Father's permission side 立木澪
「ニュース見た? 御幸が結婚だって!」
「見たよ〜相手は中学の同級生でしょ? それが意外だった!」
「え、芸能人じゃないってことが? あー……イケメンだから女子アナとかに目つけられてただろーね間違いなく」
「やっぱりプロ野球選手は結婚早いよねー。御幸ファンの女子減りそ〜」
平日の昼休み帯を過ぎた時間で、店内の混雑も無く空いており、女子3人組のヒートアップしたお喋りが一層室内に響いていた。
ひとしきり盛り上がっていた女子達は、食事も一段落したところでテンションが上がったまま店を出て行った。
「……だってよ? “中学の同級生である一般女性” サン」
私の向かい合わせに座っている菜々美が、少し声を抑えて淡々と言葉を投げた。
「……私、刺されるのは覚悟してます……」
「何言ってんのよ、御幸がそんなことさせるわけないでしょ。マスコミにも澪に接触するなって強く言ってるって聞いたわよ」
「……倉持くんに?」
「中学の同級生だってことは割れてんだから、同級生や卒業生経由でバレるのは時間の問題だろうけど。それも分かってる上での牽制でしょ」
私が聞いたことは見事にスルーされ(多分予想は合ってる)、ランチを食べる手は止めずにいつも通り淡々な態度の菜々美に、“結婚しても今までと変わらない” 空気が流れている気がして、自然と顔が緩んだ。
ちぎったパンを口に運びながら、ふと菜々美の視線が私の左手に固定されたのに気付いた。
「──まー立派な指輪で。御幸のわりにはよくやったわね。ま、今までのことを思えば当然だけど」
「? どういう意味?」
「中学の時から御幸に世話焼いて、トータルで考えても全然高くないから。同価値、いやそれ以上」
私は少し前にもらった婚約指輪を顔に近づけて、改めて凝視してみる。
外出時に着けていても邪魔にならない、かといって大人しすぎない絶妙なデザインの“それ” 。
「──そうかな。……私には高価すぎるよコレ。婚約指輪にこんなお金かけなくたって」
思わず漏らした本音に、菜々美は「いーから貰えるものは貰っときなさい」と独りごちた。
「今日着けてるってことは、夜御幸と会うの? 今日デーゲームでしょ」
一也の試合スケジュールを菜々美が分かっていることに驚いたが、倉持くんと付き合っていることを知っている今ではすぐに納得してしまう。私は口に入っている食べ物を飲み込む前に、言葉は発さずに頷いた。
「うん。私だけ先にね、一也の実家に行くの」
「──へえ、今日挨拶するの? 御幸は?」
「試合が終わったら直で来ることになってる。その前におじさん……お義父さんに挨拶したいなと思って」
だんだん恥ずかしくなって下を向いて告げたら、案の定菜々美はニヤニヤしながら私を見ていた。
「試合観に行けばいーのに。そしたら2人で一緒にご挨拶行けるのに」
「……当分の間は行きませーん」
「御幸ファンは大丈夫だって。ただ単に照れてるだけのくせに」
全てお見通しの菜々美に、私はランチに集中することで誤魔化した。
*
日も暮れてきた頃、私は一也の実家の呼び鈴を鳴らした。『御幸スチール』という工場と住居が併設されたこの建物は、私と一也が子供の時と比べても外観が綺麗になったくらいで大きい変化はない。
一也がプロ野球選手となり収入が右肩上がりになった頃から、工場や住居の増築を打診したそうだが、おじさんは一也の提案は全ては受け入れなかったそうだ。工場の機械はおじさんが長年手を入れているからそのまま使用したいということで、新規機械の導入はしなかった。結局、工場建物内外部のメンテナンスと、2階の住居部分のリフォームで落ち着いたという。2階に上がる階段が、幅が広くなり頑丈な造りになっていた。
ピンポーンという軽やかな音が響いてしばらくした後、ゆっくりとドアが開いた。
「──いらっしゃい、澪ちゃん」
姿を見せたおじさんは学生の時と比べると確かに老けたけれど、微かに笑った目元や表情は変わらない。
私は少しホッとすると、頭を下げた。
