△ カトレア 10
その後も化粧は必要ないとか、男の人と二人きりになるななんて言われては返事を促されつつ。
いつになく雄弁になるリヴァイに、だけど私はまだ自分が化粧をしたままだったことを思い出して少し寂しくなった。
バスルームで落として来た方がいいんだろうか。
「お化粧…似合わなかった?」
「そうは言ってない。いつものままで充分、」
言いかけて、リヴァイも私も、は、とお互いを映したままの目を見開く。
途切れた言葉は、いつもの彼なら途中で上手く回避しているだろうはずの類に聞こえた。
いつもは上手く隠される、彼の心の内。
充分、なに……?
その先の言葉は、もしかして。
思わず時間が止まったように見つめると、段々とリヴァイの瞳の色に吸い込まれていくようだった。
見開かれたままの双眸がふと緩んだ気がした。
頬杖をついたまま、反対の手がすぐそばの私の顔に伸ばされる。
指の腹でくすぐるように薄く化粧をされた頬から瞼までを撫でられて、その感覚を噛みしめるように、とろりと瞬きをした。
「悪くない、が。……いつものままで、充分だ」
その先の言葉は、ただ聞こえていないだけで。
…聞こえていないだけで、見える気がした。
彼の触れてくる指先とそのどこまでも甘い雰囲気が、しっかりと伝えてくれていた。
リヴァイは…もしかしたら。私が思う以上に私のことを思ってくれているのかな、なんて。
そう自惚れてしまう程の甘さに、ふわふわとする。
そのまま、壁際の蝋燭の灯りがゆっくりと近づく彼の姿で陰っていく。
瞼も鼻も触れそうなほど近づいたとき、瞼に触れていたはずの指に、いつの間にか顎を掬われる。
閉じかけた彼の瞼を追うように、自然と自分のそれも降りていく。
唇同士が触れ合ったときには、私の胸の中には温かくてキラキラとしたものが舞い込むようだった。
戯れるように口づけを交わしては、間近で見つめあって。
緩く啄むようなそれが不意を突いて深くなったりする。
気付けば服も纏わないままの身体に彼の腕が回されていた。
ぴたりと隙間なく抱きしめ合い、もうそうすることが当たり前のように私はリヴァイの首元に両腕を回していて。
長くて溶け合いそうなキスを交わしたあと、ぽつぽつと囁くようにいくつか話をするうちに。
リヴァイの瞬きがゆったりとしたものに変わったことに気付いて、その幼く見える仕草に、堪らず素肌のままの胸元で彼を抱きしめていた。
恥ずかしさは不思議なほど薄れていて、今はただリヴァイのことが愛しくて仕方ない。
されるがままになっている彼が、更に私を腰からぐっと抱き締める。
その力強い腕の力に、何度でもときめいてしまう自分を感じていた。
ふと見る窓の外はまだ暗い。
蝋燭も消えかかり、小さな灯りが辛うじて家具の輪郭を見せてくれている。
朝まで少しでも寝てくれないかなと思いながら、その黒髪を抱き締めたまま梳くように緩く指を通す。
どれくらいそうしていたのか、彼の髪を遊ばせていた自分の手がすとんとシーツの上へ落ちてしまった時。
半分意識が落ちかけていたところへ、リヴァイの寝言にも近い、だけど思いの外しっかりとした囁きが聞こえた。
「……どこかに行くときには、次から必ず俺に報せに来い」
リヴァイ、起きてたの、と思いその顔を見下ろすけれど、綺麗な黒髪に隠れてその表情は見えない。
私だって毎回彼に知らせに行きたい。
話に。会いに、行きたい。
だけどリヴァイは仕事をしているわけだし、忙しい期間にその姿を見れない日があるのは、もう何度も経験している。
彼の表情を見るのは諦めて、もう一度その体を抱き締めた。
「…忙しいときはリヴァイに会うのも難しいのに…?」
そう言うと彼は思案するように静かになった。
そうだった、なんて思ってそうな間を置いて。
暫くしてから、「お前にナイフでも持たせるか」なんて物騒な解決案を呟いたときには耳を疑った。
それでもその声色は真剣なので、慌ててしっかりと自分で気をつけることを約束した。
薄く短く、リヴァイが息を吐く音が聞こえて。
「取り敢えず、俺の目の届かないところに行かないと約束しろ。
こっちは気が気じゃねぇ……」
