△ 夏の青の
その輝くような紺碧の羽根の持ち主が舞い込んで、もとい迷い込んできたのは、夏のよく晴れた日だった。
「ラブバード?」
馴染みのないその名前を聞いて、エマは興味津々といった様子で、その小さくて暖かな体に触れてみた。
顔の周りの羽は白くて柔らかく、後頭部から尾羽にかけて色彩画のように段々と青が濃くなっている。静かな水の中を映したような瑠璃色の羽根は艶々として美しい。
「ああ、昔人類が壁の中に逃げ込んだ時に紛れ込んでいたとかなんとか、とにかく野生では生息しないこの鳥は、今で愛玩用として街で売られているみたいだよ」
「ハンジさん、物知りですね」
「ウォール・シーナの店で見たことがあってさ」
「えーっ、可愛い!逃げないんですね。すごく人に慣れてる」
エマに続き、ペトラも思い切ってその頭を撫でるように触れてみるが、逃げるどころか甘えるように寄り添ってくるので、女性陣のみならずエレンまでもが最早メロメロ、という感じだった。
愛玩用。
なるほど、確かにひとを怖がるどころか誰彼構わずすり寄ってくる。
鳥がこんなに懐くなんて思いもしなかった。
きっと誰かに大事に世話されていたのだろう。
「それがどうして兵長の部屋に?」
「本当だよね、よりによって、というべきかな」
「オイ、どういう意味だ」
「うーん、どこかから逃げて来たんでしょうか」
その日の朝、開け放した窓辺にちょこんと座り込み、小首を傾げるその青い小鳥に気が付いたのは部屋の主のリヴァイではなく、たまたまの休みに彼に会いに来ていたエマの方だった。
可愛い子がいる、と近くの給湯室から部屋に二人分の飲み物を運んできたリヴァイに、エマは幼子が宝物を見つけたような眩しい笑顔を見せた。
それを聞いて顔を上げた彼は、いつも通りの無表情を少しだけ怪訝そうにしてみたけれど、その可愛い子、の部分でしっかりとエマの柔らかく零れる笑みを目に焼き付けていた。
彼がその言葉を内心どう思っていたかは誰にもわからないけれど。
とにかく、興味が無さそうな彼を引っ張って窓際に連れてきてもその小鳥は逃げようともせずこちらをじっと見上げているのだった。
ぱちぱちと瞬きをしては水を飲んだり、不意に誰かの肩に飛んでみたり。
自由気ままのそのすがたに一同からは楽しそうな声が絶えない。
放っておけばその内飛んでいくだろ、と早々にその鳥に背を向けるリヴァイとは対照的に、エマの方はそれに触れてみたり水をあげてみたりと、とにかく興奮冷めやらぬといった体だった。
窓を開けたままにしているのにも関わらず一向に飛び立とうとしないので、彼女が鳥に詳しい人を探しに行ったのが昼前のこと。
その後、さして多くもないリヴァイ班全員にその話が伝わり、午後にはこうして全員が入れ替わり立ち代わりリヴァイの部屋に寄ることになってしまった。
すぐに仕事に戻るだろうと思っていたエルドやオルオ、グンタにしても、高い所が好きな小鳥に肩に悠々と止まられては相好を崩すといった具合だった。
ただ一人、この部屋の主を覗いては。
彼だけは一人離れた椅子に座って仕事の続きをしているようだった。
一人前に大きく羽根を羽ばたいて見せる珍客は、どんな仕草をしていても愛くるしい。
鳥といえば街中で煉瓦道をつついているような逞しい類しか目にしたことがなかっただけに、警戒心もなく人にすり寄ってくるその姿は新鮮以外の何物でもなかった。
光の当たる角度で緑にも青にも輝いて見えるその尾羽は、大切にされてきた証のようにするりとよく整っている。
予想外にハンジが鳥に詳しかったため、寒さに弱いというこの種類の鳥の為に窓を閉め、鶏小屋から分けてもらった小さなシードと水などを用意していた。
