気になっていた部員は他にもいたようで、沢村くんがグラウンドに向かうとその後を追うように皆慌てて走り出した。
ただ1人、沢村くんが「倉持先輩」と言っていた人だけは私の目の前に立たずんだままだった。
倉持、って確かショートの子だったはず、と思っていたら、その倉持くんは私をじっと見ていた。
「……?」
「……ここ、好きに使っていいスから」
「あ、ありがとう」
そう言い残すと、倉持くんは走って食堂を出て行った。
課題をしながら過ごすこと1時間弱、お母さんが食堂に入って来た。
野球部の人達はまだ練習中だ。
「お母さんお疲れー」
「御幸くんの状態みたけど、しばらく定期的に診に来た方がよさそうね」
「ひどいの?」
「かなり悪い、ってわけじゃないけど、ケアは怪我してすぐが肝心だから」
「そっか。ありがとう、御幸診てくれて」
するとお母さんの携帯が鳴った。会話の内容から相手は仕事先のようだ。
あ、これから仕事入ったな、これは。
お母さんは電話を切ると、顔の前で手を合わせて私に申し訳なさそうな表情を見せた。
「待っててくれたのにごめん!澪!」
「いいって。仕事入ったんでしょ?」
「うん……本当にごめんね。お母さんこれから御幸くんの事で先生方とお話ししてくるから。澪は凛と帰りなさい、凛に車でここまで迎えにくるよう言っとくから」
「え、いいよ。1人で帰れるし」
「だめ。これくらいはさせて。凛は今日家にいるでしょ」
私が再度断ろうとする前にお母さんはすぐに凛ちゃんに電話して、青道まで迎えに来るように言った。
電話を切った後お母さんは自分の荷物をまとめると、あ!と大きい声を出した。
「澪!ちょっと頼まれてくれない?これ御幸くんに渡すの忘れてたわ」
お母さんが私に差し出した紙袋の中には、湿布やテーピングといったケア用品の類が入っている。
「予備で多めに持ってきてたの。御幸くんに無くなったらこれ使うよう、渡しておいてくれない?やり方は教えてあるから」
私の返答など構いもせず、頼んだわよーと言うと、お母さんはさっさと食堂を出て行ってしまった。
……御幸のケアをお母さんに頼んだのは私だから、文句は言えないけど。
じゃあ御幸に渡してから帰ろう、と荷物を持ったところで、ふと気付いた。
お母さんの施術が終わった後だから、御幸はそのまま寮の部屋にいるんだろう。
……御幸の部屋って、どこだ。
しまった。お母さんに聞くのを忘れた。今から電話しようか、でも先生達と話すって言っていたし……。
私はお母さんには聞かずに、グラウンドに行って誰かに渡してもらえるよう頼むことにした。
食堂を出てグラウンドの方向に歩いていると、前からユニフォーム姿の人が歩いてきた。
ラッキー、この人に頼もうかな。
私は前から歩いてくる部員の人に近寄ると、その人は先程食堂で顔を合わせた倉持くんだった。
「──あ、倉持くん、だよね?」
倉持くんは、私から話しかけられたことに少し驚いたようだった。
「……ああ。──御幸は?様子見て来いって言われて戻ってきたんだけどよ」
「もう終わったよ。まだ寮の部屋にいるみたい。それで母から御幸に渡してくれ、って頼まれたものがあるんだけど……私部屋の場所分からないから倉持くんから渡してもらってもいいかな」
練習中にごめんなさい、と付け加えて倉持くんに母から渡された紙袋を差し出す。
でも倉持くんは受け取ろうとせずに、何か考え込んでいる風だった。
「……俺まだ練習中だから、悪ぃけどあんたが御幸の部屋に持って行ってくれねえかな。2階の奥から3番目の部屋だから」
「……え?だって寮の部屋って、部外者は入っちゃまずいんじゃ」
「あんたの事はさっき食堂で皆知ったから大丈夫だろ。じゃあそういうことで」
そう言うと、倉持くんは来た道を引き返していった。
………。
いいんだろうか。でももう自分で御幸のところに行くしかなさそうだった。「練習中だから」と言われたら何も反論できない。
私も引き返して、教えてもらった寮の御幸の部屋へと向かった。
「お膳立てはしてやったからよ……御幸」
倉持くんが呟いたその言葉は、私に聞こえてる筈も無かった。
2015.1.29