花形部長と新入社員


 常々、この会社に入れてラッキーだったと思う。

 広いフロアだけれど、私の席から遠いけれど、遠目でも分かる“出来るオーラ”を放っている我が部長──花形透。名前を唱えるだけでも恐れ多いし恥ずかしい。このお方を見つめることができるだけで、私はここの社員になれて良かったと思うし至福だ。
 一目見て心臓に矢をぶち抜かれたくらいの衝撃があった。もちろん死んではいない。今思えば、就職試験の最終面接で花形部長に「貴方はどうしてこの会社を志望したのですか」と聞かれた時に違う意味で落ちた。名前の字面の如く完璧で隙がなく、仕事も出来て、極めつけは優しい&独・身! 若くして得た地位に威張ることもなく、部下を指導するその様を見てるだけで、私は『今日も良い人だ、とても良い日だ』と思うのだ。


「ちょっと兵藤さん、おいコラ」


 顔を向けている方とは逆の肩を叩かれ、我に返った。ここは私の夢の神域でもあるが、仕事場だった。
 「すみません。何でしょう」と振り返ると、私を呼んだ隣の席の先輩がやや呆れ顔だった。


「朝言った書類、出来てる? プリントアウトして出して」

「あ、はい。出来てます」


 この作業が終わって安心したのをいいことに、花形部長に見惚れていたのだ。用意していた書類を先輩に渡すと、先輩はすぐにチェックを始めた。


「うん、オッケー。ありがとう。部長に見入ってて終わってなかったらどうしてやろうかと思った」

「あんまり大きい声で言わないで下さいっ。先輩しか知らないんですから!」

「……兵藤さんの行動見てたらバレバレだけど」

「え! 一度も言ったこと無いですよ!?」


 私の返答に先輩は真顔になり溜息をついた直後、昼休みを知らせるチャイムがフロアに響いた。席を立つ社員が多い中、持参したお弁当を机の上に置いた先輩が何かを思いついたようでニヤっと笑った。


「そーんな兵藤ちゃんにいい話があるんだけど、聞きたい〜?」


 悪巧みしているのは明らかな顔で距離を詰めてくる先輩に、私は口を尖らせる。先輩は手作りのお弁当だが、私は出社前にコンビニで買ったお弁当。仕事でも女子力でも敵わない先輩に、常に主導権を握られたくないのが本音。


「誰さんと誰さんが社内で秘かにデキてる、とかいうのはもういいですよ」

「……花形部長についてのことなんだけどなー」
「聞きまーす!」


 挙手をして簡単に餌に食いつく私に、先輩は楽しそうに大いに笑った。癪だけど、背に腹は代えられない。
 部長や周りが席を外してるのを確認した後、サンドイッチをパクつきながら、私は先輩のデスクに体を寄せた。
  

「私の友達の友達に、翔陽高校のバスケ部だった人がいるんだけどね」

「翔陽……ですか」

「あれ、知らない? 花形部長って翔陽のバスケ部OBだよ」

「え……バスケ部ぅ!!?」

「背高いし、それっぽいじゃん。ポジションはセンターだったって」

「センター……チームの中心……!」

「いや、合ってるような合ってないような……ゴール下で点取らせないように守るポジションだよ。守備の要というか」

「要……! 流石花形! よっ部長!」

「……まあいーわ。で、その友達の友達が花形部長の2つ下でね。ちょくちょくバスケ部OB達で飲み会やってるんだって。私も元バスケ部だから、って縁で1回お邪魔させてもらったことあるんだけど」

