23 対面
「紳くん、送るの駅まででいいよ!遠回りになるし」
牧と玲奈は一緒に駅に着いたが、牧が鉄道のICカードを財布から取り出したので玲奈は慌てた。一緒に電車に乗るつもりなのだろうか。
「何言ってるんだ、家まで送るに決まってるだろう」
「え、ええっ!」
当然のように言う牧に玲奈は驚く。動揺する玲奈を余所に、牧は玲奈が歩きやすいよう周りに注意しながら改札までゆっくり歩く。もうこれは何を言っても牧の意思が変わることはないだろう、と諦めた玲奈は大人しく牧の隣を歩いた。
改札を抜けホームで電車を待っていると、牧は玲奈に顔を向けた。
「……あんな事言われて、1人で帰せる訳がないだろう」
玲奈を映した牧の目が心配げに揺らいでいたのに気付くと、玲奈は申し訳なくなって下を向いた。
「――ごめん、なさい」
「謝るような事はしてないだろ。今日会えて嬉しいんだから、俺は」
玲奈は顔を上げると、牧の表情が優しく、少し照れが入っているのが分かって笑った。
「うん、私も嬉しい」
心からの笑顔で牧にそう告げると、牧は玲奈の頭をポンポン、と優しく叩いた。
「……何があった?力になってやれないかもしれないけど、聞きたい」
牧が真摯に玲奈に尋ねると同時に電車がホームに到着した。玲奈は電車に乗った後、牧に少しずつ、最近の出来事を話した。リハビリが伸び悩んでいること、その苛立ちが成績に響いていること、仲良い男友達に告白されたこと…。牧の迷惑になるんじゃないか、と心配だった玲奈だったが、話し始めるとどんどん口から言葉が出てきて、自分の心が軽くなっていくのが分かった。
「でも今日紳くんの顔を見たら、自分でもビックリするくらいイライラや不安が無くなった」
充電不足だったのかな、と苦笑いで言った玲奈の手を、牧はぎゅっと握った。
「…ごめんな、俺も自分のことばっかりで玲奈を支えてやれてなかった」
「紳くんが謝ることじゃないよ!私の問題だし……困らせちゃってごめんね」
お互いが謝り合っているのがおかしくなって、2人して笑った。
玲奈の最寄駅を降りても会話が尽きることはなかった。玲奈は自分の悩みを打ち明けた後は牧の話をせがんだ。深体大での生活やバスケのこと。大学バスケNO.1の深体大の練習なんて想像を絶する。玲奈は自分こそ牧の力にはなれない…と思ったが聞かずにはいられなかった。
2人で沢山の話をしながらだと、あっという間に玲奈の家まで着いた。
自宅が見えた途端、玲奈の浮かれていた心は急に冷静になる。
「――紳くん、ありがとう。…ここまででいいよ?」
玲奈は恐る恐る牧に尋ねる。この先の展開が予想したものにならないように心の中で祈りながら。
「――お家の人に挨拶してから帰るから」
玲奈は悪い予感が的中してしまい、また動揺する。
「えっ!いいよ!紳くんに悪いし!」
「…別に悪いことは無いが。玲奈と付き合ってるんだから一度ちゃんと挨拶しておきたいと思ってたんだ」
「……いや、あの、紳くんに嫌な思いをさせるんじゃないかなあ〜…と…」
玲奈はちらっと家の前の車庫をチェックした。誰の車が止まっているかを確認した途端冷や汗が流れる。
――何で今日に限ってお父さん早く帰って来てるの!!
じゃあ行こう、と牧が一足先に玲奈の家の門扉を開ける。
「あ、ちょ、待って紳くん!」
ここで杖をついた歩行が仇となる。颯爽と家に入ろうとする牧に玲奈は追い付けない。
大急ぎで歩き、玄関前で牧に追いついた玲奈は自ら玄関ノブを持つ。
――ここでお母さんを呼んで、挨拶すれば紳くんもあっさり帰るよね!
