37 観察 2


「気付かなくてすみません。すぐどきますから──」


 玲奈は流れる汗にも構わず慌て出した。真歩がここでバスケをしたくて順番待ちしている女だと思ったんだろう。置いていた荷物がある方へ走ろうとしたので、真歩は咄嗟に止めた。


「ちょ、ちょっと待って!違うから!」


 真歩はすぐに立ち上がり、茂みをかき分け玲奈の前に駆け寄った。スカートに少しばかりのヒール靴。大学帰りの出で立ちで、運動する格好ではないことをアピールするために仁王立ちをしている。


「偶然ここを通りかかって、ちょっと見てただけ!だから続けてていいから!」


 真歩は堂々と嘘をつき、帰ろうとした玲奈の肩を掴み、身体を反転させると練習を再開するよう促した。


「え、じゃあ……いいですか?練習しても」

「いい!あ、まだ見ててもいい!?」

「えっ……見る程のものじゃないと思いますけど、それでもよければ……」

「よし!じゃあ続き!」


 何故か真歩がこの場を仕切り、玲奈に練習を続けるよう勧めた。真歩は当初の目的を忘れた訳ではなかったが、玲奈自身を知るためにはこのまま練習を見ていた方がいいと思ったのだ。ここで会ったのは偶然ではなく必然だった──玲奈の後をつけていたことはもちろん知られたくなかった。


 玲奈は少し動揺していたが、2、3回ドリブルをすると顔つきも元に戻り練習を再開した。真歩は先程よりも近くでその様子を眺める。

 真歩はバスケ経験者ではないが、大学の男子バスケの試合は頻繁に見に行っている。ルールも一通り覚え、少しは目も肥えてプレイの上手下手の違いも分かるようになってきた。
 玲奈の傍でシュートやフットワークを見ていると、素人目でも玲奈の実力を感じることができた。

 ──牧さんの元カノ、やっぱバスケ上手いよね……。

 特に玲奈がゴールを見据える表情が、一瞬牧と重なって、真歩は心の中で自分をどついた。
 玲奈を見ていると、牧と何故別れたのか真歩は疑問に感じてしまう。さっきのやりとりでも性格は悪くなさそうだった。友達の話では玲奈が牧を振った、と聞いたが、本当のところどうなのか聞いてみたくなった──本来の目的は悟られずに。


「あの、さあ……」


 練習メニューに一区切りついたところで、真歩が少し緊張気味に声をかけた。
 着ているTシャツが濡れる程の汗をかき、バッグからタオルを取り出している玲奈の横に来ると、目線を合わせるため座り込んだ。
 さすがの真歩も話を切り出すのを躊躇うが、勢いに任せて口に出す。


「大学生、だよね?バスケ上手いけど……彼氏いるの?」


 知らない風を装って咄嗟に出た言葉がこんな有様で、真歩は冷静を装いつつも内心では慌てている。

 ちょっと、私何言ってんの!?いくらなんでも怪しすぎる!!

 そんな真歩にきょとん、とした玲奈は、少しの間を置きつつも快活に答えた。


「えーと、大学生です。彼氏は……いません」

「あ、変なこと聞いてゴメンね!バスケ上手だし可愛いから彼いるよなーって……あっ違うよ!?私はそっちの気はないから!単なる好奇心!」


 さらに増す怪しさに真歩は頭を抱えた。しかも無意識に出た言葉から、玲奈を褒めてしまっている。玲奈に対して最初に抱いていた嫌悪感が薄れていることを真歩は感じていた。


「バスケは今死に物狂いで頑張ってるところなんです。彼は……私が足を引っ張りたくなくて……」


 玲奈のやや陰った表情に真歩はヤバいと思いつつも、聞きたかったことが聞けるんじゃないかと探求心が勝ってしまう。


「え……じゃあ、彼いたんだ?“足を引っ張りたくない”ってことはバスケやってる人?」


 白々しく何も知らないフリをして真歩は尋ねる。


「そうです……ね。私の何倍もバスケに頑張ってる人です」


 何言ってんだろう私、とタオルで顔を隠しながら言う玲奈を真歩は見つめた。牧への尊敬が否応にも感じられ、ますます疑問が深まった。


「なんで……別れたの?」


 玲奈は真歩を見つめ返した。初対面なのに何故ここまで、と玲奈は思っているだろうが、真歩は聞きたくて仕方がなかった。

 兵藤さんが苦し気な表情を見せているのに、嫌だろうと分かっているのに──それでも。


「私が──もう彼を苦しめるのが嫌で。私、高校生の時足を手術して、やっと今ここまで動けるようになったんです」


 何も言えない真歩に、玲奈は続ける。


「彼……元ですけど、優しい人なので、もう困らせたくなくて」


 真歩は玲奈の言葉から、“彼女の方から振った”という話は本当だったことが分かった。牧のことを知らないフリをして遠回しに玲奈を詰ることは出来るけれど、する気が起こらない。好きじゃなくなったから別れた、喧嘩別れした、という原因ではない『苦渋の決断』の末のお別れだった──ことが表情から、言葉から、聞かなくても感じ取れるからだ。

 嫌な女だったら、一言言ってやろうかと思ってたのに──。

 想像とは異なっていた玲奈の姿に真歩は考え込んでいると、玲奈が慌てて口を開いた。


「ごめんなさい、変な話になってしまって。重い空気にするつもりじゃ」


 真歩は、もう頭を切り替えるしかなかった。軽く息を吐く。玲奈を認めざるを得なかった。


「こっちから聞いたんだから私が悪いの。っていうかさっきから気になってたんだけど敬語やめてよ。私も大学生だけど多分タメでしょ、今現役1年」

「えっ、同い年!?年上かと思ってた」

「……よく言われるわよ、老けてるって」


 謝ったり笑ったり。その後しばらく玲奈と真歩は、お互いの大学のことで話が盛り上がった。玲奈の汗が完全に乾くころ、玲奈は真歩にバツが悪そうに告げる。


「……私、諦めが悪いから……。もっと頑張って、自分に自信が持てるようになったら──元彼にもう一度気持ち伝えよう、って思ってるんです」


 真歩は驚いて玲奈を見つめる。遠慮がちに言ったわりには玲奈の表情は清々しく、意思の強い目をしていた。


「言われる方は迷惑だと思うけど──感謝だけは伝えたい、って」


 苦笑いだがそう言い切った玲奈に、真歩は悪い結果なんて起こらない気がした。


「……いーんじゃない?応援するよ」


 心から、本心から出た言葉。嘘は全く無かった。
 2人とも、自然と笑みが零れる。


 ──これは、普通の女は敵わないんじゃない?


 真歩は明日、友達に今日の事について聞かれた時も、同じことを答えると思った。












2017.11.6



 


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