squall
流川はいつもの如く颯爽と自転車を走らせる。耳にイヤホンを着けてお気に入りの音楽を流し、周りの騒音雑音を遮断して。頭の中はこれから向かう場所と、そこで行う練習に支配されている。彼の邪魔をするものは何もない。駐車している車に居眠り走行したまま突撃したりしなければ、すぐに目的地に到着する。
今日は幸い目も冴えており軽快にペダルを漕ぐと、ビルや家が立ち並ぶ景色が開け、バスケットゴールが設置されている屋外コートが目に飛び込んできた。流川は公園内でバスケが出来るその場所を、学校で練習が無い日や通常練習前などによく使っている。今日は子供の集団もおらず心おきなく練習できそうだ、と無言のまま自転車を公園脇に止めた。
軽く柔軟をしてから持参したボールを掴むと、ゴール下でドリブルを始める。小気味いいフットワークに、一定のテンポで途切れることのないドリブル音。流川が身体を動かす度、着ているパーカーの紐が大胆に揺れる。イメージトレーニングをしながら地面から両足を離しシュート体勢に入ると、ボールは用意されていた軌道から逸れること無く進み、ゴールネットを揺らした。
外れることのないシュート。試合で外すことはあっても、個人練習で外すことは滅多に無かった。様々な角度から、距離から。流川は黙々とゴールとボールに相対する。
流川の顎から汗が滴り落ちてきた時、視界の端に人の姿を捉えた。来て早々放ったタオルやドリンクが置いてあるコート脇のベンチに、いつからだろうか女の子が座っている。
またいる……。
流川はちらりとその人物を見やった後、心の中で呟いた。自分が練習を始めるまではいないのに、夢中になって動いていてふと気付くとそこにいる。毎回ではなかったが、最近は遭遇する率が高かった。
その女の子はベンチに座って、静かにコート内をじっと見つめている。いつもなら全く気にしない流川だが、1つ気になることがあった。
コートには俺しかいねえのに、俺を見ている訳じゃねえ。
その子はコートに顔を向けてはいるが、流川の動きを目で追ってはいないように感じた。でも確かにそこにいて、いつも流川が練習を終え休憩をしているとひっそりと姿を消しているのだ。
流川は疑問を感じてはいたが、嫌な感情は持たなかった。第一他の女みたくうるさくない。練習の邪魔にならない。ただなぜ「ここ」にいるのか、それはずっと気になっていた。
思考の合間も身体を動かすことは止めない。シューズが鳴る音、ボールが弾む音、ボールとネットが接触する音だけが辺りに響き渡っていた。
だんだんと辺りが暗くなってきた。コートに降り注いでいた日の光が灰色の雲によって遮られる。風の強さも流川が来た当初よりは増していて、雲の流れが速い。これは急に降られるかもしれない、流川は軽く舌打ちすると、ボールを抱え滴る汗もそのままにコートから出た。
流川の足はベンチに向かう。いまだそこには女の子が座っていた。帰らねえのか、と流川は思ったが、余計なお世話だろうとその子のそばに置いてあった自分の荷物だけ取り上げた。
「あ…」
流川が目の前に来て初めて、その女の子は声を上げ、流川に顔を向けた。流川も反射的にその子を見たが、視線は合わなかった。流川が前から感じていた違和感は、この時また少し膨らんだ。
「…帰らねーのか。雨、降ってくるぞ」
いつもの流川なら話しかけもせずその場を立ち去るが、この徐々に自分を支配し始めた違和感を払拭したくなった。何かモヤモヤする。すっきりしてえ、と本能が騒いでいる。
流川の発言に、違和感の原因である少女は少し慌てて言葉を口にした。
「あ、今コートでバスケットしていた方ですか…?」
「……あ?」
流川の胸中に、違和感と疑問までもがプラスされる。彼女の言っている意味がよく分からない。今見てただろ、と突っ込もうかと思ったが、この子の行動の違和感と今の発言で、疑問の答えが急に流川に降って湧いた。
「…もしかして、目、見えてねーのか」
「……あ、はい…。見えてないんです、私」
あっさりと盲目だと口にした彼女に、流川は絶句した。なんて返答をしたらいいのか分からなかった。
2人の間を沈黙が包んだ時、流川の頭にポツ、と何かが落ちた。それはすぐに数を増して、流川の服に染みをつくる。
