41 時機 3
“玲奈が良ければ──うちの大学まで来てくれないか”
牧に連絡をとり、会う約束をした日の前日に、玲奈にメールが届いた。
本文を読み進めていくと、その日の深体大の練習が外部コーチを招いての特別メニューになったらしく、練習が終わる時間がよめないため、待ち合わせで玲奈を待たせるのが嫌だという。玲奈は“構わない、大丈夫”との旨の返信を送っても、牧は頑として譲らなかった。結局体育館の場所まで教えられ、やり取りが終わった玲奈は正直困惑した。
どの面下げて行けと……。
しかし玲奈に拒否権はない。別れた女に会ってくれる牧に対して玲奈は感謝の気持ちしかないが、『深体大の牧を傷つけた元彼女』がのこのこと練習場に顔を出してもいいものか、と自分の後ろめたさだけが露呈し、玲奈は更に自分が恥ずかしくなった。
こんなこと気にできる立場じゃないんだから、私は──
覚悟を決めた玲奈は、握っていた手に力を込めた。
牧の現状を聞いて、新しい彼女が出来ていたら自分の今までの思いや感謝を伝え、キッパリ振られる。
もし彼女がいなかったら、牧に願い出る。
また、一緒にいさせてくれませんか──と。
*
広い敷地内で、玲奈はなんとか迷わずに深体大男子バスケットボール部の練習場である体育館に着くことが出来た。牧がいる大学寮には行ったことがあったが、学内の体育館に来るのは今日が初めてだった。体育館に近づくにつれ聞こえてくるボールが跳ねる音や床を擦るバッシュ音に、玲奈の緊張が高まっていく。
体育館の各所にある扉は、ボールが出て行かないようにネットが掛けられているが開け放たれ、館内の熱気も開放していた。
天下の深体大だから、と玲奈はギャラリーの数が多いのではないかと思っていたが、想像していた程ではなく、関係者と一般のファンがちらほらと中を覗いているくらいだった。
邪魔しないように、見つからないようにと、体育館から離れた場所で待っていようと決めていた玲奈だったが、見えなくても音と気配で分かる練習の質量に、自然と足が体育館の方に進んでいく。
少しだけでも見てみたい、という本心が持っていた決心を鈍らせ、玲奈は館内を見ることが出来る位置まで少しずつ移動していた。
中からは発見されなさそうな場所を選んでそっと中を覗き込むと、何十人もの男子部員が縦横無尽に動き回っている。一般的な学校の体育館よりも広いのに、大男ばかりで広さを感じさせない。玲奈は息をのんだ。
「よーし、集合!!」
激しい音がこだましていても大きく響いたその声に、玲奈はハッとして目を向けた。
号令をかけたのは、玲奈が一番会いたかった人だった。
遠目からでも見惚れる。別れたあの日を思い出し、玲奈は目が潤みそうになるのをなんとか堪えた。
館内にいた人は全員集合し、監督やコーチが部員に向けて話し終えた後「ありがとうございました!!」と体育館中に大声が響いた。
練習が終わったのが分かると、玲奈は一気に緊張し始めた。今日伝えること、言葉をもう一度頭の中で反芻する。
下を向いて考えを巡らせていたので、声を掛けられるまで近くに人がいたことに気が付かなかった。
「玲奈ちゃん!?」
頭上から通る大きい声に玲奈は顔を上げると、息を整えながら汗だくで驚いている諸星がドリンクボトルを手に立っていた。
「……あ」
「久し振りだね、どーしたの!? こんなところに」
玲奈は「お久しぶりです」と一礼して気まずさをやり過ごした後、口を開いた。
「──紳くんとこの後会うことになってて。ここで待ち合わせを……」
「そうなの!? ってことは玲奈ちゃん牧と──」
「いえ! 私が時間をもらえないかって頼んだだけで別に」
玲奈が慌てて現状を説明しようとしたら、諸星が考え込む仕草をして口角を上げた。
「だからか〜、今日の牧ちょっと変なのは。なるほどね」
「え?」
「鋭い顔つきかと思ったら困ったような顔になったり。練習前はボーっとしてたり、話しかけても反応悪かったり。いつにも増して変だったんだよなアイツ」
腕組みをして思い出し笑いを堪えながら話す諸星に、玲奈は目が点になった。
「……そうだったんですか」
「うん──そっか、どうりでね」
