出来ないことは、山ほど



そう、俺はと言えば、気にしているのかと訊かれたらはいと答える。だけど、疑っているかと訊かれたら、それは別の話。そういう訳じゃなかった。

最近の椿はどことなく落ち着いていて大人しかった。いつもみたくそわそわきょろきょろ、犬みたいにせわしなく動いている感じが全く無い。それでもって慎重な感じ。とりあえず一言ですませるなら、変、だ。おかしい。

あ、そういえば椿とよく目が合うようになった。練習中が多い。
じっと俺の顔色窺うように眺めていて、それでいて俺がそれに気づくと満足したように顔を背けた。それで分かった。あ、こいつ、俺の顔色伺ってんだ、って。
椿はなんにも話してはくれなかった(むしろ、隠していたくらいな訳だから)。一切話題に触れない。椿も俺も、もう大人なわけだし、ホントに何かあるんじゃあ、追々ちゃんと喋ってくれる筈だしなと思っていた。干渉することの愚かさを十分知ってるつもりでいた。

おかしいな、って感じるほどのあからさまな違和感は日に日に増えていった。まず、全体的に椿が縮んだような気がして、いよいよ老眼でも進んだのかとうんざりした。けど他の選手と比べてみたなら、本当に縮んでることはすぐ明らかになる。まさか椿以外がみんな一斉に背が伸びるなんてことも無いだろうし。

え、なんで?と思った。
あいつ頭でもぶつけたのかな。それとも、箱でも被ってたのかな。達海家じゃあ、箱とかバケツを被ると背が伸びなくなるって、よく言われたんだ。
椿に、身長縮んだ?ってそれとなく訊いてみた。まさか、って椿は笑う。無自覚なのかな、って思った。それとも、ほんとに気のせいか。

『オレ、去年も身長伸びてたんですよ』

(…あ、)

けど違う。そうじゃない。俺に分からないように背伸びしてる。なんだ、確信犯。
ねぇばれてるよ、残念ながら。
俺は知らないフリした方が良い?

次に、俺の部屋に来なくなった。
元々よく来てた訳でもないけど、この二週間、ほんとに一度も来なかった。うわ、寂しい。
誘ったら断わらないけど、自分からは一切来ない。あからさますぎて驚いた。いよいよ、なんか隠してんなーって思った。じゃなきゃ、俺、いつの間にか嫌われてたのかな、なんてね。ああ俺、ばかみたいに弱気になってる。

何も言ってくれないのは、まあ、仕方ない。それは、監督としての責任だ。選手が頼れないようなら、監督だってそこまでだ。
でも、ちゃんと他の人には相談するんだよ。でないと、何かあってからじゃあ遅いんだ。俺はさ、その「何か」でたくさん悲しい思いをしたから。俺の願いはひとつ。
頼むから、なにも起きないでほしい。椿のフットボールしてるとこ、ずっと見ていたい。

(不謹慎か…)


寂しいと思うこと自体、身勝手なことだ。でも、一緒に何でもない話とか、したいと思う。「何でもない話」、だよ。何かある話は今は聞きたくないな。
逢いたいと思う。これでも一応、恋人だから。

ふと思い浮かんだのは夜のグラウンド。あ、あいつ居るかな、って。
月の下、そわそわしながら向かったなら案外すんなりと逢えた。相変わらず黙々と楽しそうに練習してる。
それは当たり前の日常だった。習慣だった。ほっとした。一体俺は何の心配してたんだっけ、とか笑ってしまうくらいに。


「…あ、あの」
「うん?」
「…えっと、オレ、監督の邪魔しないようにもう、帰りますね、」


実は俺ね、考え事するためにここに来たわけじゃないんだよ、って言うつもりだった。
ただ椿に逢いたかっただけなんだ、なんて言ったら椿はどんな顔するかなぁ、とか下心丸出しで考えてたんだ。
椿が言ったことはだいたいいつもと同じだった。いつもこんな感じで、俺が、いいよ居ても、って言って、緊張し過ぎてボール蹴り損なったりして。

「……うん、」

居ていいよ、って言えばいいのに、何も言えなかった。今夜に限って何か違う。言葉とは良くも悪くも大きな威力を持つ。ああ今、その言葉は聞きたくなかったな。

「…おやすみなさい、監督」
「うん、また明日」

そのよそよそしさの訳とか、少しだって教えてくれないから。なんにも分からない。なんの力にもなれやしない。言葉無しに分かってあげられないのは、俺の愛情が足りないせいなのかな。
引き留めるちからも、理由も持っていなかった。椿が申し訳なさそうに頭を下げて居なくなる。



(…俺、何のためにここに来たんだっけ)



疑ってるかと訊かれたら、それは別の話。そういう訳じゃなかった。
ただ、淋しくて仕方なかった。
これはなかなか堪えるよ、椿。


**


つのるのは、寂しさに混じった不安と不満。渇望と悲しみ、妬み。誰かが悪いんだとしたら、これは、

「…ぇ、ねぇ達海さんてば、」
「…ん?」
「もう、聞いてないっ」

有里が目の前に書類をばさばさ積んでゆく。ちなみに、俺の左手の指が下敷きになっていた。

「次の取材の予定諸々と、備品のリスト!ちゃんと目を通しておいてって言ってるの!」
「…うん、」
「……」
「…なに?」
「別に?ちゃんと聞いてるかなって思って!」

