泣き止まぬ葵をずっと胸に抱いていた。嗚咽を零す。無理に涙は押し込めないほうが良い。泣いたほうが良い。そう思いながら、あやす様に背中をぽんぽんと叩いてやったり、髪を撫でてやったりしていると、葵が急に顔を上げた。そして、ぱっと私から離れる。

「……気は済んだか?」

 安心させるように、なるべく柔らかい口調で微笑んで問うが、反応はない。その後は叱られた子どものように、部屋の隅でぎゅっと体を抱いて坐っていた。

◇◇◇

 初めて喋った事で、家にいる葵の警戒心が少しだけ和らいだような気がする。話しかけたら戸惑いながらも返事をしてくれる。自ら話そうとはしないし、世間からみたら無愛想な子だと顔を顰めるかもしれないが、私には充分だった。

 葵の過去の事は気にはならない、といったら嘘になる。でも私から訊くことはない。もしいつの日か葵が話してくれたなら、その時は黙って聴いてやろうと思う。そんな日がいつか来るのだろうか。来なくても構わない。葵に笑顔が増えれば、それだけで、充分だ。

◇◇◇

 古い友人から文が来ていた。最近顔をださないじゃあないか、薄情者め、というような内容だった。そういえば、仕事が立て込んでいたり、葵が来たりと色々あって外へあまり出ていないなと思い立つ。私は少し笑いながら返事を書く。

 数少ない友人の中でも、とても親しい間柄だ。家はお茶屋で、跡を継ぐらしい。葵も連れて行って、やろうか。案外仲良くやるかもしれない。葵の事も至極簡単に説明して、今度紹介しに店に行く、というような返事を書く。

 筆を走らせていると、控えめな声が耳を掠める。

「……あの」

 葵が珍しく、話しかけてきた。珍しくというより、初めての事かもしれない。少し驚きつつも筆を止め、葵の方を向く。

「なんだい?」

「あの、……すみませんでした。」

「……?」

 何のことだろう。

「……味噌汁の事か?」

 問えば迷ったようにこくりと頷く。

「あと、その後……その」

 葵はばつが悪そうに、俯く。

 あぁ、泣いたときのことだろうか。人前で泣いたことが少ないのかもしれない。あのあと、気まずそうにしていたのは、ずっと気に留めていたからなのかもしれない。

「そういう時は、ありがとうと言えば良い」

 笑ってくしゃりと髪を撫でてやる。葵は、「はい」と呟いて、「有難う御座いました」と頭を下げる。「よろしい」と言ってやれば、肩の力を抜いたような、ほっとしたような雰囲気になった。

「喋ることを止められていたのか」

 そう問えば、少し顔を強張らせてこくりと頷いた。

「そうか、もうその必要は無い。喋って叱る人はもういない」

 それから少し気まずそうに、

「はるか……さん」

 そう呟いた。そういえば、自己紹介すらしていなかったなと思いつく。静子さんがそう呼んでいたのを聞いていたのだろう。嬉しくなった私は、その辺にあった紙に字を書いてやる。

「こう、書くんだよ」

 筆を滑らし、書きなれた字を書く

『篠宮 悠』

「こっちは姓、こっちは名」と指で示す。

「先生……ってあの人が言って……」

「居椿か?」と問えば肩を揺らした、明らかに動揺している。何があったかは分からないが、恐怖の対象なのだろう。

「私は物書きだから、そういう呼び方もある。」

 先生と呼ばれるのはあまり好きではないが。

「…居椿は苦手か?」

 葵は逡巡するかのように目を泳がす。

「…怖い……です」

 俯きながら答える。そうか、安心させるように頬を撫でる。葵は顔を上げて、搾り出すかの様に声をだす。

「あの、おれ、なんて呼べばいいですか?」

「……その……貴方のこと」

 あぁそれがずっと訊きたかったのか。思わずふっと笑う。

「下の名前で良い」

「はるか様?」

「様なんかいらないよ」

「……はるかさん?」

――まぁそんなところだろうか。

 頷いてやると、葵が嬉しそうに笑ったので、私も思わず笑った。

「はるかさん」

 鈴の音のような軽やかな響きに、胸がすうっと熱くなる。私はこの子に何ができる。一生分の不幸を体験したであろう、この不憫な子どもに。

 頬を撫でてやる、この痣は消えるだろうか。葵の心の傷は癒える日がくるだろうか。

 その日を願って止まない。

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