「先輩!! 何て羨ましい! 花形部長とお酒を酌み交わすなんてっ……!」

「兵藤さんだって社内の飲み会で一緒になったことあるでしょ。それにそのOB飲み会の時は部長来てなかったよ」

「職場じゃない飲み会だと雰囲気違うかもじゃないですか〜。普段見せない花形部長が! 学生時代の親しい仲間にしか見せない花形部長が……!」

「だから来てなかったって言ってんでしょーが! 戻ってこい兵藤! じゃないと続き話さないよ!」

「……すみません。お願いします」

「……でね、翔陽バスケ部って強豪なのよ。特に花形部長の代って長身揃いで凄かったらしいの。特にキャプテンの藤真さんって人が超絶美男子だったらしくてね」

「藤真さん、ですか」

「カッコいいを通り越して美しい、って言われてたって。女子人気が神奈川県中に知れ渡ってて出待ちとかあったらしいよ」

「花形部長じゃないんですか」

「残念ながらね。で、ここからが本題」


 私の心からの主張も空しく、話は進む。女子ならではのお喋りも食べるのも止まる気配が無かったところに、先輩が更に私に顔を寄せた。


「今度そのOB飲み会にまたお邪魔することになったんだけど、兵藤さんも一緒に来る?」

「えっ!?」

「まだ藤真さんや花形部長は来るか分からないけど、学生時代の部長のエピソードは聞けるんじゃない?」


 先輩の話が思わぬ展開を見せたことに感激して、思わず先輩の手を取って握った。


「先輩……! あなたは神ですか! いいんですか!?」

「OBだけじゃなくてOBの友達もちょこちょこ参加してるみたいだからいいんじゃない? じゃあ兵藤さんも参加するって伝えとくわ」

「あ……ありがとうごぜぇます〜!!!」


 私は握っていた先輩の手も一緒にぶんぶん振った。今まで謎のベールに包まれていた花形部長の学生時代を知ることが出来るのかと思うと、涎が止まらない(決してサンドイッチに入っていたピリ辛マスタードのせいではない)。


「ちょっと話聞いたけど凄かったよ。部長が相手チームの肘鉄くらってメガネが割れて流血した話とか」

「メガネが割れて流血……!? 何ですかそのセクシー部長の話は!!」

「……このエピソードをそんな風に思える兵藤さんが凄いわ」

「え? そうですか? その話詳しく聞きたいです!」

「飲み会で聞いてよ翔陽のOBに……」

「え〜先輩! 生殺しなんですけど!」


 先輩はそれ以上答えてくれることはなく、昼食を食べた社員がフロアに戻ってきたのでこの話はお開きとなった。




*****





 信じられない、この状態。

 部長が、会社の飲み会でも上座と下座で一番遠かった花形部長が。
 今、私の目の前で日本酒を飲んでいる。

 そうですよね、花形部長はビールジョッキよりグラスの方が似合います。私はジョッキですけども。もう空にしてしまったけれど。

 今日お邪魔している飲み会は、“翔陽バスケット部OB会”と称して定期的に行われているとのことで、周りの男性は高身長でガタイのいい人ばかりだった。
 テーブルを挟んで私の前に花形部長がいる。一緒に来た先輩が何気なく座らせてくれたこの席。気が抜けば息が荒くなり、興奮を解放して襲いかかってしまいそうなので、必死に抑えていた。


「藤真さんは〜今もバスケやってらっしゃるって聞いたんですけどー」

 知らない女の人が、花形部長の隣に座っている男の人──藤真さんに話しかけていた。気づけば右を向けば男の群れ、左を向けばバスケ部OBを介して突入してきた、藤真さんを取り囲む女豹の群れだった。


「……ああ、今もやってるよ。コーチもしてる」

「やっぱり! 今度試合見に行ってもいいですか〜?」


 私の隣に座っている先輩も、完全に藤真さんの方に注目している。今日初めてお目にかかった藤真さんは、花形部長が在籍していたバスケ部の選手兼監督だったらしい。そして「私が女ですみません」と謝りたくなるほどの整ったお顔で、女子がキャーキャー言うのも頷けた。
 が、私は部長しか眼中にない。視線は常に目の前一直線。
 時折、部長が藤真さんと会話するのを羨ましく見ているだけだった。

 でも、いい。
 こんなに長時間、花形部長の近くにいれたことが今まであっただろうか。
 書類を直接部長に渡す課長や係長を疎ましく思い、上司が忙しいのをいいことに書類提出をかって出て(ほんの数回)、部長に「ありがとう」と一言言われただけで幽体離脱しかかったり。
 自販機で遭遇したら、何を買ったのかチェックしたり。
 その程度のことしか出来ていなかった私が、今この場所にいれるだけで奇跡なんだ。


