24 一転 1


 じわじわと暑さが増してくる初夏。ひんやりとした病院の診察室で担当医から言われた思いがけない一言に、玲奈の心がはやった。


「玲奈ちゃん、よく頑張ったね。もう今日から杖はいらないよ」

「…っ、ほんとう、ですか」

「うん、自分でも実感あっただろう?普通に歩く分には心配いらないよ。バスケットでコートを駆け回る―のはまだもうしばらくかかりそうだけどね」


 嬉しい、嬉しい。今まで波もあり辛かったリハビリも、ここにきてやっと実を結んだ。怪我をしてから1年――少しずつ、少しずつ回復へと向かっていた玲奈の足の怪我は、季節を一回りしてようやく補助用具無しで歩けるまでになった。


 玲奈は涙ぐみながら、ありがとうございました、とお礼を言って杖無しで診察室を出る。ささいな動作1つかもしれないが、玲奈にとって喜びが溢れる瞬間だった。

 身体の片側には1年の付き合いだった相棒はいない。院内の廊下や出入り口も、若干ぎこちなくなりながらゆっくり歩いた。


 家族に言えば絶対に喜んでくれる。でもその前に――彼に伝えたい。

 私の支えになってくれていた、紳くんに。


 ……今から会いに行ってみようかな。


 今日は土曜日。玲奈は牧に土曜の練習は午前からだから、と聞いたことがあった。牧は大学の寮で生活をしている。
 時計を見れば今は午後2時過ぎ。電車に乗って牧の寮まで1時間かかるかかからないか。住所は知っているから、携帯片手に調べて行けば順調に着くだろう。


 …行ってみようかな、紳くんに会いに。


 嬉しさでテンションも上がっている玲奈は、早く牧に報告したい一心で歩き出した。










 …ここ、みたい。


 大っぴらに深体大バスケ部の寮だとは掲げていないけれど、学生寮だと分かる造りの建物が見えたので玲奈は立ち止まった。


 でも寮って女の子が入ったりしたらマズいよね…。


 肝心なことを何も考えていなかったことに落胆する。ビックリさせようと思って牧に連絡をしていなかったのが仇になった。今から牧の携帯に電話して、いるなら外に出てきてもらおうと思っていた時ーー


「あれ、玲奈ちゃんじゃん」


 背後から声を掛けられ振り返ると、牧のチームメイトの諸星がコンビニの袋を片手に驚き顔で立っていた。


「あ、こんにちは」


 玲奈は何か気まずくて、諸星に苦笑いを見せると、玲奈の足元に目をやった諸星は更に驚いた顔をした。


「――玲奈ちゃん杖とれたんだ!」


 「良かったなー!!」と自分の事のように喜んでくれる諸星を見て、嬉しくなった玲奈は「ありがとうございます」と笑った。


「いつとれたの?」

「…実は今日なんです」

「!なるほど、だからここに来たわけね。――牧に会いに来たんだろ?」


 一瞬で全てを悟られた玲奈は俯いて「そうなんです」と返事をした。恥ずかしくて顔が上げられない。


「牧とは寮の前でおちあう約束になってんの?」


 諸星に尋ねられた玲奈はハッとして顔を上げた。


「いえ、実は驚かせようと思って連絡しないで来ちゃって…。でも寮生以外入っちゃ駄目ですよね」


 何も考えず来たことが露呈して情けなくなった玲奈だったが、諸星は少し考え込んだ後ニッと笑った。


「まーダメな事になってるけどな。特に俺達1年は尚更。――でも緊急事態だからいいんじゃね?俺も一緒についてってフォローするわ、牧がビックリしたところ見てーしな」


 せっかくここまで来たんだから、と諸星は玲奈の前を先導するように歩き始めた。


「あ、ありがとうございます…!会って報告したらすぐに帰ります!」


 牧がヘタなペナルティでも負ったら嫌だと思っていたら諸星からの救いの提案。諸星にも迷惑がかかるんじゃ、と心配になって尋ねても「いーのいーの、行こうぜ!」の一点張りで、拒否できるタイミングも無かったのでついていくことにした。

 本当は、ビックリさせれるし、会えるので嬉しい。



 諸星の後ろを歩いていると、すぐに「牧の部屋、ここだよ」と小声で呼びかけられた。諸星は玲奈に目くばせし、ある部屋のドアを指差ししている。
 玲奈は頷くと、それを確認した諸星は部屋のドアをノックした。



「牧ー!!諸星だけど!」


 やや大きめの声で外から呼びかけた諸星だったが、部屋の中からは何の応答も無い。諸星は首を傾げ「いるはずなんだけど」と腑に落ちない様子だ。


「…もう開けるぞ!」


 玲奈がえ、と驚いている間に諸星は牧の部屋のドアを開けた。諸星の後ろから中を覗き込む。


 部屋には明かりがついておらず、諸星と玲奈は目をこらした。ドア近くのキッチンに続いたワンルーム。牧の私物が置かれているその部屋のベッドには、仰向けで横になっている牧、と……。



 その牧に馬乗りになっている女の人の姿があった。



 牧とその女性はドアが開いた音に反応して、諸星と玲奈を凝視している。
 諸星と玲奈もその光景に呆然とし固まったが、一足先に身体の動きを取り戻した玲奈が、諸星に向かって口を開いた。




「――諸星さん、今日は帰ります。ここまで連れて来てくれてありがとうございました――」

「あっ!玲奈ちゃん!!」


 諸星の制止の声を振り切って、玲奈は来た道を走って引き返した。思いもしていなかった状況に、その場を立ち去ることしか出来なかった。














2015.5.22




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