その先を聞きたいような聞きたくないような、玲奈は複雑な表情で諸星を見ていると、視線の先に河田雅史の姿が目に入った。河田も玲奈と目が合うと、玲奈と諸星の元に走って駆け寄ってくる。
「──玲奈ちゃんじゃないか」
諸星と同様に驚いた顔を見せた河田に、玲奈は再び頭を下げた。
「河田兄さん、ご無沙汰してます」
「とうとう俺の彼女になる気になったか」
「──え?」
「毎回言うのかお前は……。牧と待ち合わせてんだってよ」
「!──そうか。……そうか」
河田は玲奈を見つめると、ゆっくりと頷いた。
「大丈夫だ、玲奈ちゃん──安心しろ」
玲奈が何を言った訳でもないのに、ただ頷くばかりの河田に玲奈は不思議に思いながらも笑顔を見せる。
何かを感じ取っているのか──河田兄さんは勘が良さそうだから。
……お見通しなのかな。
それ以上何も言わない河田に、玲奈は居たたまれなくなった。それと同時に河田は後ろを向き、牧を大声で呼んだ。
玲奈はまだ完全には心の準備が出来ていなかった。牧は河田を見た後、延長線上に玲奈がいることに気付き、走って近づいてくる。
うわうわうわ、ちょっと待って──
練習後でも軽快に走る牧が、スローモーションのように目に映る。玲奈は黙って見つめながら、牧が目の前に来たことを夢のように感じていた。
「玲奈、すまない。ここまで来てくれて」
現実じゃないんじゃないか、想像の中なんじゃないかと玲奈は混乱していたが、練習直後で滴り落ちる汗や未だ整っていない呼吸を目の前で感じると、リアルなんだと実感した。
いつだって、見入ってしまう。
告白された時も、バスケをしている時も、抱かれている時も──いつだって。
「……あ、ううん! こちらこそ、忙しいのにごめんなさい」
玲奈の声が上擦る。前で牧や諸星、河田が話しているのを他人事のように見つめながら、玲奈は牧の表情ばかり目で追っていた。
牧が不意に玲奈に顔を向けたことによって、玲奈は今日やるべき伝える事を慌てて思い出す。
あの時は紳くんに辛い思いさせてごめんなさい、私の現状を伝えて、もし紳くんが良ければ私と──
頭の中で何回したか分からないシミュレーションをしていたら、力強い声が響いた。
「──俺ともう一度付き合って欲しい」
玲奈はその声を発した人をびっくりして見つめる。放ったのは当然牧だった。
「深体大でキャプテンになったことで言う決心がついた。玲奈と別れている間、何度も自分を見つめ直したつもりだ。だから──」
「ちょ、ちょっと待って紳くん!!」
「ん?」
「こ、ここ体育館……!!」
顔が真っ赤になった玲奈を見て、牧はようやく我に返った。練習後の体育館の出入口で、隣には同級生の諸星と河田が口をポッカリ開けて牧に注目していた。目の前では言われた張本人の玲奈が困惑したまま、牧を止めようとしていた。
好きなバスケで身体を限界まで動かした後、アドレナリンが出て高揚している時に玲奈と久し振りの再会。このタイミングなのは意図したわけではなく偶然だったが、牧に勢いを与えすぎた。
「……悪い、興奮してて思ってたことが全部出た」
牧は手で口を覆い、目を泳がせる。牧の天然炸裂振りに、玲奈は“こういう人だった”ことを改めて思い出し更に顔を赤くさせ、動揺が大きくなった。
どうしてこう、急に爆弾を投げてくるの〜!?
口をパクパクさせたまま何も言えないでいる玲奈の前では、諸星と河田が牧に詰め寄っている。
「……おい、堂々とやってくれたなこの野郎」
「見せつけてんのか喧嘩売ってんのかどっちだ」
キャプテンの威厳はどこへやら、牧は左右から言われっぱなしで挙動不審になっていた。
玲奈は言いたいことが1つも伝えられていない上に、先に嬉しいことを言われてしまったせいで頭の回転が鈍りっぱなしだ。
でも、ちゃんと伝えなきゃ──
玲奈は牧を正面から見つめて、牧から必要以上にもらった勢いを借りて拳を握る。
「私も……! また紳くんと一緒にいさせて下さい……!」
言いたかったことはまだまだあるけれど。
シンプルに、一番強い願望だけ。
玲奈は言い切った後、勢いよく頭を下げた。
その直後、しれっと静かに集まってきていた深体大メンバーから拍手喝采を浴びるのだった。
2018.4.26