「──さん。兵藤さん」

「兵藤さん、兵藤さん!」

「っ、はい!?」


 呼ばれていたのに気付かず、先輩に肩を叩かれて慌てて顔を上げると、花形部長が私と目を合わせていた。


「兵藤さんはバスケ好きなの?」


 一瞬、私に聞いているのか分らなかった。危うく“バスケ”という単語を取りこぼし「兵藤さんは俺のこと好きなの?」と誤変換してしまいそうになって、自分の歪んだ妄想入りの心を急いで引き締める。


「あ、いえ。今日は先輩が誘って下さって。でも──」


 何の興味もなくてこの場所にいるとは思われたくなくて、咄嗟に言葉を濁した。しかし、本当の思惑を言ってしまったら最悪にマズいことになるのは私でも分かる。


(花形部長が好きで、部長のことをもっと知りたくて、あわよくば部長と仲良くなってお近づきに──)


 「すいませぇん!図々しいですごめんなさいぃ!」と心の中で絶叫し、思わず頭だけ下げた。部長は「兵藤?」とまた声をかけてくれたので、必死で頭を回転させ別の表現を考える。


「……実は、部長のこととても尊敬していて。普段はじっくりお話しできることなんてないですから、この機会に部長のこともっと知れたらな、と思って……」


 テーブルの下で、先輩がこぶしを握り親指を立てていいね!ポーズをしてくれた。
 本能のまま叫ばなくて良かった。


「花形の部下なのか?」


 私の発言を聞いていたようで、部長の隣から藤真さんが私に視線を移して聞いてくる。
 どの角度から見ても顔が整っていて、部長と同い年らしいことに驚く。


「はい。部長は仕事も出来て、優しくて、とても頼れる上司です」

「まーなー、花形はバスケの時も頼りになるヤツだから。セクハラの心配もねーし?」

「おい藤真、余計なことは──」


 花形部長が少し狼狽えたと思ったら、どこからか携帯のバイブ音が聞こえ始めた。ポケットから携帯電話を取り出した部長は、画面を見てから「悪い、会社からだ」と言って席を立つ。
 私はかなり残念なのを抑えつつ、部長が視界から見えなくなるまで見送っていた。


「──花形気に入ってんの?」


 唐突に前から発せられた声に思わず顔を向けると、藤真さんがグラス片手に不敵な笑みで私を見ていた。
 部長は今ここにはいない。隠す相手もいないとなると、私を縛る理性の鎖が少しずつ緩くなり始める。


「……はい!」

「藤真さん、ここだけの話にしてくださいね?」


 先輩が、私が藤真さんと話しているのををいいことに私達の話に参加し始めた。いつの間にか藤真さんを取り囲んでいた女達は違うグループに移動して、新たな盛り上がりが起こっていた。


「見た感じ新入社員?」

「あ、はい。そうです」


「大卒?」と聞かれ私は頷く。


「一回りは年違うな〜。いいの? オッサンに片足突っ込んでる奴でも」


 見た目と出てくる言葉のギャップに内心驚きながらも、私は今日一番の肯定の返事をした。


「花形部長なら! 一回りでも二回りでも全然OKです!!」

「へ〜。あいつ今彼女いないから、イケんじゃね?」

「えっ……部長彼女いらっしゃらないんですか!?」

「おう。押しに弱いからあいつ、頑張って押しまくれば意外と」

「あ、ありがとうございます〜!!」


 藤真さんが何かしてくれた訳でもないが、部長の旧友からの後押しを得たことで私のボルテージは一気に上がった。


「部長にならセクハラされても甘んじて受け入れる所存です! というか待ってます!!」


 いい具合に酔いも回ってきて、私を止められるものは誰もいない。部長でも無理だ。


「ちょ、ちょっと兵藤さん! また悪い病気が出てるよ!」

「そんなにかよ! すげーな超肉食女子じゃん」


 藤真さんが心底面白そうに私を見ているが気にしない。

 この後、花形部長がこの場に帰ってきたら私はどうするのか、自分でも分からない。
 怖いけど──ワクワクする。


 新入社員の若さと勢いで、押す!!!
 花形部長、早く戻ってきて──カモン!!!









2018.7.13



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