△ カンナ
リヴァイの口から一緒に住むかと言われて、嬉しいというよりも信じられない気持ちの方が大きかった。
他の人に何度求婚されたとしてもこんなに心が動くことはなかった。
おい、とリヴァイに声を掛けられるほどには放心していたんだと思う。
そんな状態だったので、人生で一番嬉しい彼からの言葉に私はただ頷いただけだった。
もう少し可愛げのある反応が出来たら、と思う。
可愛らしく微笑んで頬を真っ赤に染めて、彼の言葉に涙出来ればよかったのに。
信じられないくらい嬉しいのにきっと彼には一つも伝わっていない。
無意識では動いてくれない表情筋が恨めしい。
「……相変わらずだな、お前は」
だけどそんな私を見てリヴァイは目を細める。
不意にその手が伸びてきて、手の甲が頬を撫でた。
その仕草がくすぐったくて…うっとりとしてしまうほど心地良い。
そのまま彼の手が私の首に回り、リヴァイの方へ引き寄せられて軽く唇が重なった。
「…少しずつでいいから移動の用意をしておけよ」
柔らかく、噛みつくように重ねられる温かい唇の感触を感じて瞼を閉じた。
少しずつ、と言った癖にリヴァイはそれから家に来るたびに荷物の整理を急がせるのだった。
「用意は出来たのか」とか「いつ終わるんだ」と逐一急かされる。
逆にもう場所の確保は出来ているのかと訊くと、途端に明確な返事は返ってこなくなった。
口下手同士が一緒にいるとどうも会話が進まない。
リヴァイの言葉にしたって、よくよく考えてみると結婚しようだとか愛してるだとかは言われていないわけで。
好きだとか、そういうことを言わない人なのは分かってる。
以前に一度私のことをどう思ってるか訊いてみたら「聞かないと分からないのか」と逆に睨まれたくらいだ。
以前の、と考えてからはたと手を止めた。
かちゃりと手元のカテラリーが音を立てる。
使わない食器や調理用具をまとめていた私が手を止めたのをみて、それを手伝っていたリヴァイが顔を上げた。
以前のような関係に戻ったかの様にも見えるけど、実際リヴァイがどうやってどこまでを思い出したかは聞いていない。
不安がなくなったわけではないし聞くことが少し怖いとも思う。
リヴァイは私のこと…。
私たちのこと、どれくらい覚えてるんだろう。
二年前この家で出会ったことを覚えているんだろうか。
種類別に分けていたあまり使わないカテラリーから目を離して顔を上げる。
真っ直ぐこちらを見ていたリヴァイと目が合った。
相変わらずの、私に負けないくらいの読みにくい表情。
「リヴァイ、初めて会った時のこととか…覚えてる?」
「…なんだ唐突に」
二年前、私たちの関係は同じようにこの家の庭先から始まった。
「リヴァイは以前からこの道をよく通ってたでしょう?」
歩きだったり、馬に乗ってたり。
その姿に気付いてからは自然と目で追ってしまっていた。
「…よく覚えてるな。ここは王都にも地下街にも近いからだろう」
その言葉は、やはり当時のことはあまり覚えていないように聞こえた。
でも私達のはじまりのきっかけは、私自身あまり覚えていてほしくないことでもあるので少し複雑だ。
あの時もにこりとも笑えなかった自分を思い出す。
「やっぱり全然覚えてないんだ…」
少し声のトーンを落とした私の声に、珍しく被せる様に返事が返される。
「別に全く覚えてないとは言ってない」
思い出せていないはずなのに思わずそう返してくるリヴァイを机越しに見て、つい悪戯心が疼いてしまった。
覚えていないなら素直にそう言えばいいのに。
これが私のことを蔑ろにして覚えていないと言うなら話は別だけど、怪我が原因なのだからそんなことで怒れるわけがない。
「…本当?」
「ああ」
出会ったあの頃。
リヴァイは女だからといって特別優しくしてくれることもなかった。
自分が普段使うことも聞くこともないような乱暴な物言いに眉を顰めたりした。
あの頃は今以上にリヴァイの考えていることが分からなかった。
彼がどう思っていたのか、いつまでも悶々と考えたりした。
…もしかしたら今のリヴァイに聞いたらあのときの答えが分かるかもしれない。
「…じゃあ教えてくれる?」
「あ?」
「庭先で、あの日初めて声を掛けてきたでしょう」
「……俺が?」
思い切り眉根を寄せるその顔に思わずふっと頬が緩んでしまう。
これは予想外の質問だったみたいだ。
信じられない、といった表情。
覚えていないならそれも当然だ。
「……そう、リヴァイから。あのときどうして私に声を掛けてくれたの?」
そう聞くとリヴァイは眉を顰めたまま、今度こそ考え込むように口を噤んだ。
探るような思いで私も彼を見つめる。
その後少しの間を置いて、リヴァイの方から少し気まずそうに目線を下へ逸らした。
…覚えていないんだから無理もない。
仮にもし覚えていたとしても彼はそういった類のことは言いたくないはずだ。
彼からの返答を半ば諦めかけたそのとき、ぽつりと低い声がした。
「……単純に、顔が好みだったんじゃねぇのか」
「え?」
予期せぬリヴァイからの言葉に目を丸くする。
か、顔が?
