I'm crazy for you!



▼9月6日〜『I'm crazy for you!』



それはちょっとした好奇心であって、選手としての憧れであって、恋人としての純粋な好意だったんだ。



自習と称して一人ぼっちで居残り練習をするのはもはや日課になっていて、今日も今日とて熱心に勤む。自分が満足するまでボールを蹴り続け、日が傾き始めた頃にようやく練習は終わる。この頃の楽しみは練習後のシャワー。意気揚々と汗だくの練習着をランドリーボックスに押し込んでシャワールームへと向かった。

さっぱりとして、私服に着替えてロッカールームで一息ついていたときだ。今まで目に入らなかったのが不思議なほど。突如として目に入ったのはあの、お馴染みのカーキ色。我らがETU監督、達海監督のジャケットだった。脱ぎ捨てられたようにベンチに放置され、少しもの悲しく鎮座するそれを拾い上げる。
今日は蒸し暑かったし、きっと脱いだまま忘れていってしまったのだろう。そう思うのとは別に、自分がたいそうにやけているのが分かった。届けるのを理由に、達海さんの部屋に行ける。そう思わずにはいられなかったからだ。愛しい、恋人の部屋。


理由がないと椿は俺に会いに来てくれないの?

達海さんにはそう言われたことがあった。めっそうもない!と否定したわけだけど、理由無しには会いに行けなかった。行きたくない筈がない。ただ単に、照れくさくてたまらなかったから。チキン性がこんなに恨めしいと思ったことはない。

(あ、達海さんの匂いがする)

思わずジャケットに鼻を寄せて、まだ見ぬ恋人の様子を頭に浮かべてしまう。いっそう恋しくてたまらなくなる。それならすぐ本人に会いに行けば良いだろう、と思わず苦笑いが溢れた。

「戦闘服だって、言ってた…」

いつの試合にも、このジャケットを羽織り、威風堂々、自信満々にオレ達の背中を押してくれるんだ。俺を信じろ。そう言って。
ピッチを駆け巡る間、僅かでも視界にあのカーキ色をとらえては、勇気を貰っていた。暑い日も寒い日も、雨の日だってずっと、この姿で戦ってくれる。言わば一種のユニフォームみたいなもの。
格好いいなぁ。畏敬と尊敬、憧れとか全部を、このジャケット一枚が象徴していた。ジャケットについたしわのひとつひとつに、監督としての責任や苦労が詰まっているような気がして、頭が下がる思いだ。

「……。」

ふと、頭の中をいらない邪念が掠める。どうしようかな。いいかな。いいのかな。一人ぼっちのロッカールーム。耳を済ませても、辺りはしん、と静まり返っていた。

「ちょっとだけ…、」

誰に言い訳しているのか分からないまま、ジャケットの袖に腕を通す。達海さんとの身長差はあまりない。自分にもぴったりのそれに、思わず照れくさくなって、声に出して笑ってしまった。今、オレ、監督みたいに見えるのかな。
達海さんの真似をしてポケットに手を入れてみると、右からは菓子パンの空包みと水性ペンが、左からはマグネット六つとコーヒーフレッシュが一つ出てきた。達海さんらしいなぁと思いながらマグネットを取り出して、なんとなくホワイトボードに貼りつけてみる。

自分が調子に乗っているのは分かっていたけど、止められなかった。ひとつ咳払いをして、呟いてみる。

「…お、俺達はチャレンジャーだ。挑戦しない奴はチャレンジャーとは言えねぇ。勝利ってのは挑戦の先にあるもんだ。果敢に挑んで勝ち点3もぎ取る!そんでついでに……っ!?」

くるりとひるがえす。ひるがえってから、ああ、止めておけばよかったと後悔した。
視線の先に、開いたドアにもたれ掛かる達海さんの姿。ばっちりと目があって心臓が止まった。達海さんは楽しそうににんまりと笑って言った。

