△ サルタナ 28
ハンジさんはひとしきり満足そうに笑んでから、やっと兵長の不機嫌さが増したことに気付いたようだった。
幾分わざとらしく咳払いをしながら、机の上から書類の束を掴みひらひらと振ってみせる。
「さてと。
君達の師弟関係には物凄く興味はあるんだけど、これを提出しなければいけないので今日のところは失礼するよ。
あとはエマ、ゆっくり君の用事とやらを済ますといい。
確かに他の子達と君とでは全く目的が違うようだから」
彼女はすれ違いざまに私の肩を軽く叩きながら「またの機会にゆっくり話そう」と廊下へと出て行くので、慌ててその横顔に会釈した。
先程までの子たちって。
一人や二人じゃないのか。
言い寄られたというのは本当なんだろうか。
ハンジさんの姿が見えなくなってから、どうにも耐えきれずに彼に向き直った。
「……兵長って、おモテになるんですね」
「単に物珍しいだけだろ。
…いい加減そのおかしな敬語をなんとかしろ」
私が物凄く不思議そうな顔をしていたのが分かったのか、彼自身の呟きも珍しく冗談ぽいというか自虐的だった。
「そう…ですよね」
と私も無意識に答えてしまったので、今度は私が冷たく睨まれる羽目になってしまった。
「あ、ええと。
私の用事というのが。
単刀直入に言いますと」
この話題に留まるのは得策ではない。
どうもこちらの失言ばかりが続いてしまうので、慌てて話を戻した。
彼は変わらず面白くなさそうにこちらに視線を向けている。
見るからに忙しそうな彼にこんなことを言うのは気が引けるけれど、こちらもそれなりに決心してきたのだ。
ダメで元々。
当たって砕けろだ。
「…あの。
兵士長にもなられてお忙しいとは思うんですけど、個人訓練を改めてお願い出来ないでしょうか」
正面から闇色の鋭い一対と目が合った。
でも。
元はといえば、彼の方から壁外から帰ってからもあの訓練を続けると言っていたはずだ。
「この前の遠征のときのように、自分の選択を、自分の実力のせいで躊躇いたくないんです」
彼が以前練習に付き合ってくれたのは彼の方にも利があったから。
先日、兵士の育成は彼の担当じゃないようなことを言っていたけれど実際はどうなんだろう。
私の経過報告や討伐数の伸びが彼の役に立つことがあるなら、もしかしたら。
と、少なからず不安になりながら彼の言葉を待っていた私の耳に届いたのは。
「まぁ、大分間も開いたが。
…元々やる話だったしな」
思ったより淡々とした彼の声だった。
じゃあ、と思わずほっとした私に、彼は更に言葉を続けた。
「見返りも当然あるんだろ?」
……見返り?
そんなお礼が出来るほどの賃金も貰っていないし…と一瞬戸惑ったが、すぐに友人から聞いた話を思出してピンと来た。
なんでも、上官たちや士官の会議の場には紅茶等の支給品が出されるらしい。
問題はそのどれもが質の良いものでは無いということだ。
特に最近は物価の高騰もあり、兵団に正規ルートで回ってくるそれは香りもほとんど無いに等しい品だとか。
中には粗悪品も混じっていることもある、という話だった。
同室のあの子が分けてくれる茶葉は、貴族筋から流れてくる高級品だとも聞いた。
彼が私から欲しがるものと言えばそれくらいだ。
尤も、私は彼から訓練を受けなくても渡す気ではあったのだが。
こう言われてはその通りに見返りとして差し出すしかない。
彼が一番最初に渡した種類の紅茶を最も好んでいるのも分かっている。
知らずに頬が緩んでいた。
「もちろんです。
個人訓練の回数以上に差し上げます」
彼の言い含める意味も少し分かってきたのかもしれない。
そう思うと自分も成長したのかと嬉しくなった。
笑みながらそう返すと、彼は少し面白くなさそうに眉根を寄せた。
あれ、と心配になってしまう。
間違えたんだろうか。
「あの…。
紅茶のことじゃないんですか?」
と思わず訊くと、
「いや、それで合ってる。
合ってるがなんとも色気がねぇ答えだな」
なんて返ってくる。
どういう思考回路なんだろう。
彼の思考が少しでも分かったような気がしたというのに。
今さっきの会話でどこでそうなるのか、要素の欠片も思い当たらずに困惑した。
「?よく分からないですけど。
兵長と私の会話だと色っぽくなるのは難しいと思います」
彼の真似をして眉間を寄せながらそう言うと、それを見た彼は逆に眉間の皺を薄くしたようだった。
「そうだな」
ちらりと見えた彼の口元。
それが、一瞬だけだけれど緩んだようにも見えた。