プラネット
昔はこんなもので移動していたのか、古ぼけた歴史書を読みながら神有月は思った。
[自動車/車]と大きな見出しがあるそのページには、ガソリンという燃料で走るらしい、やたらでかい金属の機械に乗って移動する人間の写真が在った。写真に写る人間の、着ている服も髪型も何もかもが古臭い。
今となっては見かけない光景だ。
薄っぺらい紙で構成された、この歴史書すらも最早アンティークだろう。
現実味の無いその歴史書は、嘘なのか本当なのか分からない。
事実なんだろうけれど、経験したことが無い自分からしたら退屈でうんざりするだけ。
過去に興味はない、ただの教養。
木々が鬱蒼と生い茂った森の奥深く。空気の澄んだ、見晴らしが良いこの地に神有月は一人で住んでいた。
詳しく言えば、一人と一体。
2xxx年 x月x日
シティには人が溢れかえり、ホームと呼ばれる、人間の住居が所狭しと並んでいる。
そんなシティに嫌気が差した神有月は一人でこの森に移り住んだ。
いつでも広大な景色を眺めたいと、この森を一望できる崖の上にホームを建てた。
現代の世界にこんな森が未だに現存していることが、奇跡である。
高額な値段でこの森を落札した。
神有月のことを簡単に紹介するとしたら、この森の所有者である。
◇◇
神有月は難しそうな顔をして、PCの画面を見つめている。
PCの時計が03:12とディスプレイに表示されている。無機質に。
「ソユル、遅い」
神有月は、PCに繋がっているマイクに唇を近づけ、声を上げる。
一階のキッチンに繋がっている回線。
ばたばたと大きな音を立てて階段を上る音がする。
ソユルというのは、神有月が所有しているアンドロイドのことだ。
感情のない、ただのプログラム。
アンドロイド、人工生命体。
ただしソユルは完全版じゃない。
不備があったそうで、廃棄寸前だった。それを神有月に買われた。
ノックもないまま、バーンと扉を開ける音が静かな部屋に響いた。
その音に神有月は眉を潜めたが、毎度の事なので特に声はかけなかった。
「もしわけ、ない」
トレーにポットとティーカップを乗せて持ち、片言の言葉を喋りながら、遠慮もなしに入ってくる。ソユルだ。
アンドロイドという物は、大体の人間に好かれそうな、綺麗な顔立ちをしている。
ソユルも例に漏れてはいない。ブロンドの襟足の長い髪、瞳は深い紫。肌は血液を感じさせない白さで、背は170センチ後半くらいあるのではないだろうか。
男なのか女なのか中性的な顔をしている。
ソユルは男物の服を着ているが、基本的にアンドロイドに性別は無い。男の型か、女の型かそれだけの違い。神有月はそういう風に認識している。
「申し訳ない、だ。ソユル、言ってみろ」
「もうしわけ、ない」
そうそう、と神有月はティーカップに口を付ける。
最近のアンドロイドには学習能力が備わっている。ミスがあっても、教えればその通りに動く。ちゃんとした商品であればその機能は必要ないくらい、完璧に作られているけれど。
ソユルは欠陥品であるから、不備がある。他のアンドロイドと比べれば違いは顕著である。
主に、敬語が喋れない、語彙が少ない、表情が作れない、動きがスムーズではない、といった事が挙げられる。
しかし神有月は、この機械らしい動き、話し方をするソユルを気に入っている。今の世界の技術を駆使してつくられたものであれば、あまりに精巧で完璧すぎて人間と見紛う程だろう。
そんな物は要らない。機械らしさが良い。
それにソユルの多少の欠陥は実生活であまり困らない。
ただ時々、苛々するくらいである。
「不味い。なに入れた」
「ソルト」
「紅茶に、塩は入れない」
「砂糖、ない。なかった」
「蜂蜜は?」
「ある」
神有月はため息を吐いて、
「紅茶には」と続けた、
「砂糖がない時には塩でなく蜂蜜を入れなさい」
「砂糖がない時には塩でなく蜂蜜を入れなさい」
ソユルは機械らしく一文字も違わずに復唱した。
神有月が「よろしい、下がっていい」と言うと、ソユルは無表情のままお辞儀をして出て行った。
「しつれいした」
「扉を閉めなさい」
そのまま出て行こうとするソユルに声を掛ける。
神有月はPCの画面に顔を戻して、仕事を再開する。
ソユルは扉を閉めながら、
「つき、がんばって」と言い残して出て行った。なにか気の利いた言葉をかけたかったらしい。
時々、苛々するけれど。
この片言で無礼な喋り方が実は気に入っていたりする。
2010.03.04
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