そう言ったきり、体に回された彼の腕からするりと力が抜ける。
私はと言えば、彼を起こさないようにすること最優先にしてから。
その言葉が聞こえていたというのにそれを何度も脳内で再生し直しては、こうしてはっきりと心配してくれることに嬉しさとどこかむず痒さを感じながら、しばし硬直してしまった。
−−−−−−
翌朝、リヴァイを抱き締めたままうとうととしていた私は、明るくなり出した外の様子に目を覚ました。
そっと静かにその腕から離れて、シャワーを浴びようとバスルームへ向かう。
バスルームも派手さこそないものの広々としていて、シャワーカーテンには贅沢にも上品な金の刺繍が施されている。
バスタブも湯を溜めれば大人二人くらい悠々と足を伸ばせる広さだ。
ゆるやかに丸く縁どられたバスタブの側面と、ぴたりとそれ用に設えたシャワーカーテンのレールは同じようにゆったりとした曲線を辿る。
ゲストルームでこの仕様なら、本館のマスタールームはどうなっているのかと、考えるのも少し怖い。
蛇口を捻れば容易に溢れる熱いお湯に、少し感動してしまった。
ゲストの宿泊施設というだけあって、タオルや簡易なアメニティーはしっかりと棚の中に用意されていた。
空の編みかごがシンク横に置いてあったのを見る限り、通常はゲストが入室する前に出されているものかなとも思う。
化粧を落とし、しっかりとセットされていた髪を梳かしながら洗い終えるとガチャリとドアの開く音がして、次いで、シャワーカーテンがばさりと開かれた。
「……!」
はっとして振り返ると、そこには思ったとおりのリヴァイの姿があって。
だけどその表情はとっても不機嫌そうだった。
バスルームに置かれていた燭台は灯りが拡散するようにガラスの容器になっていて、蝋燭の火も明るいものだ。
全身が見えてしまうこの状況に咄嗟に腕で胸を隠してしまうけど、リヴァイはそれを気にした様子もなく。
「……どこかに行くなら声を掛けろと言ったはずだが」
「え…っ、でも、リヴァイ寝てたし…」
どこかと言っても同じ部屋の中だ。
折角寝てくれているリヴァイをわざわざ起こすなんて選択肢は私には無い。
「起こしたくなかった」と素直に伝えると、気に入らないように寄せられていたその眉が、今度は少し不思議そうに上げられた。
「俺は寝てたのか?」
「寝て…た、と思うけど」
寝ていたという事実が彼自身にはとても不思議そうだった。
少しでも寝てくれて私としては嬉しいんだけどな。
「そうか」、とリヴァイはどこか納得したように声を出すと、手早く衣服を脱ぎ捨ててそのままバスタブへ入ってきた。
「…っ!一緒に入るの…!?」
「なんだ、まだ恥ずかしいのか?」
ぱしゃ、とお湯を浴びたまま身を隠すように体の向きを変える。
そうすると面白そうに笑ったリヴァイの腕が伸びてきて、足の傷をするりと撫でてから、後ろからぎゅっと抱き締められた。
「あ…っ」
「さっきは自分から抱き締めたりしてきた癖に…お前は本当によく分からねぇな」
「それとは…っ全然違うから…!」
「一緒だ。逃げるな」
後ろから回された腕が、お湯を弾きながら身体の上を行き来する。
もう血も滲まないような足の傷を、屈むようにしてから確認し、不意にまたぺろりと舌で舐めたりする。
慌ててそれを止めさせようとするけど結局敵うわけもなく。
そうしてから、太腿から背中までリヴァイの指がくすぐる様に線を描いたりして。
隠していた胸から腕を退けるようにしてお腹から胸から、昨夜のように熱っぽく触れられる。
濡れた長い髪を避けて首筋から肩まで舌が這っていくと、その感触にびくりと肌が震えてしまう。
何度も肩の辺りで彼の舌が滴るお湯で遊びながら舐めとったり。
ぬるぬるとした刺激に、あっという間に理性が飛んでいくようだった。
耐え切れずに振り返るとその瞬間に唇を塞がれる。
柔く、時には強いくらいの刺激が全身を攻め立ててられて。
熱い指が脚の間に滑り込んだ時にはもう抵抗できなくなっていた。
耐え切れず吐息が溢れて、震える唇を開く。
「ま、また、するの…?」
ここまで来たらもう自分でも分かっているのに、こんなにも求められるとは思っていないのでつい聞いてしまう。
