△ 夢百合草 05
玄関の引き戸を開けて家の中に入ると、夕方だというのにまだ弟は帰ってきていないようだった。
こうなったら仕方ない。
土間に続いて一段高くなっている式台を今は恨めしく思う。
「足元気を付けてくださいね、あ、履物を脱がないと…」
一度土間の段差に座って寄りかかってもらい、まずは自分が草履を脱いで見せてから彼が履いているその長い履物を指差してみる。
「えっと、その履物をですね。
家の中では履けないので。
脱いで頂いて、いえ、脱がさせてもらって…」
言いながら自分でも混乱して来た。
どうしよう、脱がせてあげた方がいいのかな。
でも触られたくないようだったら…
そんなことを迷っていると、その人は一度式台の上の板敷きの床を見てからもう一度怪訝そうな顔をした。
『こんな内装は見たことがないな……ブーツを脱げと言っているのか?』
…。
なんて言ったんだろう。
なんとなく、なんとなくだけど言葉の最後が上がり調子なので何か質問をしているような気もするけど。
しばしの沈黙と共に気まずい視線が絡む。
異人さんはそんなことを気にする素振りもなくて、気まずいと思っていたのは私だけみたいだった。
その手が不意にその黒のような焦げ茶のような履物にかかり、とんとん、と指で軽く叩いてから脱ぐ仕草をする。
『これを、脱いで欲しいのか?』
……!
今のは分かった気がした。
こっちを見て、確実に私に向けての質問だった。
「そうです…!お家の中では履物を脱ぐんです。お願いします!」
なんだか意思疎通が出来た気がして、思わず力いっぱい頷いてしまった。
そんな私を見てその眉間が少し寄った気がしたけど…
異人さんは私のその言葉を聞いて、というのが正しいのかどうか。
とにかく、しっかりとブーツを脱いでくれた。
無事に素足になってくれたのはいいけれど、その足を見て首を傾げてしまった。
両足に黒い帯の様なものを巻き着けている。
その帯はよく見ると両方の足の裏から太腿を通って腰、上半身から胸元にも掛けて繋がっているようだった。
もしかしたら、腰に見えるところからも考えると背中にも回っているのかも。
何かを留めているような金具が胸元にあるのは気付いていたけれど、それと繋がっているものを体中に巡らせているなんて分からなかった。
不思議な服だ。
なんだか筋肉を固定するような装備にも見える。
体を固定すると言えば。
…腰痛?
こんなに若そうに見えるのに。
いやいや、若くても近所の商屋の息子さんだって腰を痛めているし、年は関係ないか。
じゃあ、怪我?
この伸縮するような帯が全身を矯正しているんだろうか。
西洋は医学も進んでいるそうだから色んな医療器具もあるんだろう。
まさか、これを常時付けていないと歩けないとか、動けないとか。
…有り得るかも知れない。
そうじゃなきゃこんなに着るのも大変そうな帯を身につける理由が他に思いつかない。
具合が悪そうなのはそれが原因かも知れないし。
そ、それは早く横になってもらわないと大変…!
「異人さん、こちらです!」
その黒い帯を見て慌てて空き部屋に案内した。
辛そうは辛そうだけど、多少は自分の足で歩いてくれるので助かった。
これがもし彼を持ち上げなければいけなかったなら、土間から上がる時点で大変なことになっていただろう。
家族三人には広いくらいの家だけど、こんな時には無駄に部屋が余っていてよかったと思う。
玄関から入って板敷きの間を抜ければ時々客室として使っている空き部屋がある。
襖を開けて、部屋の入口でとりあえず待ってもらい、その間に手早く寝具を用意した。
客室用に家の中で一番良い蒲団もあってよかった。
異国の人には日本に対して少しでも良い印象を持ってもらいたいし、なんてこの非常時に私は何を思ってるのか。
でも。
寝具を用意し終わり、その人を振り返った瞬間にまたもやその怪訝そうな表情を見てはっとした。
なんだそれは。
お前は何をしているんだ、とでも思っているような気がした。
その不機嫌そうな顔を見ているとそれもあながち外れていない気がする。
そ、そうだった。
この人は違う文化の人で。
西洋ではこんな風に床には寝ないと母から聞いたこともあった。
嫌がられるだろうか。
違う習慣に戸惑うのは当たり前だ。
断られたら、これからでも出島に取り次がなくてはいけない。