だったら私を
「細目さん、最近昇進狙いすぎてて怖い〜。」
「ね。最近高野さんへの擦り寄り方、露骨すぎない?」
「特別枠で入社したんだから、こんな底辺にいられないって感じ?」
「絶対内心思ってるよね〜。」
おお、全部聞こえてるよ。
給湯室に行こうとしたら、まさにそこから聞こえてきた愚痴。
というか、まさに私への悪口。
私って端から見たらそういう風に見られてるのか。
薄々そうだろうとは思っていたけど、実際に聞いたのは初めてだった。
私の頭が良いのは、私のせいか。
私は一度も上司に媚を売った覚えはないし、むしろ私の手柄を横取りして上司に提出しているのはあなた達じゃないのかなとも思うけれど、自分のことは棚にあげるのが人の常。
面倒な相手の電話を私に押し付けるのも、私の教育をサボるのも、頼んだ資料を締め切り間近で戻してくるのも、全部。
棚にあげて、私をバッシングしている。
もう耐えられない。
泣き寝入りもしたくない。
でも、こんな大人数に正面から立ち向かっても、私はゼンじゃないからかなわないだろう。
私は私のやり方で、反撃させてもらう。
*
昼休みが終わる10分前。
給湯室のメンツは解散したが、そのうちの1人をつかまえた。
「あの、」
私の顔を見て、なんとなくぎくっとしたような表情をした、3年先輩の女性に話しかけた。
ええい、弱そうなところを見せるな。
私は被害者なんだ。
私はできる奴だ。
「お前悪くねーじゃん。」
そうだ、私は悪くない。
そう、ゼンも言ってたんだから。
「何?」
元の顔に戻った先輩に向かって、私は切り出した。
「さっき、給湯室で私のこと話してましたよね、何人かで。」
ふたたび気まずそうな表情になった先輩は、取り繕うように私から目線を逸らし、また戻した。
一応、あれが褒められる行為ではないことは自覚しているようだ。
「えっと、なんのこと?」
意味のないごまかしをしたようだが、私がじっと先輩の顔を見ると、ちょっと不機嫌そうな顔になって言った。
「あー。話してたかも。」
「前々から、悪口とか、嫌がらせみたいなこと、してましたよね。」
本題に切り込んだが、不機嫌そうな顔が、さらに眉間にしわを寄せて返ってきただけだった。
「だから、何?ていうか、なんで私だけに言うの?みんな言ってるのに。」
「みんな言ってる」って、つまりこの職場のほとんど全員が私のいじめに加担していることを暗に認めたことになるけど、それはいいんだ。
「じゃあ、なぜ私だけに嫌がらせをするんですか?同じことではないですか?」
「細目さんのあの書類を勝手に使ったのは田代さんでしょ?私は給湯室に居合わせただけなのに、なんで私ばっかりそんな詰められないといけないの?」
もうどんどん白状していく。
こんな人達と同じ職場だなんて、今までよく耐えた方だ。
「誰が具体的に何をしてたかはこの際もうどうでもいいんです。なぜ私が標的になったのかが知りたいんです。」
本当は一人一人とっつかまえて謝罪くらいしてほしかったが、1人捕まえる度こんな気持ちになるのなら、もういい。
でも、全てを諦めることはしたくない。
先輩はもう開き直っているようだし、反省なんてしないだろう。
「知らない。誰が始めたのかも知らないし。でも、細目さんが特別枠で入社したのはみんな知ってることだし、美人なのも確かだし、むしろ私たちのこと見下してる感じがしたんでしょ。」
どうして、どこまでも他人事なのか。
あなたも私の悪口を言っていたのに、なぜ他人事なんだろう。
意志はどこにあるんだろう。
「主謀者が誰かとかも知りたくないです。どうして先輩はあの場で皆さんと一緒に私の悪口を言っていたんですか?」
「別に誰でもよかったんでしょ。こんなハードな仕事まみれの生活で、ストレス発散しないと生きていけないものなのよ、人間て。」
いい加減にしてくれ。
「何達観してるんですか?私の悪口を言ったのは先輩自身ですよね。どうして他人事みたいな口調なんですか。当事者の意識はないんですか。」
どうしても責任を負いたくないみたいだ。
人間は、集団になるととてつもなく残酷な力を発揮する。
けれど、個人になると誰もその責任を負わない。
「社会生活の中でみんなが幸せになるには、誰かが犠牲にならないといけないということですか?嫌な気持ちを1人に押し付けて、そのあとその人がどうなるか想像もつきませんか?毎年何百人も自殺者が出て、退職する人間がいて、鬱になる人がいても、すべて他人事ですか?」