今までリヴァイに容姿を褒められたことなんてない。
ましてや好みの顔だなんて聞いたこともない。
それは今のリヴァイがそう思っているってこと?
開いた口が、塞がらない。
リヴァイはそんな私に一瞬目をやるけどすぐにまたその目を逸らしてしまう。
そのまま何かを思い出すように左下に目線を落とした。
「詳しいことは覚えていないが、もし俺から声を掛けたのならそこの道を通るたびに見かけるお前が気になってたのかもな」
見かけるたびに気になって。
「お前は嫌でも目を引くし、こんな土地に一人でいる若い女なんてそれだけでも珍しい」
その姿は嫌でも目を引くから。
歩いていても、馬に乗っていても。
遠目でも目立ってしまう。
その姿は目を引いてしまう。
私の……目を。
「その日たまたま話しかけるきっかけでもあったんだろ」
「ーーー…っ!」
それを聞いて、柄にもなく頬に熱が集まるのを感じた。
何を言うべきか言葉も出てこない。
無言で固まっているとそれに気付いてリヴァイが私の顔に視線を戻してから…
ふっと、笑った。
「お前…そりゃあまた……珍しい顔してるな」
どうにもなく恥ずかしくなって、堪らずその場を逃げるように立ち上がった。
「あっ…私、もう少し箱持ってくる…!」
座っていた椅子ががたっと音を立てる。
リヴァイの視線を背中に感じながらパタパタと廊下の奥に向かった。
今だけは普通の女の子のように顔が赤くなっているのが分かった。
これはこれでかなり恥ずかしいことも残念ながら分かってしまった。
予備の木箱を仕舞ってある物置で、へたへたと力が抜けてしゃがみ込む。
脳裏に浮かぶのは二年前のあの日。
リヴァイと私が一番初めに言葉を交わしたはじまりの日。
冬が終わって空気も少しずつ柔らかくなってきたころだった。
あの日突然庭先で。
本当は、
声を掛けたのは、
私の方だった。
あの日、いつものようにあの道を歩くあなたに声を掛けたのは私。
怪我をしているようだったからどうしても我慢が出来なくて薬草を渡してしまった。
……その日までどうやって声を掛けたらいいか悩んでいたから。
なんでもいいからきっかけが欲しかった。
私から彼に声を掛けても不自然に見えないようなきっかけが。
いまのリヴァイの話は……
どう考えても反則だ。
それはまさにあの時の私の心の内すべてそのままで。
とてもじゃないけれど恥ずかしすぎる。
覚えてた?
覚えてたのに知らないふりしてた?
そんな意地悪なことする人だっただろうか。
…覚えていないとしたら、それは今のリヴァイの気持ちだったりするの?
彼に以前の記憶の全部があるわけではない。
だけど、いまのリヴァイも以前のリヴァイも間違いなく同じ人で。
あの日我慢できず声を掛けてしまった私のことをどう思ったのか聞けたらいいなと思っただけだったのに。
今のリヴァイがそう思ってくれているとしたら、
もしかしたら二年前の彼も同じように思ってくれていた可能性もあるわけで……
「……!」
顔が熱くなるのを抑えきれない。
いつか、リヴァイが全てを思い出す日が来るかと思うと少し怖い気もしつつ。
自分の仕掛けた罠にまんまと嵌ってしまった私は、しばらくそうして悶絶したまま動くことができなかった。
カンナ
おわり