「まあとにかく、今日は日も暮れてきたしこの鳥も帰るに帰れないだろう。
この種に帰巣本能があるかは分からないけれど、また明日、外が暖かい時間に窓を開けておく位でいいんじゃないかな。
もし、このままこの鳥を飼う気がないなら、ね」
ハンジはそう言いながらこれ見よがしにウィンクをする。
無論、彼ではなく彼女の方に。
気が済むまで鳥を眺め終わったハンジを含む最後の一行は、来た時と同じようにぞろぞろと連れ立って出て行こうとしていた。
お邪魔しました、
じゃあね、
と口々にそう残して部屋の空気は朝と同じく、二人と一羽だけ残されてやっと静まったようだった。
「…あの、リヴァイ…?」
伺うように恐る恐る自身の名を呼ぶ彼女の思いは、手に取るように分かっていた。
静かな部屋でやっと聞こえるほどの息をついて、リヴァイは足を組み直した。
「お前が世話するならな」
そう答えると、またあの笑顔が零れるのも、知っていた。
仕事の邪魔をしたくないと、いつもは真面目なほどこちらへ来ない彼女が、暇を見つけてはこう何日も続けて自分の部屋に来るのも悪くない。
決して言葉にはしないものの、毎日の楽しみの様に鳥と戯れる姿を横目で見てはリヴァイの表情も微かに緩むのだった。
小鳥が迷い込んできてから、早くも一週間が経とうとしていた頃。
「うーん。やっぱり、リヴァイに懐いてる」
「あ?」
その内にエマが唐突にそんなことを言い出すものだから、リヴァイは手元の読み物から目線を上げた。
「いいなぁ。もしかして、夜一緒に寝てたりする?」
「するかよ」
「でもだって、ほら」
そう言って彼女がその青い小鳥を机の上にそっと残す。
二、三歩離れるように後ろに下がると、鳥は首を何度か上下させて飛空距離を測ろうとでもする仕草を見せてから、ばたた、とその小柄な身体には不釣り合いなほどの大きな音を立てて羽ばたく。
その目指す先は彼女を飛び越え、何度かそんなことがあったときと同じくリヴァイの肩に落ち着くのだった。
「たまたまだろ。
さっきはお前の方に飛んでったじゃねぇか」
リヴァイは変わらず興味のない振りをしながら、けれどその鳥を人差し指であやすように撫でた。
その仕草はもう慣れたものだ。
そうすると、小鳥も至極気持ちよさそうにうっとりと瞼を閉じる。
彼の表情もなんだかとっても優しく。さらには顔に擦り寄ってくる鳥を嫌がることもせず、なんなら小さく声を掛けたりしている。
「・・・・・・」
小鳥は可愛い。
ものすごく愛らしい。
こんな感情を抱くこと自体が信じられない。
鳥のすることだ、と分かっていても。少し拗ねるような表情をしたエマは、徐に鳥が止まった方とは反対側に立ち、手を伸ばす。
手を伸ばした先は小鳥、ではなく、リヴァイの頬だった。
触れられた方の彼は、少し驚いたように片眉を上げて、黙ったまま彼女を見上げた。
驚いたのはその行動ではなくて、そのあとに続く言葉の方だった。
「そんな優しい顔、私、されたことない・・・」
何言ってる、と言おうとして言えなかったのは、彼女がそのまま遠慮がちに自分の膝にそろそろと座ってみたからだ。
促すことはあっても、まだすぐに顔を赤くさせるので彼女の方からこうして抱き着く以外の行動をすることは珍しい。
まさか、相手は鳥だ、と思ったが。
この表情から見るに、その、まさからしい。
笑みそうになるのを喉の奥で思わずせき止めた。
「……それで?」
彼女の言動を堪能したあと、リヴァイの口角もいつものように緩み、声色が少し意地悪そうに低くなる。
近くで聞く低いその声は、いつでも彼女の気持ちを落ち着かせて、けれど同時に胸の内を騒がしくさせる不思議な音を含んでいた。