「お母さん、ただいまー!!」
扉を開け、声を上げたと同時に玄関にある靴を確認する。
玲奈の表情は引きつった。
何で今日に限って全員いるの!!?
両親は仕事、兄弟は社会人バスケ選手に大学のバスケ部所属で家族全員が家に揃うことなんて稀だ。よりによってその珍しい日が今日だとは。玲奈は目眩がしそうになった。
「はーい、お帰りー……って、あら?」
リビングから出てきた玲奈の母の視線は、娘の後ろにいる精悍な青年に釘付けになった。玲奈は意を決して母に向かって言う。
「お母さん、この人は牧紳一くん。家まで送ってもらって……今付き合ってるんだ」
普段かかない種類の汗をかいてそう言い切ると、玲奈の母は一瞬ポカンとした後目を輝かせた。
「えぇー!玲奈の彼氏ー!?」
「お、お母さん!声大きい!」
予想外の母の声のボリュームに玲奈は今日一番に慌てた。そんな玲奈とは対称的に、母は「牧くん?こんばんは」と呑気に挨拶している。
「こんばんは、はじめまして。牧といいます。暗くなると危ないので玲奈さんを送って―」
牧が言い終わる前にバアン!と勢いよくドアが開かれた音がした。皆一斉に音がした方を見ると、リビングから焦った様子で玄関を凝視している男の姿が。まぎれもなく玲奈の父親だった。
玲奈は一番恐れていたことが起きたと絶望する。
玲奈の父は我に返ったのか、早足で玄関まで来ると牧の前で立ち止まりターゲットを見据えた。牧の方が微動だにせず態度に動揺も無い。
「……はじめまして、玲奈の父です」
「――こんばんは、初めてお目にかかります。深体大1年の牧紳一です。玲奈さんとお付き合いさせて頂いてます。突然でご迷惑だとは思いましたがご挨拶をしたかったので」
玲奈の父はバスケの社会人リーグで選手としてプレイしていた。引退後はバスケット協会で運営側に従事している。そのため「深体大の牧」と聞けば、今年の大学ルーキーだとすぐに察しがついた。
玲奈は今までに経験したことのない状況にあたふたしている。父と牧を交互に見やりながら、視線の端にリビングのドアから顔を出す兄達の姿が目に入った。ご丁寧なことにトーテムポールのように年齢順に顔が並んでいる。
「牧、久し振り」
三男の聡司が牧に声をかける。牧は聡司に礼をすると、再び玲奈の父に視線を定める。お互いしばらくの間相手を見つめていた。
「……今度ゆっくり家に遊びに来なさい」
玲奈の父の威圧的ではない言葉に、牧はお辞儀をする。
「――ありがとうございます」
そう言うと牧は「失礼します」と出ていこうとするので、玲奈は後を追った。
「紳くん、今日はありがとう」
家の門扉まで進んでいた牧に玲奈は声をかけると、振り返った牧は息を吐いた。
「――流石に緊張した、な」
苦笑いで呟く牧に、玲奈は申し訳ない気持ちになる。
「ごめんね、今日お父さんいたから……」
「ちょうど良かったよ。じゃあ玲奈、またな」
うん、と頷くと牧は玲奈に手を振って来た道を帰っていった。
その頃、兵藤家では――
「まーまー親父、今日は酒付き合ってやるよ」
「……俺だけか!知らなかったのは!」
リビングのソファでうちひしがれている父親を長男の啓介が慰める。
「言い出しにくかったんだろー玲奈も。俺も聡司から聞いてただけだし」
次男の周平も気持ちばかりのフォローを入れる。
「それにしても今年のルーキーは豊作らしいな、周」
「――俺が4年の時に入ってこられても困るぜ…」
玲奈が戻ってきたら大変だなこれは。と心の中で呟く聡司だった。
2015.4.16