15 進 1


 10月初旬の土曜日、玲奈は電車で牧の家の最寄り駅に向かっていた。次の週にはお互い中間テストが控えており、部活もテスト前週間で休みなのだ。こういった休みの時でもない限り、なかなか2人で会う事は難しかった。

 目的の駅に着くと、玲奈は心がはやるのを感じた。駅に牧が迎えに来てくれるというので、もうすぐ牧に会える。自然と顔がほころんでしまい、頬を手で覆った。


 改札が見えると玲奈は牧の姿を探す。

 あ……!

 改札出口の少し離れたところに、濃紺のVネックの長袖Tシャツにジーパン姿の牧を見つけた。牧も玲奈にすぐ気付き、片手を上げて手を振る。玲奈は足早に改札を出た。


「牧さん、おはよう!」

「おはよう。――何か荷物が多いな。そんなに持ってきたのか?勉強道具」

「こっちのトートバッグは教科書とか入ってるの。こっちのバッグは、お弁当。作ってきた」

「!悪いな、気使わせて……。大変だったろ?」

「いつも自分のお弁当とか作ってるから平気。多めに作ったけど、でも足りるかな……?」

「あんまり腹一杯になると眠くなるからな。ありがとう」


 そう言うと牧は玲奈の荷物をひょいと持ち上げ自分の肩に掛けた。


「思ってたよりも重いな……。あんまり無理するなよ?」


 牧は玲奈の左足と杖を支える右腕を見た。


「大丈夫だよ。このくらい持てないと部活でも使い物にならないもん。只でさえ右手使えないのに。左手だけでポカリのボトルが入ったカゴ3個4個担ぐんだから」

 玲奈は足を手術してから部のマネージャー業をやっていた。プレイといってもするのはパス出しくらいで、海南との練習試合の時も玲奈はチームのサポートに回っていた。


「尚更だ。じゃあ、うちに行こうか」


 玲奈は牧に顔を向けると持ってくれてありがとう、と微笑んだ。牧は玲奈の頭を優しく撫でた。久し振りの牧の手の感触に玲奈の鼓動は早まった。





 10分程歩くと牧の家に着いた。牧の手を借りながら2階の牧の部屋に入る。思っていたよりも広く、ベッド、机、オーディオ機器や本が並んだラックが置かれ、不要な物は置いていない印象だ。


「……!!部屋から海が見えるの!?いいなあー……」


 玲奈は部屋の窓の側に立つと、そこから見える景色に興奮した。全部が海という訳ではないが、他の家の屋根の間から海が望める。


「玲奈ちゃんは海好きだよな……。あ、足キツイだろうから俺の机で勉強するか?」

「え、ダメ!部屋の主人を差し置いてそんな事!牧さんが自分の机使って」


 玲奈は床に広げられた大きめの折り畳みテーブルの前に座った。





 お互いが自分のペースで勉強を始めた。玲奈は牧に辞書を借りながら進めていたが、気になっていた事をふと思いだし牧に問いかけた。


「牧さん」

「んー?どうした?」

「ずっと聞きたかった事があるんだけど……牧さんは大学進学?」

「ああ、そのつもりだよ」

「バスケ推薦?」


 牧は椅子を回転させて玲奈の方に向き直った。


「ああ、まだ正式に返事をしてないんだがな……何校か話貰ってたんだ。迷ってたんだけど、決めたよ」

「どこ……か聞いてもいい?」

「――深体大」

「――え"ええっ!!すっ……ごいね!!ホントに……」


 深体大は男子バスケ大学No.1のチームで名を轟かせているところだ。


「また一から、だな。全国から上手い人間が集まるんだから、スタメンとるのも相当厳しいだろうし。やりがいはあるな」

「――私も負けてられないなあ……もっと頑張らないと」


 牧と玲奈は顔を見合せ笑った。





 午前中みっちり勉強した後、お昼にお弁当を食べて一息つく。牧は玲奈の料理の上手さに感心した。ふと部屋の本棚に玲奈の目がとまる。


「あ……牧さん、あれ卒業アルバム?」


 玲奈は本棚にある分厚い冊子を指差した。


「ああ、中学のな……見たいのか?」


 牧は顔をしかめて玲奈に聞いた。玲奈は目をキラキラさせながら頷く。牧はここで嫌と言っても無駄だろう、と思って諦めた。

 牧は下を向いて深く息を吐いた。アルバムを出そうと思ったら、一足早く玲奈が立ち上がって本棚のアルバムを取ろうとしていた。
 しかしその段の本はビッシリ納められていて、なかなかアルバムが取れない。玲奈が左手で引き抜こうとした途端、力を入れすぎて身体のバランスを崩した。


「危な……!!」


 牧は咄嗟に玲奈の側に寄り、倒れそうになる玲奈を片腕で支えた。


「ご……ごめんなさい!!」


 玲奈は怪我はなかった。牧も上手く身体を使って玲奈を庇いながら受身をとった。
 が、本棚はベッドの隣だったため、2人はベッドに身体を預ける体勢になってしまった。

 玲奈は上半身をベッドに預けている状態で、玲奈の後頭部の下に牧の左腕が添えられている。

 か、顔が、近い……!

 玲奈が硬直して動けなくなっていると、牧の表情が変わった。目の奥が鋭く光って、真剣な眼差し。この表情は――玲奈は見たことがあった。

 初めて、キスされた時の――


 そう思った時には唇が牧のそれで塞がれていた。触れるだけでは終わらず、玲奈が初めて経験する、深いキスになる。


「んっ……んぅ……」


 玲奈の吐息に声が交じると、牧は唇を離した。


「……嫌か?」


 息を乱さず牧が聞く。玲奈は顔を赤くしたまま首を振った。


「嫌じゃ、ないよ……。でも、こんなつもりじゃなくて、私……」


 牧は微笑むと、玲奈の頭を撫でる。


「好きな女と同じ部屋にずっと居たら、抱きたくもなるんだ……。でも玲奈ちゃんがまだしたくない、って思うんなら、やめとくよ――」


 牧は起き上がって玲奈から身体を離した。

 玲奈はその瞬間、これで良いのかという思いと、牧が離れていく感触に我慢ならなかった。

 玲奈は牧の腕を掴む。牧は目を見開いて玲奈を見つめた。


「……私牧さんとなら、いいって思ってたから……。ただ、私初めて……だから、どうすればいいか分からなくて――。む、胸も小さいし、牧さんが楽しく?ないかも、とか、考えちゃって……」


 玲奈は俯きながら思いを口にすると、牧はベッドに座っている玲奈と同じように座り直した。牧と玲奈は見つめ合う。


「好きな女ならそんな事関係ない。俺は玲奈ちゃんだから、抱きたいんだ。……止めるなら今だぞ……?途中からだと、止まれなくなる――」


 玲奈は返事の代わりに、牧の胸に身体を預けた。微かに震える玲奈の身体を、牧は優しく抱きしめた。




2012.6.29



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