25 一転 2
「牧!!どういう事だよこれは!!」
玲奈を追いかけるのが一足遅れた諸星は動揺そのままに牧の部屋に上がり込むと、馬乗りになっていた女性を押しのけて起き上がった牧に詰め寄った。
「――後で詳しく話す。諸星、申し訳ないんだがこの子駅まで送ってもらえないか」
「誰だよこの女は!」
「……先輩に無理矢理押し付けられたんだよ、何かと理由つけられて。俺の部屋で一時みといてもらえないか、って言われてな」
諸星は牧の言葉で大体の事を悟った。この女は牧狙いの女子大生だろう。部の先輩に頼んで牧と2人きりになれるようにし、迫っていた――そんなところか。
「――玲奈を追いかけたいんだ、頼む」
玲奈杖ついてなかっただろ、という牧の切羽詰まった言葉に諸星は冷静さを取り戻した。
「――早く行け!玲奈ちゃん今日杖とれたばっかって言ってたからまだ遠くには行ってねえと思うぞ」
諸星の言葉に背中を押された牧は、諸星に礼を言うと部屋を飛び出した。
何でよりによって、こんなタイミングで――。
今すぐ玲奈に事情を話したい。誤解を解きたい。
牧は長年バスケで培った脚力を使い、玲奈を探しながら全力で走った。
「――痛った……」
ズサアッ!と派手な音をさせて、玲奈は足を引っ掛けすっ転んだ。今日杖無しで歩けるようになったばかりの玲奈が普通に走れる筈もないが、火事場の馬鹿力というやつか。玲奈は寮からここまで走れたことに自分で感心してしまった。
それだけ、切羽詰まってた訳だけど……。
とにかく牧の部屋から立ち去りたかった玲奈は闇雲に走ったため、帰りの道が分からなくなった。今座り込んでいる道路は人が見当たらず、住宅街の通りだというのは分かったが寮からどの位離れたんだろうか。
痛い箇所を確認しようと目をやると、膝頭がすりむけて流血していた。慌ててバッグからポケットティッシュを取り出し傷口を押さえるが、ティッシュが赤く染まるばかりで血が止まらない。
このまま駅に向かっても靴下や靴が血で汚れそうだし、電車で他の人の衣服を汚してもまずい。
人目につかないし、血が止まるまでここにいよう。
玲奈は息を吐くと、邪魔にならないよう道路の隅に座り、じっとしていた。
さっき見た光景が自然と思い出される。
玲奈は俯いた。
言えばいい。
そこをどいて、って。
紳くんから離れて、って。
私の恋人に触れないで、って。
どうして逃げ出してしまったのか。
思えば牧が大学生になってから、玲奈の心の中には引け目のような感情が生まれた。1つしか違わないけれど、高校と大学では明らかに環境が異なる。牧の周りには良い刺激を与えてくれる仲間や、高校生とは明らかに雰囲気が違う女の子達がいて、尚更牧を遠くに感じてしまうことが多くなった。
別に紳くんが悪いんじゃない。
足を怪我してから後ろ向きな考えが顔を出しては、牧に会って持ち直したり、しばらくするとまた落ち込んだり…の繰り返し。
――こんな自分だから、嫌なんだ。
不安感とか劣等感が先立って、自分の中の嫌な感情が頭をちらつく。
玲奈は今の自分では胸をはっていられない。
牧の彼女だって、胸をはって堂々としていられないのだ。
玲奈の膝に滴が落ちた。
弱い自分が情けなくて、でも認めざるをえなくて。
しっかりしなきゃと思うのに、玲奈の内側から出てくるのは嗚咽と涙だった。
「……もう歩いても大丈夫かな」
少しの間泣いた玲奈はすっきりした面持ちで、傷口を確認した。血は止まり、完全にとはいかないが傷の表面は乾いたようだ。
玲奈は立ち上がろうと、よっと腰を上げようとした時――。
曲がり角を曲がって現われた牧が前方にいた。
肩で息をして、顔にはうっすら汗が滲んでいる。
「玲奈!!」
座り込んでいた玲奈に驚いた牧はすぐさま玲奈に駆け寄った。
「――転んだのか?」
すぐに膝の傷に気付いた牧は玲奈に尋ねる。玲奈は途端に恥ずかしくなって空元気で答えた。
「あ、調子にのって走ったらコケちゃった。もう血も止まったから大丈夫だよ」
玲奈はアハハ、と笑ってごまかそうとしたが、牧の表情は暗かった。
「……傷、洗わないと――寮に戻ろう」
「……え」
「俺のせいだから。――このまま帰せない。さっきの事もちゃんと話したい」
牧の言葉に玲奈の身体は強張った。嫌な気持ちが渦巻く。
玲奈は黙ったままでいると、牧は玲奈に背中を向けて中腰になった。
「――玲奈、背中に乗って」
「…えっ!?」
「足痛むだろうから、ほら」
明らかに玲奈をおぶる体勢の牧に、玲奈は赤面してたじろいだ。
「いやいやいや、いい!!歩けるから!ほら!」
慌てた玲奈は急いで立ち上がり、牧に数歩歩いてみせた。
少し傷口が引きつって痛いが、玲奈は気付かれないようにアピールする。
牧はしばらく黙ったままだったが、立ち上がって玲奈を切なげに見つめると、手を差し出した。
「……じゃあ手、繋いで歩こう」
「え……」
「約束しただろ?俺が高校卒業した時…『手を繋いで歩く』って」
「あ……」
“私が杖無しで歩けるようになったら…牧さんと手を繋いで歩きたい”
牧の卒業お祝いのプレゼントをあげた時に、欲しいものを聞かれ玲奈はこう答えた。
――覚えててくれたんだ…。
牧は玲奈の手を取りぎゅっと握った。そしてゆっくりと2人で歩き始める。
こんな気持ちで、手を繋いで歩くなんて――。
もっと幸せいっぱいで叶うものだと思っていたそれは、今の玲奈にとって複雑な心境で行うこととなった。
2015.6.9