△ ナカロマ 84
細かい道筋は、ソニャが教えてくれた目印の岩なんかを頼りにした。
聞いた通りの少し丘になっている場所を上がっていく。
左足は無理をさせると痛むのが分かっていたので極力力を入れないようにしていた。
森の中をしばらく進んでいると、微かに風の中に水の香りが混ざり始めた。
馬が踏みしめる土に砂利が混ざってきて、肌を撫でる空気も湿気を帯びる。
鬱蒼とした木々がまばらになり、木々の中に窪んだ空間が表れて、思わず、目を奪われる。
ごろごろとした大小の岩に囲まれた湖は、月明りの中で不思議なオレンジ色にも見えた。
夜の水面は暗く少し不気味で、でもそれがまた現実離れして見える。
かなり昔に地面が陥没したようで、その斜面にもしがみつくように木々が根を下ろしている。
周りを包む木々は影絵の様に色を無くして佇み、まるで物語の本に出てくる風景のように幻想的だった。
「…ソニャ、なんでこんなに綺麗だって言ってくれなかったの…」
感嘆しながら思わずぽつりと呟く。
こんなに綺麗な場所なら、あのとき無理してソニャと来ていてもよかったかも。
その景色に誘われるように緩やかな斜面を馬の足で降りる。
馬の背から降り、ブーツを湖岸に揃えてからスカートをたくし上げて水面を右足で少しだけ触れてみた。
ちゃぷ、と音がして、肌を水が伝う感覚がする。
そのまま足先だけ水に沈めると確かに水温が温かく感じた。
「外の気温より水の方が温かいなんて、不思議…」
そのまま適当な岩場に腰かけてパシャパシャと足先で水面を遊ぶ。
波紋が暗い水面に広がっていくのが、月の反射で見えた。
水辺の風は冷たくて、ブランケットの上から自分を抱きしめ直す。
水に触れている足先の方が体より温かい。
ぼんやりと水に映った月を眺めていると、どちらが本物か分からなくなってくるような感覚を覚えた。
星も、木々のざわめきさえも鮮明に水は映し出している。
その圧倒されるほどの景色に吸い込まれるように、自然と立ち上がって水の中へと足を進めていた。
素足にごろごろとした岩の感触が伝わる。
冷たくもなく、熱くもない水が足首を這って、膝まで上がって腿まで届きそうになり、あ、と気付いた時にはスカートの裾が濡れてしまっていた。
それ以上濡らさないように、と胸の前でスカートを抱えてみるとそのおかげでシャツまで濡れてしまい、自分の不器用さに言葉も出なかった。
少し迷ったけれど、このままでは冷えるので濡れたスカートとシャツを岩陰で脱ぐことにした。
石膏が取れるまでは風呂にも入れず、取れてからも簡単な水浴びしかしていなかった体にとって、どうにも心地良さそうなこの水の中で泳いでみたくてうずうずとする。
どうせなら下着で泳ごうか、とも思ったが、まさかそんなことになるとは思わなかったものだから、着替えも持ってきていない。
……辺りに、注意深く耳を澄ませてみる。
聞こえるのは風が木々の葉っぱを揺らす音と、夜行性の鳥がどこか遠くで鳴いている声だけ。
かさかさと葉が舞う音。
何か、小さな虫の声。
風が水面を走って岩にぶつかる、小さな小さな風切り音。
しばらくそうしていたけどそれ以上はどんなに耳を澄ませても何の音も聞こえなかった。
私以外ここにはいない。
こんなに静かな森の中。
ここにいるのは、わたしと馬だけだ。
下着姿にブランケットを羽織り湖のほとりに座っていたけれど、それを確認できてから意を決してもう一度そろりと湖へと足を差し入れた。