△ ナカロマ 70
私って逃げてばっかりだな、と思う。
でもあの目に正面から向き合えない。
なんで私の方が後ろめたくなるんだろう。
もう左足のことなんか忘れて、この場から逃げたい一心で扉まで向かった。
「……待て。」
扉の横の松葉杖を掴んだ時、コツリと背後で足音がした。
左の手首をぐん、と引かれて、目の端で手から離れた松葉杖が床に転がったのが見えた。
一瞬遅れて、からん、と乾いた音が響く。
「…!」
背中を勢いよく何かに打ち付けて、気が付けば本棚の枠の部分に両手首とも縫いつけられるように押さえ込まれていた。
その勢いで、頑丈な作りの本棚が少しだけ揺れる。
「い…っ」
ぎり、と音がするくらい手首を更に強く握られて顔を歪めた。
塞がりかけた腕の傷が痛む。
思わず手を引こうとするけど、押さえる彼の腕はびくともしない。
間近から見下ろされてビクリと体が震えた。
無表情のリヴァイ。
彼のビー玉みたいな瞳はそんな行動とは裏腹に静かに冷えている。
初めてこんなに冷たい目で見られたかもしれない。
睨むような、でも感情を押し殺すような。
昔見たような、あの冷たくて暗くて、でも激情を含んだみたいな瞳の色。
息さえも出来ないくらい静まった室内には、外の音さえも入らない。
掴まれた手首が痛いくらい押さえつけられて、そこから鼓動が感じられるほど。
こんなリヴァイは初めてで、彼の瞳を見つめ返すのがやっとだった。
呼吸を分け合うくらい顔が近いのに、纏う空気はとても甘いものじゃない。
目を離したら危うくなりそうで視線を外せなかった。
もはや時間の感覚もなくて、ほんの数秒が数分ほどに長く感じられる。
静寂の中で、リヴァイがようやく口を開いた。
「…後悔しない、と言ったな。そんなに死にたいか」
「…え…?」
「そんなにあの汚ねぇ巨人の口のなかで死にたいのか」
死にたいわけじゃない。
…けど、生きてたってリヴァイは私だけのものになってくれないじゃない。
「……お前を……」
左の手首を痛いくらい握っていた彼の右手がゆっくりと離れて、反対の手はまだ本棚に固定したまま、人差し指が首筋を上から強めに伝う。
リヴァイから与えられるものなら、なんでもいい。
痛みでさえでも受け入れてしまいそうで怖い。
彼の手が喉笛でピタリと止まり、軽くそこを親指で押されて喉が反射的に小さく咳を吐き出した。
「う、……っ」
怖い、でも、怖くない。
痛い。でも逃げたくない。
放してほしい。…でも、離してほしくない。
いつもと違うリヴァイの様子に落ち着かないのに、それでも彼という存在に無条件に安心している自分もいる。
−−−なんて、矛盾してるんだろう。
エマの手首から響く血液が巡る音は、リヴァイにも自分の手を介して聞こえていた。
その小さくてしなやかな体を、熱い血液が巡る。
栗色の髪色も、化粧をしなくても薄っすらと色付く頬も、唇も。
髪と同じ色の長い睫毛も、色素が薄い青とも薄茶色とも見える瞳の色も。
失うと思っただけで握った拳が震えた。