リヴァイはそんな私の耳に唇を寄せて、また吐息を注ぎ込むようにその場所で熱く囁く。
「これでも足りねぇくらいだ。
お前も、もう良くなってきただろ…?」
その問いには答えられないまま、返事の代わりに身体を熱くする。
充分すぎるほど熱くなっていた私の内部は、もうあの熱を待ち望んでいるようで。
両手をそれぞれ彼のそれに後ろから握られて、そのままバスルームの濡れた壁に縫い止められた。
あ、と声を出す暇もなく、蕩ける身体に熱く猛る彼自身が押し当てられた。
後ろから突き立てられると、切ないくらいの大きな波にすぐに身も心も奪われる。
篭るくらいのシャワーカーテンの中。
蒸気と肌に当たるリヴァイの吐息と熱い体温が、奥の奥まで身体の感覚を痺れさせていった。
耐え切れず足から震え出しても離してもらえず、何度も頭まで突き抜ける快感に全身が痙攣する。
あまりの恍惚感に呼吸が追い付かず頭が朦朧とし始め、最奥でリヴァイの熱が脈打ったのを感じたときには、全身の感覚がひどく遠くなっていた。
完璧に立てなくなった私をリヴァイはすぐに抱き留め、片手でシャワーを止めてから抱きかかえるようにしてバスルームを出る。
タオルに包まれたままベッドに座らされ、またすぐにでも意識を飛ばしそうな程ぼんやりとする私を見て、リヴァイは満足そうに口の端を上げた。
もう一日ゆっくりしていくか、なんて冗談とは思えないほど上機嫌で呟くリヴァイを少しだけ怖くも感じつつ。
一瞬だけ、この幸せな時間が続けばいいと思ってしまう。
だけどリヴァイは忙しい身なのだ。
仕事があるんでしょ、とその体を押し返しながら、まだ感覚の鈍い自分の体を無理矢理起こして帰り支度を始める他なかった。
兵服がないので仕方がなくもう一度あのドレスとヒールを身に付ける。
けれど、すぐにリヴァイに呼び止められた。
何かと思い振り返ると、どこから回収して来たのか、ここに来た時には持っていなかったはずの彼の正装のジャケットを手渡された。
ーーーあまり肌を露わにしないように。
昨夜の話が思い出される。
…本当に本気だったんだ。
差し出されたそれを持ったまま固まっていると、それを肩に掛けられ、前の全てのボタンをしっかりと留まられてしまった。
私には大きめなので、端から見るとぶかぶかのジャケットに着られているように見えたはすだけど。
彼にとっては合格ラインだったらしい。
そのまま手を引かれ、もうひと気のない朝の廊下を通り抜けて、エントランスまで向かう。
白で統一されたお城のような邸宅は、夜のそれとはかなり印象が変わって見える。
朝日の中で白い廊下や壁は眩しいくらいで、やっぱり現実離れしてみえた。
ゲストハウスに泊まっていた他の人たちの迎えなのか、エントランスには既にいくつか馬車が待機していた。
正面に停車されていた馬車に私の手を引いたままのリヴァイが近付くと、馭者がこちらを確認しては小さく会釈する。
この車で合っているようだった。
慣れた手つきでリヴァイがその高めに段差が付けられたステップを上がり、扉を開けてからこちらを振り向く。
「ーーー…帰るぞ」
差し伸べられたその大きな手のひらに捕まるように握り返して、その手に引き上げられるまま段差を飛び越えた。
強く引き上げられて、引き寄せられる。
いつだってこの手があれば軽々と飛び越えられる、と思った。
高いと感じた壁も、
怖いと思ったはずの場所も。
死ぬのかも、と覚悟した時だって。
こんな風に扱われると、もうどうやってひとりで生きていけばいいのか分からなくなる思いだった。
繋がれた手はそのままに。
調査兵団の本部まではまだ距離がある。
馬車の窓から差し込む淡い日差しと、繋いだ指から伝わる鼓動がどこまでも気持ちを落ち着かせる。
引き寄せられたのか、倒れ掛かってしまったのか。
気付けば彼の肩に凭れ掛かりながら、また幸せな微睡みに包まれていた。
隣に座るリヴァイは窓の外を静かに眺めたままで。
それにつられて私もぼんやりと外を見やる。
来た時は不安で一杯だった馬車から見える景色が、隣にあるリヴァイの存在で今はもう鮮やかに見えるばかりだった。
