スパイス


「――兵藤、兵藤」

 机をトントン叩かれてガバッと起き上がると、前の席の神くんが、寝ていた私に向かってプリントを差し出していた。

「これ。前からまわってきたよ。あと涎出てる」

「えぇっ!うそぉ!?」

 私は口の周りに手をやり、みっともないであろう姿を隠そうとした。


「嘘。ほんと騙されやすいね、兵藤は」

「――っ!」

 神くんは私に捨て台詞を吐くと、なにくわぬ顔で前に向き直った。


 またやられた……。
 いつもこうなのだ。何かにつけて彼――神宗一郎は私に意地悪をしてくる。

 私のやる事なす事にちょこちょこ口を出しては、私が慌てふためくのを楽しんでる様で。こっちからすれば嫌な気分にしかならない。

 まあ、今のは寝てた私が悪いんだけどさ。



 キーンコーンカーンコーン……と午前の授業終了のチャイムが鳴ってお昼休みを告げた。

 神くんはいつも別のクラスでご飯を食べているらしい。なので、私の友達の真由子が神くんの椅子を借りてお昼を一緒に過ごしていた。


「聞いてよ真由子。また神くんに嫌がらせされた」

「えー?ホントに?神くんてそんな事するの?」

「するんだって!腹立つよー!あの男は!」

「でもそんなにされた子の話とか聞いた事ないけどなあー。玲奈にだけじゃないの?何したの一体」

「こっちが聞きたい!もー早く席替えないかなあー」


 される事ひとつひとつが小さな事でも、塵も積もれば山となるで、ストレスがどんどん溜まっていく。自分に心当たりがあるならともかく全く見当もつかない。

 とりあえずイライラを解消するため、お弁当を綺麗に平らげた。






 お昼休みもあと5分程で終わる。真由子も自分の席に戻り、神くんも帰って来た。

 次の授業は現国だ。ご飯食べた後の現国って眠くなるんだよなー、そう思いながら教科書やらを机の上に出していると、神くんが話しかけてきた。


「兵藤、口にケチャップ付いてる」


 ほらまた。もうその手にはのらないぞ。どうせすぐ嘘って言うに決まってるんだから。


「はいはい。また騙して面白がろうとしてるんでしょー」

「違うよ、ほら」


 神くんは私の唇の左端にすっと手をやり、親指でケチャップをすくって舐め取った。


「――!!」

「だから言ったじゃん。人の忠告は聞いとかないと後悔するよ?」


 顔を真っ赤にして固まってる私をよそに、神くんは前を向いてしまった。
 私は予習する振りをして、教科書を立てて顔を隠した。

 な、何なの、今のは――!!

 ああいう事を教室で、しかもさらっとやる!?普通!?

 し、信じらんない……。

 軽く馬鹿にされた発言は頭から吹き飛んで、神くんの指の感触と、指を舐めとる仕草が頭の中を支配していた。







**




「まだ半分もある……もうやだよー……」


 帰りのHRはとっくに終わっているが、私は教室に残って担任から頼まれた作業をしていた。

 2年生全員分の資料のホチキス留めで、私は今日運悪く日直だった。もう1人の日直の男子はすでに帰っていて、1人でやる破目になった。

 先生に出来ませんでした、とは言いたくなかった。ここで他人を頼れば楽になるのだが、真由子は今日は塾で先に帰ってしまった。妙な責任感とプライドだけが、私の手を動かす。

 辺りはだいぶ暗くなっていた。


 もう、1秒でも早く終わらせて帰ろう!!

 バチンバチンと音をさせながら資料と格闘していると、ガラと教室のドアが開いた。


「あれ、まだ残ってたの」


 Tシャツ短パン姿の神くんだった。身体から汗が噴き出していて、部活中なんだと分かった。
 神くんは自分の席に掛けてあるバックからタオルを取り出すと、汗を拭った。


「何してんの?」

「資料のホチキス留め……2年全員分……あと半分……」

「1人でやってんの?」


 私はコクンと頷いた。神くんが来て緊張が解けたのか、疲れがどっと押し寄せてきた。

 神くんは机と椅子を私と向かい合わせに動かし、まだ終わっていない資料の山から半分を手に取ると、席についた。


「これ、借りるよ」


 もう1人の日直の分のホチキスを手に取ると、パチパチと資料を綴じ始めた。


「え、神くんいいよ!!部活中なんでしょ!?」

「でもさっきのペースじゃまだまだ終わらないよ。2人でやった方が早い。終わったらすぐ戻ればいいから」


 そう言いながら神くんの手は休まる気配がない。私は申し訳なくて、これは一刻も早く終わらせようと作業を再開した。



 ――凄い。1人増えるだけでこんなに違うんだ。処理済の資料の山がどんどん高くなる。あともう少しだ。


 お互い無言で作業をしていたが、私はこの沈黙に耐えられなくなって神くんに話し掛けた。


「……神くん、なんか、いつもより優しい……ね?」


 神くんは手を休めずに言葉を返してくれた。


「……そう?別に変らないと思うけど」

「だって、いつも意地悪じゃん。あー言えばこー言うって感じで」

「意地悪してるつもりは無いけどね」

「うそ!私いつも嫌な思いしてるんだよ!チクチク言われてさ!神くん私の事、嫌いなんでしょ!?」


 私は今迄の思いが爆発し、神くんに向かって声を荒げていた。

 神くんは顔を上げて私を見る。



「……何で俺がいつも兵藤にちょっかいかけてると思う?」

「へ?」

「俺は部活で忙しい男なの。わざわざ嫌いな奴の手伝いする程お人好しでもない」


 え?それって……


「俺は兵藤に意地悪してたつもりは無いよ。後は自分で考えて。兵藤もそこまで馬鹿じゃないでしょ」


 神くんはそれだけ言うとまた作業に戻った。


 私は神くんが何を言いたいのか分かった……と思う。多分……私が考えてる答えで、合ってる……筈。


 今迄の神くんの行動の理由が分かると、私の心臓は急にバクバク鳴り出した。ゲンキンなもので、数々の嫌がらせに対する不快感も消えていく。今日唇に触れられたのを思い出して、途端に顔が熱くなった。


 いつの間にか資料は全てホチキスで留められていた。


「……分かった?」

 神くんは立ち上がると、優しく笑って私を見た。今迄そんな顔見たことなくて、焦ってしまってどうしたらいいか分からない。


 でも完全に彼のペースにはさせたくない。散々振り回されてきたんだから。私は不敵に笑って見せた。


「……分かんない。私、馬鹿だから。――教えて?」

 神くんは目を見開いた後、ニヤリと口の端を上げて笑った。


 これからは私も神くんを振り回さないと。主導権は渡さないんだから――。





(相互サイト『season〜of Heart〜』まい様リク)
2011.11.26



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