31 違和 2
関東大学バスケットボール選手権大会(春のトーナメント)は、大本命の深体大の優勝で幕を閉じた。次の大きな大会は約1カ月後に行われる関東大学バスケットボール新人選手権大会――いわゆる新人戦だ。2年生以下のみが出場できるこの大会は、2年生が主力となってトーナメント戦を争う。大学バスケの下学年の戦いだが、牧や河田といった『最強世代』と言われている学年が一堂に会するとあって注目度は例年よりも高かった。
まだ試合が始まってないにも関わらず空席は見当たらない。
「念のため開場前に並んで良かったね〜満員じゃん」
「今日女子多くない?」
「藤真さんが出るからでしょ!普段もカッコいいのにバスケしてるともう…惚れる!」
「でも今日の相手深体大じゃん……」
「絶対藤真さんが勝つって!」
試合前だが、玲奈の隣では女子大生らしきグループが興奮して盛り上がっている。彼女達の贔屓ではない、相手チームの応援である玲奈は、聞くつもりはないが耳に入ってくる言葉を黙って受け止める。
藤真さん、って紳くんからちょくちょく聞いてたな……
神奈川でライバル校同士、ポジションも同じだと牧から聞いていた玲奈は、今日の対戦に益々期待が膨らんだ。大学でも違うチームで戦い続けるとあって、闘志溢れる試合になるだろう。玲奈はひとまず、自分のプレイ状況は頭の隅に追いやった。
場内が一瞬歓声に沸いた。第一試合に登場するチームが姿を現し、練習が始まった。
隣から甲高い声が聞こえ、玲奈はコート内を動揺することなく見つめる。観客から見れば何の気なしに行われているウォーミングアップのシュート練習も、バスケに励む玲奈には参考になる。談笑している隣の女子達はだんだんと気にならなくなっていき、玲奈は自然とコートに意識を集中していた。
牧の姿が見えると流石に玲奈も少し動揺したが、ゴール下に切れ込むスピードや、後に続いた河田のダンクシュートを見ると、自分の足下に視線を落とした。
また、ちり、ちりとした違和感が顔を出す。
気付きたくないが静かに押し寄せてくるこの感情は、嘘であって欲しいと、玲奈は服の上から胸を軽く押さえた。
今日は紳くんの応援に来てるのに、こんな感情になってはいけない――
純粋に、目の前のバスケを楽しむんだ。
無意識に自分に言い聞かせていることに、玲奈はこの時は気付かなかった。
これから始まる試合のスタメンが発表されている。玲奈はパンフレットを見比べながら選手を確認していたが、藤真の次に紹介されたSGが神宗一郎だったことに驚いた。海南で見たことのあった同学年の彼が、強豪大学バスケ部のスタメンとしてコートに堂々と立っている。牧と神が敵になるこの試合に、玲奈は観客だが緊張した。
試合が始まった。PGは牧VS藤真という、観客の期待通りのカード。両チームPGを起点としてゲームが展開されていく。
「牧も藤真もパスさばくの上手えなー」
「パスもらった方もシュート外さねえし、レベル高え〜」
紳くんも、藤真さんも、楽しそう――
負けられない戦いの中でも、落ち着いて試合を楽しめていることに、玲奈は感心せずにはいられなかった。
この先の大学バスケの盛り上がりを期待できるような高レベルのプレイの数々に、観客の反応は玲奈は勿論、皆同じだった。
玲奈は序盤は好プレイが出る度に手を叩いていたが、だんだんと今の自分のプレイが脳裏に見え隠れし、手を握ることが増えた。
私は
こんなに早くステップを踏めない――
こんなに素早く切り返し出来ない――
こんなにずっと走れない――
男子の方が体力も技術も上だということは分かっている。男子バスケと自分を比べることすらおこがましいことも。
でも自分の昔のプレイは、自身が一番覚えている。インターハイに出た時のプレイを思い返してみても、今よりは格段に走れていた。
怪我をしたから、治療が長引いたから――当然のことなのに。
練習を再開しても、急には戻らない体力と、身体の動き。
分かってる。分かっている、理解もしてる、受け入れてもいる――のに。
目の前の試合は、後半に進むにつれ観客のボルテージもどんどん上がっている。
しかし、玲奈は対照的に押し黙って下を向いた。
今日の試合一番の歓声。点差が均衡している終盤に、神が3Pシュートを決めた。直後に深体大のタイムアウトで試合が止まる。
周りの白熱した空気とは裏腹に、玲奈は自分の感情を認めざるをえなかった。
これは、嫉妬だ。
羨望と、悔しさ。
「紳くんは凄い」と思うのと同時に、妬みのような感情も生まれていることを、玲奈は確信してしまった。
会場中にブザーが鳴り響き、試合が終わったことを告げた。深体大が勝利し、玲奈の隣では落胆の声が響いた。
こんな状態では紳くんに会えない。
会ってはいけない。
そう思うと会ってしまうのは何故だろうか。玲奈は牧と顔を合わせないようなルートを通って会場から出ようとしていたが、2階から1階へ降りた直後ばったりと顔を合わせてしまった。
玲奈は「あ」と一瞬驚いたが、牧は気に留めていなかった。試合直後の牧は汗だくで、勝利も手伝ってか晴れ晴れした表情をしている。
「――玲奈、見に来てくれたのか」
「あ、うん――勝ったね、おめでとう――」
自分でもぎこちない言葉になっていると分かり、玲奈は牧と目を合わせることが出来ずに下を向いた。
「……どうした、何かあったか?」
玲奈の顔を覗き込むように牧が腰を落としたものだから、玲奈は表情を見られたくなくて過剰に顔を背けてしまった。
こんな態度じゃ、余計に気にされてしまう――
「何でもないから、気にしないで…」
折角勝ったのに。
こんな時に紳くんに気を遣わせたらダメだ――
頭では分かっているのに身体がついていかない。
下を向いたまま固まっている玲奈に牧は手を伸ばしたが、玲奈は咄嗟に牧の手を振り払ってしまう。
「ほんとに何でもないからっ!!」
普段は上げない声を出した途端、玲奈自身もそれに驚いて顔を上げると、目を見開いたまま牧が固まっていた。
「あ……違うの、本当に、何でも……」
玲奈は牧以上に動揺して、言葉を発しても全く説得力が無かった。
何でもない、って紳くんも思う訳ない。
私自身でさえ、こんなに動揺してるのに……
玲奈は唇を噛みしめて、全部は話せない自分の感情をぽつりと呟いた。
「……ちょっと上手くいかないことがあって。八つ当たりだった、ごめん……」
言葉にするということは、認めるのと同じことだ。
玲奈はこみ上げてくるものを堪えながら笑顔を作ろうとしたが、玲奈に一歩近づいた牧は玲奈の身体に腕を回した。ゆっくりと優しく力が込められる。
玲奈はこんな場所で、と狼狽えたが、牧が全く動こうとしないので牧の胸に顔をうずめたまま身体をあずけた。
牧の身体は試合後で心拍も早く、熱い。
紳くんに気遣ってもらってばっかりで、こんなんじゃダメだ――
牧の腕の中で玲奈はぎゅっと目を閉じた。閉じられた瞼から一粒の涙が零れた。
2017.3.18