自分から膝の上に腰かけてきたというのに、その顔は耳までみるみるうちに赤くなっていくのが分かる。
やっとというか、今では時折夜に肌を重ねるようにまでなったというのに。
まだ照れることがあるのかと、全くこの存在には日々胸がくすぐられる思いだった。
そう促すと、顔を俯かせたまま何度か言い淀んだ気配がして。
そして、そのあと。
「わ、わたしも、触ってほしい…っ」
そう言い切った癖に、顔を上げることもなくそれを隠すようにリヴァイの首元に顔を埋めた。
彼の方は反射的にその肩を抱え込みそうになって、それを思い留まる。
それをお前が言うか。
この一週間、小鳥に一番夢中だったのはペトラと彼女の方だった。その身体には、後ろから触れようと思えば触れられた。
それを諦めたのは、年相応にペットを可愛がる姿が、こちらにも眩しく見えたわけであって。
いつもより長く近くにはいるものの、そんな相手に無理強いできるわけもない。こちらの方が多少お預けを食らった気分ではあったのだ。
彼女の少女らしい思いを引き出せたところで、今度こそリヴァイの瞳に深い笑みが浮かんだ。
するりと片手をエマの後頭部に滑り込ませ、その顔を引き寄せ、思い切り間近からその瞳を覗き込む。
その反動で、ばたた、と鳥が肩から飛び立つ音がしたけれど、彼は絶好のこの機会を逃す気は無かった。
「触るって、どこをだ」
「え…っ」
「触らなくていいのか?」
「あ、えと、じゃあ、頭、とか…」
彼女が言う通りに指を髪に絡ませ、頭を軽く撫でる。
これでいいのか、と彼が訊くと、
「…っ、首、とかも…」
と続けていうので、言われるとおりに首に指を滑らせて、その形を確かめるように両手で細い首を緩く掴んだりした。
恥ずかしそうに目を逸らしながら、それでも微かにその肌が反応したのを確認して、リヴァイはその首筋に唇を寄せた。
こうでもしない限り、彼女自身から欲しいと言われる機会はあまりない。つい、いつもの悪戯心に火がついてしまった。
彼女の方も、もちろんその意地悪な瞳には気が付いていて、こういう時は顔から火が出るほど恥ずかしくても彼に従うべきだと分かっていた。
首筋に、掠める程度に彼の唇がするりと滑る。
触れるか触れないか。
噛みつくか、噛みつかないか。
唇よりも、その吐息が肌を撫でる感触の方が鮮明に感じる。
彼につかまる指先に力が入った。
「……っ、」
「…もういいのか?」
止めてほしく、ない、と切実に思う。
言ったら、彼はその通りにしてくれるのも分かっている。
恥ずかしいけど、触れて欲しい。
「……ちゃんと、して…」
そう口にした瞬間に、熱いほどの舌が首に当たる。
今度こそのはっきりとした彼の生の体温に、思わずびくりと喉から仰け反った。
もう、彼から問われることはなかった。
首からの愛撫が耳へ移り、顎から頬へと啄むように、噛みつくように唇が吸い付く。
唇が重なる。
止まらないほどの情と湧き上がる欲を持て余しながら夢中で抱き合うと、すぐにベッドに倒されて、また息が追い付かないほどの激しさに飲み込まれていった。
ーーーーーーーーー
「全くお前はひどいやつだな。急に蔑ろにされた鳥に悪いと思わねぇのか」
「ご、ごめんなさい」
やっと肌を離したときに我に返って、ものすごく楽しそうにするリヴァイはそう言いながらあの青い鳥に目をやった。
お互いにまだ裸のまま、一枚のブランケットを羽織っている。
リヴァイの部屋のベッドはふたりで横になるには充分過ぎるほど大きくて初めは驚いた。
彼の方はこれならなんでも出来るだろう、と瞳の奥を光らせていうものだから、その意味を理解したときはとても恥ずかしかった。
