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奴隷を買った。
こんな平和そうな町でも目の届かない所では、人身売買なんて嫌というほど横行している。金さえ払えば簡単に、手に入る。違法な薬でも、ピストルでも、人間ですら。
なんというか、吐き気がする。しかし、売る人間がいれば買う人間もいる。
◇◇◇
私が住む街から少し離れた一角に、知る人ぞ知る椿屋という店がある。椿屋は男娼を抱える店、いわゆる男娼館だ。
私は昔から女には全く興味がなく、同姓である男にしか性的感情を抱かなかった。やはりというべきか、男色は世間には受け入れがたいものらしく、よく思われない風潮があるので、男色であることは隠して生きていかなければならない。
私はこの先一生涯妻を娶らないだろう。
しかし性欲がないわけではない。ならば男色館か、と十代のころから椿屋をよく利用している。客の個人情報は守るし、内装も綺麗で豪華な造りだ。値が張るが、私は小説家として少々名も売れているのでたまに行くには、許容範囲内だ。
「篠宮先生とお相手出来るなんて、嬉しかったです」
綺麗な顔をした名も知らない、男娼が頬を染める。行為の後はいつも気怠く、なんとも言えぬ気持ちになる。先ほどまで乱れていた相手と会話する気には、到底なれない。
しかし外面の良い私は、その様な感情を表には出さずに、なにも言わずに微笑んだ。この男、客相手によく喋る。私は特定の相手を持たない事に決めている。女を愛せたらまだ良かった、未来が見える。しかし、男相手となると、どうにもならないではないか。今は後腐れない、客と男娼という関係が心地よい。
「先生、ご存知ですか。この椿屋で奴隷が売られている話」
男が乱れた着物を整えながら、少し声色を落として尋ねる。この男の声が嫌いなのかもしれない、そんなことをぼんやりと考えていると、”奴隷”という心地の悪い響きが聞こえて反応する。
「……奴隷?」
椿屋では。客が気に入った男娼を、高い金で買い取る事ができる。たまに店で出くわす、買われたと思わしき男娼と、その客。人を買う、気持ちの悪い響きだ。しかし、存在するのは確かだ。人身売買。
しかしそれは男娼との話で、奴隷などという話は初耳だ。男娼はたいていが綺麗な顔をした少年で、高価な着物を身に纏っている。決して奴隷などでない。
「そう、奴隷ですよ。まあ、僕も詳しくは知らないのですが」
「椿屋には、悪い噂が絶えないな」
どうせ私には関係がないだろう、帰りる準備をしながら、気のない返事をする。たまにここへ来て性欲を吐き出す。なんのため、良く分からない。人に執着するという感情が、よく分からない。しかし行為自体は嫌いではない、一瞬相手を愛おしいのでは、という錯覚に陥ることができる。
「ねえ、先生。また僕に会いに来てくださいね」
好意を寄せる目。もう君に会う事はないだろう。椿屋は広い。
「そうだね。今日はありがとう」
そう微笑むと男は、女の様に頬を染め、笑った。
◇◇◇
雨がしとしとと降っている。空は昼間だというのに灰色で、どこか陰鬱な雰囲気が町を包んでいる。
最近は仕事が立て込んでいて、椿屋には行けなかった。土曜の晩は椿屋で過ごそう。周りにばれないよう帽子を目深にかぶり早足で歩く。
町外れにひと際大きな建物、椿屋と看板を湛えている。見慣れた派手な外装に、男を抱く感触を思い出し、歩も進む。店内に女は一人もいない。受付も小奇麗な顔をした男だ。まだ店に出せられない、下っ端なのだろうか。
受付をしていると、
「おや篠宮先生、いらっしゃい。随分久しぶりじゃあないですか。」
高価そうな着物を優雅にまとった男が、受付の奥にある階段から下りてきた。椿屋の主人だ。受付の男が頭を下げる。
この主人は 居椿 要 という椿屋の2代目当主だ。居椿はとても美しい顔をしており、男だが薄い唇に紅を引いて女物の着物を着ている。それでも華奢な体躯をしているので違和感はない。私よりもも身長が高いので、妙な威圧感を感じる。妖艶な雰囲気に吸い込まれそうだ。
先代との関係から、年齢、この男の詳しい経歴を知る人は少なくとも私の周りにはいない。この名前が本名かすら分からない。
「仕事が立て込んでいましてね」
愛想笑いをうかべる。私は居椿が苦手だ。美しい顔だとは思うが、どこか感情のない冷たい瞳をしている。そんな表情とは裏腹に物腰は柔らかで、より一層気味が悪いと私は思う。早いところ、この男との会話を切り上げたいと思っていると、居椿が急に思い出した様に、話を切り出す。
「せんせ、ところで……奴隷には興味ないですかい?」
居椿は私に顔を近づけてきて、にやりと笑う。
気分が悪い。
――奴隷?
思わず目を見開く。居椿は声を少し低くして耳打ちをする。ぞくりとした。
「ははっその顔じゃあご存知ないみたいですねぇ。噂にも聞いたことがないですか?この店の地下の話ですよ」
「奴隷、といいますと……」
噂は本当だったようだ。悪趣味だ。吐き気がする。
「まあ見てみるのが早いですよ。許されたお客にだけお見せする特別な部屋です」
居椿の白い手が私の頬をかすめる。嫌いだ。この男。
「いえ結構……」
「そう言わねぇでください、見るだけです。気に入ったら…御安くしときます。先生にだけ、特別ですぜ」
「……いや私は」
結構、そう言うや否や。居椿に腕を引かれた。その華奢な手からは想像がつかないほどの強い力だったので、振りほどくのを躊躇った。
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