「こんばんは。今日はお時間をとって頂きありがとうございます」
「こちらこそ、わざわざ来てくれてありがとう。……あ、じゃあ上がって」
大きく開かれたドアに、私は心情を悟られないように中に入った。ここには今まで何回も来てるけれど、今日は目的が目的だけに緊張は続いている。
靴を脱いで室内を見渡すと、買い替えられた家具や家電を含め、リフォーム効果か学生の頃訪れた時よりもすっきり広く感じられた。
「わー……中広くなったように感じますね! 増築していないのに」
「物の配置を変えるだけでも全然違うって身に染みたよ。一也も “自分の家じゃないみたいだ” って」
「あはは、じゃあ私お茶入れますね! あ、ビールの方がいいですか?」
つい昔の癖が出たのを聞いたおじさんは苦笑した。
「いや、澪ちゃんは座ってて。今日はそんな事させるわけにはいかないから──書類、持って来てるんだろう?」
「あ、はい!」
書類──婚姻届は、おじさんに記入してもらうところだけが空白となっていた。私は促されるままリビングテーブルに着き、鞄から婚姻届けが入っているファイルを取り出す。 証人欄には、私の父親の筆跡が存在を主張していた。
おじさんがお茶を入れたカップを持ってくると、私の向かいに座った。
「先に書いてしまおう。この空いている証人欄でいいのかな」
「──はい。よろしくお願いします」
「失敗できないから緊張するなぁ」とおじさんは言った後、ペンを走らせる。私自身はすでに書き終わっているのに、その様子を眺めながら更に緊張してしまう自分がいた。
おじさんが婚姻届に押印すると、書類はめでたく完成した。
すぐに提出できる状態の婚姻届を、おじさんから渡される。両手で受け取ると、自然と感謝の言葉がついて出た。
「ありがとうございます」
着席したままできる限りのお辞儀をした後、おじさんはペンにキャップをしてから姿勢を正すと頭を下げた。
「いや、こちらこそありがとう。……一也を選んでくれて」
おじさんの何気なく言ったであろう一言に、私は返答に詰まった。
「──澪ちゃんで、良かった」
一也にプロポーズされた時よりも、スポーツ新聞に結婚の記事が載った時よりも、周りに祝福された時よりも。
今のおじさんの一言が一番、結婚を実感できたかもしれない。
ストンと心の中に落ちてきた言葉をかみしめると同時に、目に涙が溜まる。
零れないように、目を開いたままいつも通りに喋ろうとするけれど、声が震える。
「そんな、こと、ないです。私の方こそ、おじさんと家族になれる、なんて、すごく嬉しっ……」
今までの事を思い出して、もう堪えきれなくて──しゃくり上げてしまった私を見たおじさんは、腰を上げて慌て出した。
私は私で、泣いたことでおじさんに気を遣わせてしまっていることが申し訳なくて謝ろうとすると、玄関のドアが開く音がした。
私とおじさんは同時に音の方向に目を向けると、「ただいま」と言って荷物を置いた一也とバッチリ目が合う。
私とおじさんを見た一也は目を見開くと、体勢もそのままに声を上げた。
「……何泣かしてんのー」
「いや、これは──」
返答を求められたおじさんが更に動揺しているけれど、私は首を横に振るだけで精一杯で、言葉が出てこなかった。
一也も、テーブルに広げられている書類や、私とおじさんの様子を見ると状況が読めたようで、口角を上げる。
おじさんは何とか空気を変えようとしたかったのか、今まで見たことのないオーバーな身振りをした後、思い出したことを大きめの声で告げた。
「──そうだ、寿司を頼んであるから。もうすぐ持って来てくれると思う」
「おー」
「一也もほら、澪ちゃんの隣に座って」
おじさんのテンパり具合が興味深いのか、一也はニヤニヤを抑えられず私の隣に座る。
私の隣には、一也と。
私の目の前には、おじさん──ではなく、お義父さんと。
そして、この家のどこかで見守ってくれてるであろう──お義母さんと。
私はもうすぐ御幸家と──正式な家族になる。
2019.11.25