そういえば、

「名はなんという?」

 少年は癖なのか、行儀よく正座をしている。私のその問いに飴色の髪を横に揺らす。

「……親からもらった名がないのか?」

 先ほどよりも荒い声を発すると、少年はびくりと体を揺らしてから、静かに頷いた。名すらもないのか、何に対してなのか分からないが憤りが通り越す。私も両親から愛されていたとは決して言えないが、名はある。名がない人間がいるという事に驚きを隠せない。親とは小さな時に離れ離れになったのだろうか。
 
 『奴隷』その響きに改めて深い嫌悪感を覚える。何十年と生きて来て、名を呼ばれる機会が無いとでも言うのか。吐き気がする。ふいに居椿の顔を思い出して、身震いした。

 私のぴりぴりとした雰囲気が伝わったのか、少年は驚いたように体を強張らせる。名前が無い事に疑問も抱かずに生きて来た、この小さな少年を不憫に思う。庇護欲とでも言うのだろうか、この少年を守りたい、救いたい、幸せにしたいと思った。親心というものが私に備わっているのかは、分からないが、親心の様な物だと思う。

「そうか……」

 色々聞きたい事がある。例えば、年齢、両親のこと、生まれ育った町のこと、椿屋にいた経緯などだ。しかし、聞き出せばきりがないだろう。気になる事を聞いていったら、時間が経つに違いないので、今日は何も聞かない事にする。私も濃い一日に少しばかり疲れているし、少年も腹が減っているだろう。

 少し遅いが夕餉の準備をしようと、台所へと立ち上がる。すると少年も慌てたように立ち上がった。

「飯を作るから、待っていなさい」

 そう言って頭にぽんと手を置いたら、驚いたように少し固まっていた。あまり人と触れ合うことに、慣れていないのだろう。少し笑って、準備をする。

 何を作ろうか。実は私は殆ど料理はしない。いつも料理は外で食べるか、近所に住む静子さんという奥さんに用意して貰っている。今日は事前に断っていたので、食べるものは何もない。粥でも作ろう。簡単だし、唯一まともにつくれる料理だ。

 台所で少し考えていると、後ろのほうで音がしたので振り向くと、少年が立っていた。

「どうかしたのか?」

 立ったまま、何も示さない。……便所か?

「便所なら…」

 場所を説明しようとすると、少年はすぐに顔を横に振り、私の傍まで寄って来て動きを止めた。

 改めて横に立つと、身長の差が明らかになる。私はあまり背の高いほうではないが、少年は頭一つ分ほど小さかった。親子みたいな距離感だ。親子、その響きが不思議なもののように思える。私たちは、親子になるのだろうか。私がいくら男色だからといって、この小さな少年を抱きたいとは全く思わない。奴隷だったから、ではなく、なんと説明したらいいだろう。これが親子というものなのだろうか。

 顔を長い前髪が覆っている。洗って清潔になった髪の毛は、私とは違い少し縮れている。撫でてやると、ふわりとした触感が気持ち良い。

「ここにいるのかい」

 一人で居るのが不安なのだろうか。喋らないので良く分からないが、少年はこくりと頷いた。

 私が食材を取りに、少し動けばついて来る。その場に居れば傍でじっと動かずにどこかを眺めている。煩わしいとは思わない、この気持ちはなんだろう。

◇◇◇

 座敷の机の上に、茶碗と箸を置いて手を合わせた。

「頂きます」

 向かい合った少年も、戸惑いながらも真似をする。前髪の隙間からぱちぱちと瞬きしている。

 箸を掴んだはいいが、箸の使い方が分からないらしい。今まで箸を使わずに物を食べさせられていたのか。どのように食べていたのだろう。想像するだけで、どこからともなく怒りがこみ上げてくる。

「下の箸は動かさないんだよ、そして中指を軽く上げる、こう、」

 教えてやるが、難しいらしい。戸惑いながらも素直に言われたことをしようと頑張っている。私は思わず目を細める。

「段々覚えれば良い、今は啜れば良い」

 私は茶碗を口につけずるずると、粥を飲み込む。粥だから、食べやすいといえば食べやすい。少年も真似をするように、こちらをちらちら見ながら両手で茶碗を持つ。一口飲み込み、よほど腹が減っていたのだろう、すぐに飲み干した。

「おいしいか、」

 問えばこくりと頷く。

「そうか、全部食べなさい。」
 
 鍋を少年の目の前に置くと、一度こちらを向いた。私が頷くと、少年は勢いよく粥を茶碗に入れては食べ始めた。

 年は13、14の食べ盛りだ。店ではまともな食事を与えられていなかったに違いない。この華奢な体のどこに、入るのかというほどの勢いで、私が作った粥を平らげた。

◇◇◇

 客など来ないこの屋敷に布団が一組しかないことに気がつく。布団をひいて、横たわる。少年は癖のように布団の外、畳に、正座をしている。外に放り出して寝るわけには行かない。

「おいで、生憎布団がこれしかない。」

「…っ……」

 少年は驚いたように顔を上げ、頭を横に振った。その勢いに少し驚くが、あの牢屋のような薄暗い部屋に閉じ込められていた生活からすると、抵抗があるのかもしれない。布団で寝る、そんな当たり前のことですら。

「嫌か?」

 少し意地悪く言ってみたら、少年は先ほどより勢いよくぶんぶんと頭を横に振る。必死さが、可笑しい。

「なら、おいで。そこは冷える」

 早く、と急かす。少年は少し肩を揺らして、恐る恐るといった感じで布団に入ってくる。居心地が悪そうに、私の隣に強ばった体を横たえた。

「お休み」

 最後に、電気を消す。

 少年は遠慮しているのか、布団の隅のほうで丸まっている。空いた空間に冷たい空気が入ってくるのが気になる。最近肌寒くなってきたな、そう思いながら少年の細い肩を持って抱き寄せる。少年は緊張しているのか、かちこちに固まっている。

 足が冷たい。足を絡めてやると、びくっと身じろいだ。頬が緩んで、しょうがない。
少し意地悪をし過ぎかもしれないが、早いところ私に慣れてもらうための荒治療だ。

 全く柄ではない、と思う。私を知る人がこのことを知ったら、大層驚くだろうな。

 腕の中の小さな温もりが、何か、何故か―――

◇◇◇

その晩は今日会ったばかりの、その小さな少年を腕に抱いて眠った。


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