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「二人して朝帰りとは思わなかったよ」
兵服を探して行き着いた先はエルヴィンの執務室だった。
リヴァイと私が帰らないと報告を受けていたようだけど、言葉の割にはなぜかその表情は柔らかい。
「ご、ごめんなさい…」
朝帰りって。
その言葉に思わず頬を赤くしながら謝ってしまった私とは対照的に、リヴァイは不機嫌さを隠そうとしない。
「…元はと言えばエルヴィン、お前が悪い」
リヴァイから空かさずそう言い返され、エルヴィンは口元を緩めた。
「はは、そうだな、今回は事前に教えていなくて悪かった。
次回はしっかり伝えるように気をつけるよ」
「……次はねぇよ」
はらはらと二人の会話を見守るだけだった私は、入って来た扉の前から動けずにいた。
リヴァイはそう言いながら机の上に置かれた私の兵服を手早く回収する。
私もそれに続いて、床に置かれていた自分のブーツを抱え上げた。
「それはどうかな、リヴァイ。
こちらは君の唯一にして最大の弱味を握っているんだが」
「……握ってない。これはもう俺のだ」
もう片方の手で私の手を取ったリヴァイは、その勢いのまま廊下へ出て行こうとする。
そこへもう一度エルヴィンが声を掛けた。
「ああ、エマ、近々親戚中の集まりがあるんだよ。また似合いそうな服を届けるから、楽しみにしておいてくれ」
それを聞いたリヴァイは、今度こそ盛大に舌を鳴らした。
今度こそ振り返らずに廊下へと出ていく。
「エマ、話を聞くな。行くぞ」
「え、う、うん。エルヴィン、またね!」
強く手を引かれるまま執務室を後にした。
振り返った先に見えたエルヴィンは、とても楽しそうな笑顔でこちらに手を上げてくれた。
そのまま自分の宿舎に戻ろうと思ったけれど。
リヴァイが戻るなら兵服に着替えてからだと聞かなくて、結局本部横にある彼の部屋に連れて行かれ、着替えさせられた。
一人になった執務室で、エルヴィンは二人が出て行った扉を見つめていた。
エマに似合いそうな、と言いながら、リヴァイを煽るような服を今回寄越したのは勿論エルヴィンの差し金だった。
その格好をしたエマが変な男に引っ掛からないか内心心配していたが、その後リヴァイがすぐに向かったと聞いて取り敢えずは安心していた。
いざとなればすぐに自分が向かえるように余分に馬車も用意していたが、それも必要がなくなって逆に良かった。
−−−エマは母親似だ。
派手さこそないものの、優美に整った顔貌。
母親は近所でも評判の容姿だったので、エマが成長するに従って周りの目を引くようになるのも何となく分かっていた。
リヴァイにはそれがあまり分かっていないかもと、思ったが、どうやらただの懸念だったようだ。
エマをどう思っているのか、なんて邪推な質問はしたくない。
ただの年下の子供として心配しているのか、それともそういう対象として見ているのかだけでも知りたかった。
エマの気持ちは昔から分かりやすかった。
端から見ている全員が気付くほどだ。
それに応えるかこたえないかはリヴァイ次第だと思っていたが。
まさか、期待した以上の結果になっているとは思わなかった。
化粧と服装だけで女性はかなり変わる。
数年後の彼女を見れたことだろうか。
エマの一保護者としては、しっかりと守ってもらわなねばならない、と確認を込めた意味で仕掛けて見たが。
それ以上の収穫が見れたのでエルヴィンは満足そうに笑みを零してから、腰に手を当てた。
「どうやら、私は自分の心配をした方が良さそうだな…」
リヴァイはきっと人目も気にせずエマを迎えに行ったことだろうから、きっと大勢の目に触れたことだろう。
次の催しの際には、噂好きの人々にその事について質問責めに合うことも想像に難くない。
取り敢えず今は、年の離れた可愛い妹も同然の彼女が少しでも彼と時間を過ごせるようにしてやるか。
そうすることが気持ちばかりの詫びにもなるかもしれない。
兵士長宛ての仕事を多少自分へ回すか、
と静かになった執務室で、エルヴィンはひとり思った。
カトレア
おわり