△ 夢百合草 04
微笑みかけるわたしの顔をその綺麗な瞳が凝視するけれど、その表情は変わらずつられ笑いもしない。
愛想笑いというのはもしかして日本特有の文化なのかな。
この人のように無表情で人に接すると日本人の場合は失礼に当たる気がしたが、いかんせん異国の文化は想像がつかない。
きっと自分の不機嫌さを隠すことをしない文化なのだろう。
…それって気楽そうだ。ちょっと羨ましい。
私が手を差し伸べてからしばしの間を置いて、その人はやっと体を動かした。
わたしの手を握ることにものすごーく、とっても抵抗があったみたい。
自分で立ち上がろうとしてふらついてたものだから無理矢理その手を掴んだ。
こうして肩を貸しながら男性を支えるのは何度か経験があった。
給仕先で酔いつぶれたお客に手を貸したり、喧嘩っ早くて近所の子達と暴れまわってはすぐボロボロになって帰ってくる弟を土間から引き上げたり。
…弟の場合はまだ体重も軽いけど。
そうして異人さんの腕を掴み、その体重を自分の方に引き寄せた。
う、結構重量がある…。
そのわたしの思いに気付いたのか、その人は少し体を離す仕草をしたので慌ててその腕をがっしりと捕まえた。
ん?と思う。
もしかして、さっきも自分の体重を支えられないと思ったから手を取らなかったとか?
睨まれているようだけど、実は優しかったりするんだろうか。
…それとも、日本人なんかに触りたくないと思ったか。
う、それも有り得そう。
もしそうだったらこんな風に支えてしまって悪く思うけど。
でもあそこに放置しておくわけにもいかないし。
なんて色々考えたって何一つ聞くことも出来ない。
なんてもどかしい…!
今は家に連れて行くことだけ考えよう。
こうしなきゃ歩けないんだから!
常日頃から桶に入った水や樽なんかを運ぶこともあるのだ。
力比べなら少しだけ自信がある。
「大丈夫です!弟にもいつもこうしてるんですよ」
さ、行きましょうと先を促すと、異人さんは私の顔を一度見下ろしてからその足を踏み出した。
『違う言語を話す人間か。実際に見る日が来るとはな…』
何かその人がぽつりと呟いたけど私は目の前の坂をこの状態でどうしたら円滑に登れるかを必死に考えていたので聞こえていなかった。
最もそれが聞こえていたとしても、なんのヒントもないその言葉を理解する手立てもないのだけれど。
日が暮れると外を出歩く人はほとんどいなくなる。
家の外にわざわざ灯りを焚く人もいないわけだから、往来は夜になると一気に真っ暗になる為だ。
陽が沈みはじめて人もまばらになった港町を横切り、異人さんを支えながら家に向かった。
その人は道中、町並みやこちらを驚いたように振り返る町の人々を、反対に真剣な様子で眺めているようだった。
出島から異人さん達が出ていいのは幕府方から許可が出たときだけらしいので、きっと物珍しいんだろう。
町から一本通りを挟んだところに私たち家族が住む屋敷がある。
武家屋敷ほど立派なものでもないし、決して大きな屋敷ではないけれど建物自体には歴史もあり玄関は一応式台つきとなっている。
大名のお宅なんかに比べると小さめで古い一軒家だけれど、庭も風呂釜もあるし町屋暮らしと比べたら十分すぎるものだ。
元々は御家人の方の持ち家だったそうだけど、何年も空き家になっていたらしい。
住む人がいなくなったこのお屋敷に、長崎奉行のご好意で特別に私達が住めることになったというわけだ。
「もう少しですよ、あの家です」
励ますようにその人に声を掛けた。
先程から呼吸が荒くなっていたのは気付いていた。
さっきより辛そうだ。
顔色も良くないから、取り敢えず家で回復するまで休んでもらおう。
出島のオランダ商館には母から一報を入れて貰えばいい。
母、と考えてから、すっかり忘れていた事実を思い出した。
そういえば今日は積荷の準備のために夜まで出島にいなきゃいけないって言ってたんだっけ!
いつもならもう帰ってる時間だから通訳してもらおうと思ったのに、なんでこんな日に限って…!
焦る気持ちを抑えつつ、母が帰ってくるまではなんとか自分と弟とでこの人を介抱しなくては、と思い直して家の門をくぐった。