「『ついでに』、何?」
「あああの、い、い、いつから…」
「続きがあるんじゃないの?」
「えっ!?」
「ほら、ついでに、なんだっけ?」
「〜っ!」

全て悪いのはオレであって、達海さんに落ち度はない。だけどこれはあんまりだ。いじわるだ、こんなの。

「…と、東京最強の座も頂いてこい……」
「…ああ、東京Vとの?よく覚えてたねぇ」
「い…いつから、」
「うん?」
「い、いつから、いらっしゃったんですか…」
「んー?来たら椿が磁石で遊んでた」
「ほ、ほとんど初めから…っ」
「いや、楽しそうにしてるから声を掛けづらかったんだよね」
「あ、あ…も、もう、帰ります…」

恥ずかしさで顔が上がらない。一刻も早くこの場を立ち去りたい。顔から火が出そうだ。そそくさと達海さんの脇をすり抜けて部屋を出ようとすると、案の定、達海さんから声がかかる。逃がしてくれるなんて、思わなかった。

「椿、」
「へ」
「ジャケット」
「あっ」
「取りに来たの。それ」
「あぁぁ……そう、でした…」

ジャケットを着たままなのを忘れるくらいには焦っていたんだ。全ての元凶の筈なのに。あ、語弊。ジャケットはなんにもわるくない。悪いのは…オレじゃないか!
慌てて脱ごうとするけど焦りと恥ずかしさでうまくいかない。やばいやばいやばい泣きそう。

「脱げない?」
「わぁあぁっすいません今っ」

焦るあせる。とんでもない醜態を晒しているんだから、もうこれ以上恥の上塗りは出来ないと思ってるのに、何もかもが悪いふうに転がっていくのが分かる。何をしようにも失敗続き。もう見ないでほしい。悪いのはオレですけど。
達海さんはそんなオレを知ってか知らずか、しばらく黙りこんで眺めていた。そしてふいに、オレの(正しくは違うんだけど)ジャケットの首もとをぐいと引く。

「な、何です、か…」
「しゃーねえし、椿ごと連れて部屋帰るわ」
「え?…えっ?」
「可愛いことすんのなー、おまえは」
「っ、あの、監督…、」
「ジャケット置き忘れると、良いことばっか起きるんだ、俺」
「……良く、ないです」
「…どうせ届けに来るつもりだったでしょ」

律儀にオレにジャケットを着せ直して、満足そうに達海さんは笑った。そうしてオレの腕を引いて言う。

「部屋、おいで」

ああずるい。そんなふうに言われたらもう、首を縦に振るしかないのに。きっと一生、達海さんにはかなわない。初めから知っていたつもりだけど、またこうやって思い知らされるんだ。
何も言えないまま手を引かれ、達海さんの部屋に連行される。その間をフロントの人に見られないでほっとした。安心するのはつかの間。達海さんはそっとオレの両手を取って呟く。

「…分かってないなら言うけどね、椿。そんなカッコしてたら何されても文句言えないよ」
「へ、」
「俺今、必死で色んなモンと戦ってるんだって、気付いてね」
「…え、あ、あの」
「彼ジャケは…ずるいよ」
「…監督?」
「ずるい」

ぎゅう、と力の限り抱きしめられて動けない。何がなんだか分からなくて、されるがまま。どきどきして顔がまた、赤くなっていく。

「そんな顔するし」
「…っ、」
「写真撮っときゃよかったな」
「…!!」
「だって熱演してくれるんだもん」
「わ、忘れてくださいっ!」
「椿、監督みたいだったよ」
「え…う、わぁ」
「ETU新監督椿大介、うん。いい響きだ」
「……へへ」
「俺としては、ずっと選手しててほしいけどね」

はあ、とため息を溢した達海さんが、俺の肩口に首をうずめて呻いた。タンクトップ一枚の達海さんの半身はどこか儚げで脆い。いつか見た映像の中の選手の力強い達海さんはもう居なくて、ただただ細い腕がオレの肩を抱いていた。

「あー…元気出た」
「……」
「…椿だいすきー」
「……お、れも、です」
「んー…?」
「だいすき、です、達海さん」
「ふふ、知ってるよ」
「へへ」
「…ね、大介、」
「はい」
「…ジャケット置いておけばまたしてくれる?」
「ちょっ、……もうっ」



しますけどね!


(貴方が笑ってくれるなら)








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