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早く

帰宅しようと支度していると、上司に呼び止められた。
なんとも微妙な面持ちで、どういう用件なのか予想もつかない。
しかし、私が上司に声をかけられる度に先輩方は意味深な目配せを同僚たちに送るため、私は社内で声をかけられるのが嫌だった。
けれど、お昼に対決した先輩は黙々と仕事をしており、他の先輩たちの目配せをあえてかわしているように見えた。
思わず笑みがこぼれそうになったところをぐっとこらえ、上司について行く。
人気のない会議室に入ると、そこには金髪金眼の男、すなわち弊社の社長が座っていた。

「榊コーポレーション」社長、榊・F・椎名。
若干30歳にして社長に就任した、やり手の男だ。
本社はイギリスにあり、日本支社の社長という位置付けだが、その実力は本社お墨付き。
その社長が、私に一体なんの用だというのだろう。

「君は現在経理部にいるが、異動する気はあるか?」

突然の申し出に、声が出ない。
存在感が消えていた上司ときたら、私と社長を隔てるテーブルを真面目くさった顔で凝視しているだけだ。

「えあ、っとー。なぜ急にそういう話に?」

初手でいきなり社長に向かってかなり失礼な態度をとってしまった。
でも、理由も言わずにそんな申し出をしてくるのだから、これくらいの無礼は許してほしい。

「君が優秀だと、ある者に聞いた。営業部への異動を申し出られている。」

え、営業部?
華の、とか今時言われている、とにかく人気の部署だ。
本当だとしたら、栄転だ。
それにしても、誰が私を推薦したのだろう。

「も、ちろん、営業部ならいますぐ行きたいくらいです。」

どもりながら、異動が嬉しいという旨だけでも伝えた。
この社長は、遠目からならきらびやかな雰囲気をほんの少し浴びるだけで済むが、対面するとさらにすごい。
言葉を発するのに体力がいる。

「うむ。では異動。」

ええ。
そんな簡単に決まっていいのか。
大丈夫か、この会社。

「え、っと。いつから異動ですか?来年度でしょうか?というか、不躾ですけど、どうして急に?」

社長は、言葉、というより日本語を選ぶように数秒天井を見て、また私に目線を戻した。
この金色の目に見つめられると、心臓を握られている気分になる。

「手っ取り早く優秀な人材を発掘しようと、私が直々に試験を作成したが、思っていたよりもうまくいかなかったようだ。人は、あまりに優秀な人間がそばにいると強い劣等感を覚えるらしい。」

試験、というのは私が突破した特別枠のことだろうか。
あのめちゃくちゃ難問揃いの試験、社長が自分で作ってたんだ…。

「異動は明日からだ。もっと後が良ければ延ばしてもいい。細目が、ここから抜け出したいと思った日にするといい。」

急に名前を呼ばれてどきりとした。
そういえば、名札をさげているんだから、名前くらい呼ばれて当然だ。
だけど、認められている、という感覚を突如として実感させられて、どきりとしたのだ。

「経理部に関して、人材同士の管理がゆき届いていなかったことはすまない。細目は優秀だから、ちゃんと活躍できる場で力を発揮してもらいたい。」

ぼろりと、涙がこぼれそうになった。
もちろん必死にこらえたが、嬉しさは溢れた。

「ありがとうございます。準備ができたら、すぐにでも異動します。」

誰だかわからないけど、私のことを見ていてくれた人がいたことが嬉しかった。
そして、私を信用して直接打診してくれたことも。

「うむ。では、がんばれ。」

そう言って、社長は会議室を出て行った。
不思議な人だ。

上司は終始申し訳なさそうな顔をしていたが、そんなことよりも嬉しさの方が勝っていたので、私のいじめにさっぱり気がつかなかった無能さなんて許してしまった。



上司から異動に関して諸々の話を聞いてから、ようやく会社をあとにした。
残業しないと決めていたのに、結局1時間ほど定時を過ぎてしまった。
でもいい!
明日は休みをもらえたし、今日はお酒でも買ってぱーっとやろう。
経理の仕事も嫌いではなかったけど、営業もやりたいと思っていた。
それに、異動願いは何度も出そうとしては思いとどまっていた。
営業部はかなりの優秀な人材が集まっていると聞いていたし、こんな新米が行けるような部署じゃないとも思っていたから。
それが、引き抜きなんて!
大栄転と言っても過言ではない。
これから、どんな世界が待っているだろう。
仕事が楽しみだと思うなんて、初めてかもしれない。
もしくは、社会人になった1日目以来だ。

アパートの目の前にかかる橋が見えてきた。
ここで、酔っ払って川に落ちそうになったところをゼンに助けられたっけ。
あの時は変態扱いしたけど、あの子には助けられっぱなしだ。
あの時のこと、ちゃんと謝らないと。
闘えば、その分ちゃんと返ってきたって、話さないとな。