「もう、なんなの?細目さん、元気そうじゃん。自殺考えてるわけ?考えてなさそうじゃん。」
「当たり前じゃないですか。私はこのくだらないいじめに毎日嫌気がさしてますけど、幸いまだ潰れてません。自殺しないならいじめを続けても文句を言うなということですか?皆さんの幸せのために、なぜ私が犠牲にならないといけないんですか?」
この人にこれ以上なにを言っても響かないだろうとは思ったけど、止まらなかった。
でも、止めないといけない、と急に思った。
ここで私が頭をフル回転させて、謝罪させる方向に持っていくのは簡単だ。
だけど、そうやって叩きのめして、そのあと、どうなるのだろう。
叩きのめされた人を、私は知っている。
平気そうに振る舞っても、小さなトゲで傷つく子を、知っている。
きっと、人をもう一度信じられるようになるまで、ずいぶんかかったことだろう。
最後に見たゼンの顔を思い出したら、これ以上相手を傷つけるような言葉が続かなかった。
たとえ正論だったとしても。
「もう昼休み終わるから、仕事に戻りたいんだけど。」
すっかり横柄な態度になってしまったこの先輩との関係を修復することは、もう不可能だろう。
別に、最初から大した関係なんて築かれていなかったけど。
私が本当に関係を修復したいのは、この人ではない。
他人事のようにいつまでも私に嫌がらせを続け、挙句の果てに開き直るような、こんな人では決してない。
素直でまっすぐで、いつも、ずっと、私の味方をしてくれた人だ。
「もう、大丈夫です。よくわかりましたので。」
言ってから気がついた。
諦めそう。
危ない危ない。
言い過ぎるのは良くないけど、引き下がるのは違う。
私は通り過ぎそうになった先輩の手を握手するみたいに掴んで、引き止めた。
困惑顔の先輩の、目を見て言う。
「悪口を、言わないでほしいです。あることないこと吹聴しないでほしいです。誰のゴミだかわからないものを、私のデスクに置かないでほしいし、何度も名前を間違えないでほしいです。お願いです。」
ほとんどドン引いている先輩は手を振りほどこうとしたが、私は逆にその手を握った。
できるわけがないけど、仲直りの証みたいに。
「難しいことじゃないはずです。これ以上先輩に詰め寄ったりしないので、私に嫌がらせをするのはやめてください。」
こんな風に冷静に話して、ゼンとも仲直りできたらいいのに。
「必死すぎて、なんか気持ち悪い。別に好きで悪口言ってたワケじゃないし。ていうか、そこまで細目さんのこと嫌いじゃないから。今かなり嫌いになりそうだけど。」
「嫌いでいいです。私をどう思おうが勝手ですけど、とにかく私はただ普通に仕事がしたいだけなんです。先輩たちのことを見下したことなんて一度もないですし、自分が特別仕事ができるとも思ってません。先輩たちから学んでいることもあるのに、それを伝える機会がないんです。だって、みんな私を快く思っていないから。」
ほんの少ししめった手のひらから、先輩がたじろいだのがわかった。
いじめの対象のことなんて、きっと考えたこともなかったんだろう。
いじめられている人間が、どんなことを考えて生きているかなんて。
ましてや、一度だって自分達に感謝したことがあるなんて。
嫌いでいい。
大嫌いでないのなら。
大嫌いって、口に出すだけでも嫌な気分になるから。
そういう風に、そういう体験をした子が言ってた。
だから。
「わかったから、離して。もともと給湯室で陰口なんて、ダサいって思ってたし。雰囲気に飲まれてたとこもあったし。もういい。もうしない。」
「あ、ありがとうございます。」
脱力して、手を離してしまった。
先輩はそれ以上なにも言わず、さっさと自分のデスクに戻っていった。
先輩は反省も後悔もしていないだろうけど、私にとっては万々歳だった。
「もうしない」と言わせた。
言ってくれた、なんてことは決して思わないけど。
わかってくれたわけでもないと思う。
でもきっと、あの先輩はもう私に嫌がらせはしないだろう。
全員を一気に相手取るなんて難しいけど、1人とっつかまえてちゃんと話せば、こういう結果になって返ってくるんだ。
よかった。
もう今日は帰りたい、と思ったけど、まだ午後の仕事が残っている。
今日はさっさと仕事を片付けよう。
早く返って、ご飯を食べて熱いお風呂であったまって。
そうしたら、ゼンと話をしないと。
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