贖罪


 たくさん迷惑をかけた。色んな人を傷つけたと思う。
 バスケ部や、安西先生や、家族や、他にも――。
 あいつにも。





「あ、ひーくん。おはよ」

 髪を切りバスケ部に復帰してしばらくたった。一高校生として当然な朝の時間に家を出て、のろのろ歩いていると後ろから声をかけられた。
 声で、呼び方で分かる。「あいつ」だ。


「…おっす」

「登校の時に会うなんて珍しいね。朝練は?」

「今テスト期間だろうが。勉強しろって言われてんだよ、赤木から」

「ははっ。赤点なんて取ったら試合出れないもんねえ。大丈夫なの?」

「…だから今必死こいてやってんだよっ」

「そうかそうか、いい傾向いい傾向」


 気が付くと隣に並んでけらけら笑っているこいつは、家も2軒隣で小さい時から知っている。俺がバスケで怪我してグレてバスケ部に乗り込んで色々やらかした事もこいつは知ってる訳だ。
 グレ始めた時にこいつに普通に声を掛けられた俺は、なんか無性にムカついて「うっせー、話しかけんな!」と怒鳴った。その時に見た表情は、今でも覚えている。俺がこいつ――玲奈を拒絶しても、顔を合わせると玲奈は変わらず話しかけてきた。それがとても居心地が悪くて、胸がぎゅうっと掴まれたように苦しくて、早く解放されたくて、俺から玲奈を避けるようになった。こんなに長く会話してるのはいつぶりだろう。バスケ部に復帰してすぐ、廊下で鉢合わせた時には挨拶だけだったから。


 ふふっ。
 色々思案していると隣から笑い声が漏れた。


「何だよ」

「いやー、またひーくんとこうやって話せる日が来るとはね。感慨深いなあ、と思って。ロン毛で歯抜けで口を開けばうるせーんだよ、って怒鳴ってた時はどうしようかと」


 「ロン毛で歯抜け」を思い出したのか、玲奈はあっはっは!と腹を抱えて笑っている。


「…笑いたきゃ笑えよ」

「ははは。ごめんごめん。でも今のひーくんはイイ感じだよ。短髪で歯を入れたひーくんは」

「お前いい加減にしろよ」


 流石に怒鳴る気にはなれない。散々突き放して、嫌な思いも沢山させたのにこうやって変わらず話してくれる幼馴染に。
 昔と変わらない、温かい空気を自然と作ってくれる玲奈に。


「はー…、笑い過ぎてお腹いた。あ、勉強本当に大丈夫?全然授業出てなかったんでしょ。分かんないんじゃないの?」

「…赤木にでも聞くわ」

「私が教えよーか?」


 思わぬ申し出に玲奈の方を見る。玲奈はにやっと笑ってエヘン、と胸を反らした。


「赤木君ほど頭良くないけどね。英語は自信あるけど!分かんないとこあったらいつでも家おいでよ。近いんだし」


 お…おう、と返事をすると同時に前方から玲奈を呼ぶ女子の声がして、「じゃあひーくんまたね」と玲奈は走っていった。


 じわり、胸の奥に温かいものを感じる。
 昔から心の奥底にあったのに、長い間封じ込めて気付かないようにしていた、もの。










 ピーンポーン。
 何年振りかに訪れる玲奈の家のチャイムを鳴らすと、玲奈が出迎えてくれた。


「いらっしゃーい」

「悪いな、急に頼んじまって」

「いいよー、前もって学校で言ってくれたじゃん。お陰で部屋片付けれたから、上がって上がって」


 何年振りかにあがる玲奈の家は昔と何も変わっていなかった。匂いや空気感。それだけの事かもしれないけど俺はとても安心できる。

 玲奈の部屋の位置も昔と変わっていない。部屋に入ると勉強用に用意してくれたであろう大きめの折りたたみ式のテーブルとクッションが2つ。


「折角だから私も同じ机でやろーと思って。その方がすぐ教えられるでしょ?」


 そこ座ってー、と促され座ると、玲奈がテーブルを挟んで真向かいに腰を下ろした。


「よーし、やろう!分からないとこ、どこ?」



 玲奈の教え方はとても解かり易かった。1から丁寧に教えてくれる。どんだけ授業出てなかったんだよ俺は。

 数学の問題を唸りながら解いていると、玲奈が独り言のように呟いた。


「…私インターハイ予選、見に行ってたんだよ」

「え、バスケのか?」

「他に何を見に行くのよ。三井寿を見に行ったんだよ」


 俺は玲奈の方を向いてるが、玲奈は教科書に目線を落としたままだ。


「…わり、気づかなかった」

「そりゃそーでしょ。あんだけ観客も多ければね。決勝リーグ、だっけ?海南、陵南、…あとどこだっけ」

「…武里だよ」

「あー、そこそこ。…うん。バスケしてるひーくん見たよ。思わず涙出ちゃった」

「!」

「凄いな、と思って。人間、やれば出来るんじゃんって。諦めなければ、たとえ回り道したってちゃんと叶うんだね。夢とか、想いとか」

「……」

「…凄かったよ。流石、ひーくんだなって、思ったよ」


 玲奈の思いがけない言葉を聞いて、俺はシャーペンをぐっと握りしめた。泣きそうになるのを何とか堪えた。
 他の誰でもない、玲奈に言ってもらえた事が嬉しかった。

 今までの玲奈との思い出が頭の中を駆け巡る。どうしてこんな俺と接してくれるんだ。どうしてこんなに優しいんだよ。
 あんなに、遠ざけたのに。
 どうして。


「…だからね。私も、チャレンジしてみることにしたんだ」

「…え?」


 ゆっくりと顔を上げた玲奈は俺の目を真っ直ぐ見つめた。


「私留学することにしたの」

「…は?」

「英語もっと勉強したいと思って。…でもいまいち勇気が出なかったんだよね、海外で生活することに。迷ってた時に、ひーくんの試合を見たの。それでやっぱ挑戦しないと駄目だよねって思ったんだ」


 玲奈の突然の発言に頭の中はぐしゃぐしゃだ。玲奈が遠くに行ってしまう事は嫌じゃないといえば嘘になる。だけど俺のプレイを見て触発されたなんて言われて嬉しくない訳がない。

 なんなんだ、この感情。

 応援の言葉を伝えるべきなのに口が動かない。代わりに目から水分が溢れそうになる。何で俺が泣くんだ。悲しい訳じゃない。今までの信頼や、反抗や、絶望や、希望やらがごちゃまぜになって身動きが取れない。口元に拳をやってなんとか誤魔化した。


「…なんでひーくんが泣くの」

「…泣いてねーよ」

「泣いてるよ。分かるんだよ、私は。涙、出てなくても」


 そんな事言うな。本当に泣いちまうだろうが。



「ずっと、見てたから」



 とどめの一言を吐かれた瞬間、俺はいつの間にか隣に座っていた玲奈を抱きしめた。玲奈は俺の背中に手を回し、ぽんぽん、と背中を叩く。


「泣き虫ひーくん。感激屋さんだね」


 流れ出した涙を止める事無く、只玲奈は受け止める。こんな俺の事なんて全部お見通しだったかのように。ふふっと笑いながら。


「ひーくん大好き、だよ」







 数日後のテストの結果は、今までサボっていたツケは簡単には取り戻せず赤点を取ってしまい追試となった。

 英語は、追試を免れたけど。




(10000HIT記念Request)
2014.7.23



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