橋の欄干に座る人影が見えた。
危ない奴だ。
私みたいに落ちることになる前に、注意しておくか。
私は落ちてないけど。

「あの、」

声をかけようとしたら、危ない奴が振り向いた。
久々に見る、ふわふわの黒髪だった。

「…ゼン。」

「よ。」

短い挨拶を交わして、私たちは無言で部屋に入った。



どちらから話を切り出すか迷う、なんてことにはならなかった。
ゼンはいつもと変わらずにペラペラと話し出したからだ。
さっきまで無言だったのはなんだったのかと思ったが、「昴が返ってこないかと思ったからびっくりした」とのことだった。

「ひどいこと言ってごめんね。」

「腹減った」だの「今日誰々が〜」などといった中身のない話を延々と続けるゼンが止まらなそうだったので、そう切り出した。
ちょうど、話さなければと思っていたところだ。

「あ?なにが?」

一方ゼンはケロッとしている。

「あの、結構前に公園でさ、嫌なこと言ったから。あれからよく考えてみたんだけ、」

「あー!あれか!いいよ、もう気にしてねーよ。おれもあれから連絡したかったんだけど、夏休みで忙しくってよー。」

あれえ?
気まずくて連絡しなかったのかと思えば、ただ遊び呆けてただけ?

「でも、私が煮えきってないし、それと一緒に話したいこともあるの。」

ゼンが良くても、私が良くない。
エゴかもしれないけど、ちゃんと伝えたい。

私は、先輩を引き止めて、私なりの「闘い」をしたこと、社長から直々に異動の通告を受けたことを伝えた。

「だから、ゼン、ありがとう。ゼンの言う通り、ちゃんと闘ったら返ってきたものがあった。闘うべきだった。」

ゼンは相変わらずボケっとしていて、理解しているのかどうか微妙だった。
口は半開きだし、なんだその顔。

「んへへ。そうかあ。だぁから言ったろー?昴はなんも悪くねーし、やればできるって知ってたぜおれは。」

かと思えば、全力で照れてきた。
一応感謝されていることはわかったらしい。

「うん。だからこれからは営業部で心機一転、がんばるよ。夏休みは楽しかった?」

聞けば、またもやペラペラとしゃべりだす。
ところどころ意味がわからなかったが、整理すると以前ゼンが好きかもしれないと思っていた女の子が、ゼンの腐れ縁である幼馴染と付き合うことになったらしい。
なんともドラマのようなドロドロ具合に、なんと言葉をかければ良いのか迷っていたが、当の本人はとても幸せそうだ。
一体どういうことだろう。

「好きな奴と好きな奴が付き合うのって、すげー幸せなんだな!おれ、それが嬉しくてよー。」

にっこにこでそう言われてしまっては、強がりを疑う余地もない。
本当に嬉しそうなその顔は、徐々にはっとした表情に変化していった。

「あ、昴が異動したのってそれかも。」

「え?」

私はまったく無関係な人たちの惚れたはれたと、私の異動は一体なんの関係があるというのだろう。

「さっき言ったおれの腐れ縁の、奴がいてだな。」

そう切り出したゼンと、「腐れ縁の奴」いうのは今までに複雑な色々があったのだと想像させる。

「そいつが、サカキの営業部長なんだよ。で、この前ちょうど昴の話したら、『ほしいなあ、そいつ』って言ってたから、あいつが引き抜き申し出たんだろうな。」

たくさん言いたいことがあったが、まず思ったのは「ゼン、顔広…」だった。
そういえば、知り合いがサカキに勤めてるって言ってたな。

「ええっと、つまりゼンからその幼馴染の人に、その人から社長に私の話がいったってこと?」

なんてことだ。
見ていてくれた人がいた、と思っていたら、それがゼンだったなんて。
ひどいことを言ったのに、本当にずっとゼンは私を見ていてくれた。

というかあんな出会い方をした怪しい女の話を、どんな風に話せば引き抜こうを思われるんだろう。
プレゼン能力がずば抜けているか、2人の信頼関係がしっかりしていないと無理だと思うけど。

「ま、そういうことだな。いつも時雨が言ってたけど、営業部ってすげーすげー言われすぎて実際はあんまり人足りてねーみたいだぞ。」

「時雨っていう人なの?」

「うん。今度紹介しようか?」

「いや、大丈夫。直接打診してきたなら、そのうち顔合わせることになりそうだし。」

全部ゼンのおかげ、なんて言ったら押し付けがましいし、ゼンだってそんな風に思っていないだろうけど、なにかお礼をしないと気が済まなくなってきた。
お酒は(一応)飲ませちゃいけないし、何か欲しいものもなさそうだし。

「ゼン。」

男の子といったらやっぱりこれか。
私はゼンに向かってにっこり笑って言った。

「焼肉でも行く?」

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