可愛い可愛いワタシの、



▼12月31日〜『可愛い可愛いワタシの、』





「あ、」

肘にぶつかったボールペンのキャップが、からん、からん、と軽い音を立てて重力に従って転がっていく。思わず伸ばした手よりもずっと先で、ようやくそれが止まった。
しまったしまった、っていくら手を伸ばしてみても、全く届かなかった。

(あ、)

不意に再び自動再生される映像。簡単に転がって行ってしまったキャップの行方の一部始終が、とつぜん割り込んできた記憶と重なって、鮮明な映像に変わる。

『あ、』

手を伸ばした先に転がっていたのは、キャップなんかじゃなかった。
どくん、どくんと耳元で心臓の音があり得ないくらいに大きく響いている所為で、誰が叫んでいるのか分からなくなった。鼓膜の中は、鮮明にあの光景の音を覚えていた。
ぐったりと四肢を投げだして転がっていたのは、真っ黒い髪に真っ白いユニフォーム。背中に真っ赤な7の数字を背負った、

『椿!』

まぎれもない、自分の恋人の姿だった。



きみと成長過程



一瞬の出来事だったんだ。
椿の相手はガタイのいい選手で、案の定1対1じゃ当たり負けしてはボールを奪われて。
とにかく足で負けんな、前に運べ、ってしょげる椿を送り出して。後半から調子がよくなった椿がうまくスペースを作ってはチャンスボールを蹴りだす場面が何度も出てくるようになった。
椿を起点にチャンスはいくつも生まれた。トップスピードでボールを受けとった椿はそのままゴールへと向かう。敵を置き去りにする姿なんてのはもう見てるこっちが清々しくなるくらい。サポーターの声が後押しするようにまるで風を背負ってピッチを真っ二つに裂いていく。誰の目からも椿の調子の良さなんかはよく見てとれた。
このまま椿がゴールするんじゃ、なんて期待したりなんかして、その背中を一瞬で見送った。

その次の瞬間だった。

相手選手のタックルまがいのチャージを受けて、ぶつかった椿の体が今まで走っていたトップスピードのままピッチと平行に転がっていく。
軽い椿の体は、そう、まるでボールペンのキャップが転がり落ちていくのとさして変わらないくらい簡単に吹っ飛ばされた。なにか作られた映像を見ているみたいな豪快さで。そして、そのまま3,4メートルほど転がってようやく止まる。
一瞬、スタジアムが水を打ったように静かになって、ほどなくブーイングの嵐が巻き起こる。審判が駆け寄って行って、相手選手に向けて胸元から真っ赤なカードを取り出したことでさらにサポーターが湧いた。
でかしたと言わんばかり、仲間が椿の元に駆け寄って行くのに、少しして、その表情もみるみるうちに曇ってゆく。赤崎や世良が必死にこちらに何かを叫んでいて、それが、ドクターを呼んでいることに気がついたのは少し遅れてからだった。
芝生の上にうつ伏せで横たわる椿が先ほどからびくともしない。
慌てて駆け寄って行くドクターやチームメイトで椿の姿が見えなくなって、思わずベンチにへたり込んだ。手を伸ばしてみても、とどかない。


(なんで、)


なんで俺が監督ってだけで、あいつが選手ってだけで、俺はここに突っ立っている。試合は、おわらない。
頭がおかしくなったんだろう。なぜか渇いた笑いが口からこぼれ出た。頭を巡るのは、最悪の結末ばかり。考えても、考えても現れるのは、フットボールを奪われた、椿の姿ばかり。こんな想像力豊かになったことなんてないのに。都合いいなあ。

(おきろ、だいすけ)

なんだ、まるで、自分を見てるみたいじゃないか。
そりゃないよ、神様。とことん俺のこと、嫌いみたいだね。
震える指先が、つめたい。きっと、椿の体は、温かいのに。



「…とく、監督、達海監督!」

隣にいた松っちゃんが俺の肩を叩いているのにも、しばらく気が付けないでいるほど、気は動転していた。松っちゃんが、必死でピッチの人だかりを指さしていた。
顔をあげた先に、こちらを見ているひとつの視線を見つけた。それにすら、頭がちゃんと理解するのにしばらく時間がかかったんだ。
上半身を起こして、ドクターに照れたように受け答えをするのは、まぎれもなく椿だった。おそらく、自分は大丈夫です、とアピールを必死になってしているに違いないと思った。
鼻に詰め物を突っ込まれて、顔中泥だらけにした椿が、目を輝かせてこちらを見た。
目が合った瞬間、満面の笑みを浮かべた椿の口が、確かにこう言ったんだ。


『フリーキック!とりました!!』


(こいつ…!)