「あ、雨…?」
自分の身体にも雨粒が落ちてきたのに気付き、その女の子は慌てて立ち上がった。
思っていた以上に雨粒が大きい。流川はすぐに目の前の女の子の腕を掴んだ。
「…走るぞ。このままだと濡れる」
「えっ?あ、あの!」
流川は彼女の腕を取ったまま公園のトイレまで急いだ。そこなら屋根がある。とりあえず雨が弱まるまでそこで待とう、と同意も得ぬまま行動に移した。
トイレを目前にして、降り出した雨は本降りになった。2人はすぐに屋根の下に入る。服は軽く濡れた程度で済んだ。
流川の呼吸は乱れていないのに対し、流川の後ろを走っていた彼女の息は荒く、はあはあと胸を押さえている。
それを見た流川は掴んでいた腕を離した。
「…すみません。私の目が見えない、って分かったからですよね」
その子は「濡れずにすみました。ありがとうございます」と流川に頭を下げた。
「…別に。見えてろうが無かろうが走らねえとずぶ濡れになるから走っただけ」
ぶっきらぼうに言い放った流川の言葉に、女の子はぷっと笑って再び「ありがとうございます」と言った。
雨音は一向に止まない。雨はトイレの屋根や木々、地面を強く叩く。この強い雨音が、まだこの屋根の下にいないといけない事を盲目の少女にも教えていた。
この雨宿りの間に、少女――兵藤玲奈は流川に自分の状況を説明した。
だんだんと視力が弱くなっていったこと。
今は光を認識できる程度であること。
前にこの公園の前を歩いていたら、流川がバスケをしている音が聞こえたこと。
「ボールが跳ねる音がすごくリズミカルで、なんか楽しそうで…。バスケットをしてる、って分かってるんだけど、ボールと一緒に踊ってるみたいな気がして。で、コートの側までいったんです。近くで感じてみたいなあって」
「……」
「ドリブルの音が心地よくて…。気がつくと頻繁にこの公園の近くを歩くようになって。そしたら大体どの時間に練習してるか分かってきたから、ついつい欲が出て練習を覗いてしまってました」
「……」
「…気味悪くなかったですか?」
「……別に」
「…そっか」
流川は腕を組んだまま玲奈の声に耳を傾けていた。ただ何故いつもいるのか、気になっていただけだったから。嘘は言っていない。
「…これからも練習覗いてもいいですか?」
はにかみながら玲奈は流川に尋ねた。
「…いーけど」
「!ありがとうございます…!」
控え目に喜んでいる玲奈を流川は見つめた。嫌な気はしていないが、複雑な感情が入り混じる。
見えてねえのに楽しいもんなのか。
目が見えてたらこんなにコートに通う事も無かったのか。
目が正常に見えていたら、バスケのドリブル音なんてこの辺を歩くBGMみたいなものだろう。けれど耳から情報を得ようとする玲奈にとってはすごく重要な「音」で。
「…体育館ならもっと音響くから、気に入ると思うけど」
自然と零れ出た言葉に、流川自身も驚いた。
流川の言葉に反応し、玲奈も「体育館…」と呟く。
「…湘北でバスケやってっから、暇な時見にくれば」
「……え?」
「もうすぐ県予選も始まるから、デカイ体育館でも試合あるし。1人じゃ危ねえから誰かと一緒に来い」
「…湘北、ってことは高校生なんだね、私と一緒だ。――名前、聞いてもいい?」
「――流川楓、1年」
「私も1年だよ、同い年なんだね!……他校の体育館なんて入っていいのかな…」
「……制服着てなきゃバレねーだろ」
「――ふふっ」
流川と玲奈の会話は淡々と長く続いた。雨音はいつのまにか弱まり、雲の切れ目から日の光が差し始めた。
「――晴れてきたぞ、帰るか」
「あ、うん。ありがとう」
「……送る」
「え!?いいよ、大丈夫だから!――あ、ベンチに杖忘れてきた!」
「……俺もチャリ置きっぱなし」
流川は玲奈の腕を再び掴んだ。またコートまで戻らないといけない。
今度は2人で歩く。湿気を帯びた空気が身体にまとわりつく。
熱いのは身体を動かしたばかりだから。
手に汗をかいているのは雨が降った後の湿っぽい空気のせい。
流川は違和感と疑問に取って代わるように出来た落ち着かない感覚を、バスケと雨のせいだと自分に言い聞かせた。
(100000HIT記念リクエスト:目の見えない女の子を好きになってしまう流川)
2015.10.13