40 時機 2
携帯電話のボタンを押す指が震える。
押そうとしては戻し、頭の中で言葉を整理する。そして押す決心をしてはまた、を玲奈は幾度も繰り返している。誰にも見せられない独り言とうなり声を、自分の部屋で格闘しながら1人受け止める。
玲奈の想いは固まった。もう揺らぐことはないという自負もある。あとはそれを伝えるだけ──なのだが、いざ実行しようとすると最後に会った時の牧の顔が浮かぶ。玲奈は牧と別れてから、牧が出場している試合を観戦したことはあった。だが、見つめていたのは『バスケットボールプレイヤーの牧紳一』であって、男性としての牧ではなかった。今から連絡を取ろうとしている相手は“元恋人”である牧なのだ。
最初に挨拶をして、紳くんの今の状況を聞いた後に、嫌じゃなければ会う時間を作ってもらえないかと切り出して──
牧の反応に対する返答も何パターンかシミュレーションした後で、玲奈は大きく息を吐いた。
よし……押す!!
ずっと表示されていた牧の電話番号を確認した後、通話ボタンを強く押した。心拍が大きく身体を支配する。玲奈はこんなにも自分の鼓動の大きさを感じたことはない。コール音が続く間にも、繋がってほしいのか、繋がってほしくないのか複雑な感情が入り混じった。
『──もしもし?』
懐かしい低い声に、玲奈は思わず涙腺が緩みそうになるのをぐっと堪えた。牧が携帯から玲奈の電話番号を削除していたら、知らない誰かからの着信に動揺しているかもしれない。玲奈は瞬時に頭を切り替え、意を決して声を発する。
「あ、もしもし……!兵藤玲奈、です」
玲奈は無意識に目を瞑る。反応が怖い。少しの沈黙にも怯んでしまう。
『分かってるよ。携帯に名前出るから──久しぶり。元気だったか?』
思いがけない言葉に玲奈の瞳が潤む。
自分の携帯番号を削除しないでいてくれたこと、別れているにも関わらず突然の電話に優しい声で接してくれること。玲奈は牧と過ごした出来事の数々を一気に思い出して、唇を引き締めた。
「……っ、うん。元気。急に電話してごめんね。今時間大丈夫、かな」
『ああ。にしても……タイミングいいな』
「……え?」
『俺も近々玲奈に連絡しようと思ってたんだ』
普通に会話が続いてきたところに、予想もしていなかった牧の言葉。玲奈は返答に詰まった。
少し冷静になった頭で、玲奈は牧の現在の状況について考える。
連絡しようと思っていたってことは、今は彼女がいないということでいいのかな。
いや、何か用があってなのかもしれない。
玲奈は自惚れている自身を思い直した。
「……そうなんだ。びっくりした……偶然、だね?」
『……ああ。で……今度会えないか?』
「──え、あっ……うん。私も、会って話したいことがあるから……電話したの」
『……そうか。俺も同じこと思ってたんだ。じゃあ──いつがいいかな』
「あ、紳くんに合わせるよ……!」
『紳くん』と呼ぶことに玲奈は一瞬躊躇ったが、牧からの抵抗もなくすんなり受け入れた。
以前の呼び方を牧から許してもらっている──そんな1つの事ですら、玲奈には涙が出る程嬉しかった。
『今、新チームへの移行でちょっと慌ただしくてな……。そんなに遅くはならないと思うけど、また連絡する』
「うん、分かった。無理しないでね……!」
牧の後ろで男の声がした。寮にいるチームメイトの誰かだろう。時間的にもミーティングか何かか──察した玲奈は急いで声をかけて電話を切った。
久しぶりの牧との会話を、1つ1つ思い出して噛みしめる。
携帯電話を目の前に持ったまま、玲奈はしばらくその場から動けなかった。
2018.2.21