肝心の鳥はというと、気持ちよさそうに棚に拵えた籠の中で瞼を閉じている。
「寝てやがる」
そう静かに呟くリヴァイは、やっぱり世話好きなのかな、と思った。
「ラブバードって、可愛い名前だよね。インコの仲間?」
「知らねぇが、そうかもな。
こいつは青みがかってるが、他の色も俺は見たことがない」
「他の色の子も見て見たいなぁ…。
でも、なんでラブバードっていうんだろうね?」
「お前、メガネの話を聞いていなかったのか」
「う……ごめんなさい」
なんだか謝ってばかりだ。目先のことばかり見てしまう自分がとても申し訳なく感じた。
エマが落胆していると、ふ、と呆れたような笑いを吐いて、その栗色の髪をふわりと撫でながらリヴァイが続けた。
「こいつらは自分でパートナーを決めて、そいつにのみ愛情をかけるそうだ。
その愛情が深いんだと」
「そうなんだ。愛情、かぁ……」
なんだかほっこりとした気分になって、ブランケットの中で彼にすり寄った。
自然とその肩に彼の腕が回されて、一緒に倒れるようにもういちどベッドに横になる。
実はまだ、彼から愛の言葉というやつは聞けてはいないんだけれど。
いつかそんなことが聞ける日が来たらいいなとぼんやりと思うだけで、そのどこまでも優しい腕のなかでは、何も不安に感じることはないのだった。
ーーーーーーーーー
「え、ほんとですか?」
「ああ、街に張り紙が出てたそうだよ」
「見にいってみますね。ありがとうございます、エルドさん!」
それからすぐ、あの鳥と同じ特徴のラブバードを探しているという人が見つかって、無事にあの青い小鳥は持ち主の元へ戻っていった。
あの綺麗な小鳥との生活は、一週間と少しという短い間だけ。
それだけでも、毎日のように世話をしていた存在が急にいなくなってしまうのは心にぽっかりと穴が空いたように寂しいもので。
だけど、あの鳥が自分の決めたパートナーの元に戻れるのなら、それはすごく幸せなのかもしれなかった。
残されたのはリヴァイの部屋の窓辺にある、小さな鳥かごだけ。
それも彼がすぐに用意していたものだから見た時は驚いて、それから嬉しくなった。
彼はとても器用なのだ。彼はそうは言わないけれど、自分で用意してくれたのかなと思う。
「ラブバード、可愛かったなぁ…。
リヴァイ、今度お店に行ってみちゃだめ?」
「だめだ。行ったらお前絶対に欲しくなるだろ」
「うう、だって、可愛かった…」
未練たらたら、という言葉がぴったりのエマの腰をくるりと捕まえて、リヴァイは椅子に座る自身の膝の上に倒すようにしながら真面目に言い聞かせた。
「俺はお前で手一杯だ。他のを見る余裕もない」
「…!で、でもリヴァイだって可愛がってたでしょ?」
「あれはお前がそうしてたからだ。
俺はそんなに動物に興味があるわけじゃない」
「嘘つき…」
「いいから、もう黙れ。
鳥にかまけて俺を蔑ろにするなんて、悪いと思わないのか?」
「え、おも、……」
冗談めいた彼の唇は、いつもの通り私より少し温かかった。
なんだか彼自身色々な表情を見せてくれるようになって、その度に胸が高鳴る。
それは何年も前に、他の誰でもない彼に初めて感じた淡くて初々しい想いをそのまま繰り返しているようだった。
同じ人なのに、何度も彼に落ちて行く。
深く深く。
その底も見えなくて、少し怖いほど。
ラブバードは鳥同士でパートナーになったり、時には飼い主をそれと認めたり。
パートナーには性別も関係なくて、一度その相手だと決めたら他に行くのは難しくなる。
とても純粋で強固な愛情なのかもしれない。
情愛高く。
絆を大切にする。
彼の思いも目には見えないけれど、それでも強く感じられる気がした。
ナカロマ特別編
おわり