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「行っておいで」

 ――え?

 別れの言葉。はるかさんとの、繋がりがなくなる言葉。

 はるかさんは、おれに背を向けている。どんな顔でそんな事、言っているんですか。

 おれよりも背の高いはるかさんの後ろ姿は華奢で、今にもどこかにふっと消えてしまいそうな儚さがあった。

「はるかさんも一緒に行けれないんですか……」

「私も、ついて行ってやりたいのはやまやまなんだが、その」
 
 言い淀むはるかさんの言葉にはっとする。

「お金、ですか」

「あおい」

 どうして声が震えているんですか、はるかさん。

 ふいに沈黙が襲う。外が薄暗くなってきた。衣擦れの音がいやに大きい。はるかさんは、こちらを見ない。

 細い肩が震えている。
 ――どうして?


 ああ、


「っ葵……ちょっ……待ちなさい」

 おれは、その場所にいる事が出来なくなって、静かに立ち上がり、駆け出した。突っ掛けを素早く履いて、玄関から出る。はるかさんが、叫ぶ様におれの名まえを呼ぶ。

 

 勉強ができる?
 差別を受けない?
 外国人がたくさんいる?

 いらない、全部いらないから、はるかさんの側に居させてください。

 はるかさんとその港町に行けるなら、どんなに幸福なことだろう。でもそれは出来ないという。

 ならばそんなところいかなくていい。いらない。何もいらないから、はるかさんだけ、いてくれたら。それでいい。

 外には生暖かい空気が流れていた。当ても無く歩くと、人が行き交う通りにたどり着く。


 
「ねえ、母ちゃん、あいつ髪の毛変だよ。おれと違う」

 声のする方を見ると、母親に手をつながれた小さな子どもがこちらを指差していた。

 ああ、そういえば。姿を隠さずに外に出たのは、いつぶりだろうか。

 空は灰色で、今にも雨が降りそうだ。道のほとりにある川は酷く濁っていて嫌な臭いがする。

 その親子を思わず睨むと、気味の悪い物でもみるかのように顔を歪ませた。

「さ、いくよ、雨が降りそうだ」

 母親が子どもの腕を引っ張って足速に消えて行った。

 周りの人間はおれを奇異の目で見る。誰もおれに近寄らないし、話しかけない。視線が、痛い。

 おれには、どこにも居場所がない。どこにも。

 ぽたり、ぽたり。土の地面に大きな染みが出来る。生温い雨粒が頬に当たる。

『綺麗な白藍の瞳だ、髪の毛は飴色か、どれも葵にしかないものだ、美しいものだよ』

 綺麗だと、言ってくれた。はるかさんだけが。おれにははるかさんしかいないのに。

 誰もおれの味方はいない。汚い。全部汚い世界だ。綺麗なのは、あなただけなのに……。 

「……っ……」

 石を投げられてはっとする。

 ふりむくと見窄らしい格好をした年老いた男が、こちらを睨んでいる。

「気味が悪い、混血児が――」

 石をぶつけられないように、走って逃げる。聞くに堪えない罵声が飛んで来る。

 頬から血が流れていた。ああ、昔みたいだな。遠い昔のように感じるけれど、つい最近までそんな扱いは当たり前だったな。

 ここはどこだろう、もう疲れたな。

 橋の下の草むらに腰掛けて水面をぼんやりと眺める。

 雨が落ちると、水面に輪ができるのをずっと見ていた。どれくらいこうしていたか、分からない。体は冷えきっていて、がくがくと肩が震えるのを止められない。

 おれのことを考えての事なのは分かるけれど、でも。
 
 本当はおれのこと、面倒くさくなったんじゃないですか?
 疎ましくて、それで、

 遠いところにやって――。

 ねえ、

 なんで、買ったんですか。
 
 なんでもするのに、側にいられるのなら。

 親になろうとするはるかさんを、好きになるのはおかしいことですか。

 空を見上げると、底の無い穴の様に暗闇が広がっている。

 汚い。混血児。
 汚い。自分が嫌になる。

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