「あんなに派手に転がって、鼻血で済むとかおまえ…」
「受け身をとり損ねてすごく痛かったです、へへ」
「へへ、じゃねーよ。フリーキックやったあ、っておまえは高校生か」
「あの場面でボール取られたら負けちゃうと思って、それで、あの、思わず、」
「わざと派手に転んでみました、ってか」
「でもほんとに足はぶつかってたんです!でも、転んだら、止まれなくなって…」
「死んだのかと思ったよ」
「走った直後でしんどくてすぐに立てなかったんです。あと、びっくりしてしまって」
「……」
「でも王子がフリーキック決めてくれて、それでETUが勝ち越して、すごく嬉しいっす!」


試合は2対1でETUの勝利。立ち上がった椿にサポーターからの割れんばかりの拍手。ジーノが決めたフリーキックは、後半のアディショナルタイムに入ってからだった。勝ち点3を積み上げた貴重な勝利。椿はここぞとばかり、両手を振り上げて犬みたく走り回って歓喜をあらわにしていた。興奮したのか、こちらに駆け寄ってくる椿の頬には、またぶり返した鼻血が伝っている。

『やりましたよ!監督!!』
『そーだね』
『監督の作戦勝ちですね!』
『試合が中断したときさぁ…、』
『はい!』
『ずっと考えてたんだよ』
『…?』
『おまえの反省会の愚痴ばっかりな。後で覚悟しとけ』
『そんなぁ』

あーあ。人の気も知らないで。
誰の真似だか知らないけど、少しの油断で骨とか筋なんて思ってるよりも簡単に壊れちゃうんだよ。過信するのはいい。おまえの体だもん。一生懸命勝とうとする姿勢はいい。それこそがチームを強くするから。けどね、わざわざそれを壊しに行くようなあぶないことすんのは、お願いだからやめてほしいわけ。
おまえのこと好きで応援してくれてるサポーターとか仲間とかそんなみんなの前でさ、おまえの終わりを見るなんてこと、あっちゃいけないんだよ。
客席ん中に、おまえの弾幕見たろ。
いっしょになって応援してくれる人たちと、おまえは一心同体なんだよ。椿が楽しそうにプレーしてると、みんな楽しいんだ。おまえが痛いと、見てるみんなが痛い。おまえが万が一、悲しい出来事に出合うはめんなったら、みんなが涙を流すんだ。
たまたま、偶然なんてのが毎回続くなんて保証はどこにもない。
おまえは今日たまたま、けがをせずに済んだ、それだけだ。
替えはきかない。自分の体を、フットボールプレイヤーとしていかに長い間使えるようにするか、そういうことも考えなきゃだめだよ。若いおまえは少しくらい無茶しても平気かもしれないけどさ。
でもま、椿のそういう勝ちたいっていう気持ちはもちろん尊重したい。荒いプレーもあったっていいよ。もちろん大事なことだからね。もうすこし経験を積んで、もっとピッチの上でいろんなことを余裕を持って考えられるようになったら、もっとうまく相手を出し抜けるようになるよ。

「…おわかり?」
「はい」
「心配ばっかさせやがって」
「すいません…でも、」
「なに?」
「オレ、好きな人の前で、カッコ悪いとこ、見せたりしません!誓います!」
「え」
「達海さんを、悲しませるようなこと、ぜったいに」
「わあー…」
「オレ、丈夫です。達海さんが思ってるよりずっと。もちろん怪我は気をつけます。危ないプレーはもっと気をつけます。そのうえで、もっともっとフィジカル高めて、もう負けないようにするっす!!」

反省してる?ねえ椿くん。ずいぶんと男らしいんだね、意外に。そんなこと言ったらきっとおまえ、傷つくから言わないけどさ。
箱入りみたく大事に大事にしてきたつもりなんだけどね、きみはずいぶんとたくましくなってたみたい。そりゃそうだ、おまえはりっぱなフットボールプレイヤーで、それに見合うだけの努力をずっとしてきたんだった。舐めてるつもりはないよ。ただ、おまえのことがかわいくて仕方ないんだよ。それだけは、分かってね。


倒れてるの見た時、ほんとに心臓が止まったんだ。
悲しませたくないのは俺も一緒だよ。
慰めの言葉なんて、いくら考えても仕方ないと思った。
それが無駄だってのは、オレがいちばんよく知ってる。
俺がおまえにしてやれることなんて、何にもないと思った。
なのにおまえがこっち向いて、あんまりにも嬉しそうに笑うから、今まで考えてたくだらないこと全部、どっかに行っちゃったんだよ。


(つよくなったなあ)


拾い上げたキャップは、どこにも傷は見当たらなかった。くっついていた埃を息で吹き飛ばして、今度はボールペンの後ろにつけ直した。
振り返った先に、椿の寝顔があった。ベットの上で背中を丸めて眠る椿の膝からくるぶしにかけて、おおきくて真っ黒いあざができていた。
鼻にはまだ、予防として詰め物がしてあって呼吸がしづらいのか、眉間にしわを寄せてずいぶんと寝にくそうにしている。
名誉の傷だと嬉しそうにしていたけれど、同じぶんだけ痛そうにもしていた。
簡単にはへこたれなくなった椿が、俺の知っていた椿ではもうなくなっていて、さびしいなんてのは、身勝手な考え方だ。いつまでも守ってあげなきゃいけないわけがない。椿はどんどん成長していくんだから。ラフプレーだってするし、無理やり相手のカード貰いに行くのだってできるようになる。それが自然なんだ。
そのくせいつまでもガキみたいにピッチを走り回ったり、あいも変わらず楽しそうに居残り練習してるおまえがすきなんだよ。向上心のかたまりみたく頑張りすぎちゃう、そういうとこがね。それだけは、その気持ちだけは、どうかかわらないでほしい。
いつまでもおまえのプレーを見ていたいんだ。その点では俺、きっといちばんのファンだと思うね。
だからさ、椿は俺みたいには、ならないでね。



『好きな人の前でカッコ悪いとこ、見せたりしません!』



その言葉、信じてあげるから。









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