訝しげな有里の視線が痛い。
なんとなく笑って誤魔化してみたけど、あまり効果はなさそうだった。諦めたように有里は去っていく。その背中が、私は忙しいです、と語っている。罪悪感。反省。
有里の言う通りだ。
仕事中に私情を挟むのはナンセンス。これでチームが負けたら洒落にもならない。
…俺は一体何をしてんだ。

「あれ?達海…、」

ドアで有里とすれ違いに、後藤が入ってくる。後藤は俺を見て不思議そうに入り口で立ち止まった。

「こっちにいたのか」
「うん、何で?」
「いや、外からロッカールームの方で電気点いてるのが見えてさ」
「んー…?」

扉の向こうから、電気は点けたら消してよ達海さんー!という有里の声がした。身に覚えのない罪が加算されていく。有里にとって今の俺から信用は買えないそうだ。

「…俺、知らない」
「そうか」

首をかしげる後藤の手には大量の書類とファイル、封筒。GMは相変わらず大変なんだねぇ。俺の周りには忙しい人ばかりだ。俺ばかりがぼやぼやと立ち止まっているような気がする。

「…いいや。俺、見てくる」
「まてまて達海、先にお前に用があるんだ」
「…えー」

この仕事場の皆が忙しいんじゃなくて、俺がいけないんだ。両手に書類の山。後藤が俺にくれた。仕事をしろ、監督。つまりそういうことだ。
まあでも、忙しい方が、他のこと考えなくていいか。


**


何時間も前に練習は終わって、選手はとっくに帰っている。しん、と静まりかえった廊下に、一本の光の道が出来ていた。選手のロッカールームだ。扉が少し開いていてそこから光は漏れていた。よく俺はそこのシャワールームを使うけど、今日はまだ無実だ。
やれやれとドアノブに手をかけたときだ。部屋の中から小さな物音が聞こえた。思わず怯んでノブを離す。あ、スパイクの音。

「…?」

誰かいる。選手か。こんな時間まで何やってんだか。ちゃんと休めに帰れって言ってんのに。
半ば呆れつつ、なんて言ってやろうか思案しながら再びノブに手を掛けた。





「……達海さん、」
「…!」

名前を、呼ばれた。

嗚咽が混じった震える声。姿が見えなくたって、どんなに小さくたって聞き違う筈がなかった。悔しいことに、今の俺、頭の中はおまえでいっぱいだったんだ。

「…椿?」

椿と目が合った。椿は真っ黒の目を大きく見開いて、ぼろぼろと涙を溢れさせた。
その瞬間、ああ、終わったと思った。大げさなんかじゃない。
椿が何か言いたげに口を開いたけど、何を言っているのかちっとも聞こえなかった。心臓の音が煩い。氷を飲み込んだみたいに、腹の底がじんと冷えていく。

「…なにやってんの、おまえ」
「か、んとく」

じりじりと椿がロッカーの角に後退る。この期に及んでもまだ逃げようとするんだ。胸が、つきんと痛む。もう、隠し事はうんざりだ。

「ごめ、なさい、」

何を言っているのかわからない。なあ、なんで謝ってんの。やめろよ、縁起でもない。
ごつ、とすぐに椿の肘が壁にぶつかって、ハンガーに掛かっていたジャケットの陰から、何かがどさりと崩れ落ちた。

「…ぁ、あ」
「…なに、これ」

白い箱の山。箱から中身が転がり出た。同じロゴ。全て、見たことある同じ白いスパイク。そのひとつを拾い上げた。

25,5p

「…椿、」

25,0p

「なぁ、」

26,0p

「何これ」
「…っ、」

逃げる肩を掴んで引き寄せる。どきりとしたのは、椿の肩が恐ろしく薄くなっていたことだ。体を小さくして震える椿は、虚ろに涙を溢しているばかり。俺の言葉に更に身を小さくした。不意に震える手が、俺の袖を引く。

「…しに、たくない、です…たつみさ、」
「!」
「死にたく、ないっ」

どくん、と心臓が波打つ。嫌な汗がぶわりと溢れる。
冗談だろ、なぁ!
思わず椿を抱き締めた。心臓が早鐘を打ってんのは椿も同じだった。おまえなにばかなこと言ってんだ。声が震えてうまく喋れない。

「ちゃんと、説明して…椿」
「ごめんなさい、達海さん」

背中に回った椿の腕が強い。息苦しくなるほどに締め上げる。全く身動きがとれない。

「ごめ、なさ…ごめん、なさい、」
「ちょ、…つ、ばき、」
「いやだ!死にたくない、サッカーしたいです!いやだ、やだ…っ!」

どんどん椿の息があがっていく。次第にひゅ、という不規則に息が漏れる音が混じりだす。椿の身体ががくがくと揺れた。

「…離せ、つば、き、」
「ったすけて達海さ、助けて、っあ、っ、」
「椿落ち着け!…ほら、心配すんな、大丈夫だから…、」
「いやだいやっ、こわい、っ…し、死にたくない…!」
「椿!!」
「…っ、ぁ…つみさ、」

背中をさすってやると、椿の腕の力が緩んだ。そのままだらりと力なく身体を此方に預けるが、まだ息が粗い。身体が冷たい。
散らばった書類の中から紙封筒を引きずりだして、膨らませて椿の口にあてがった。

「…よしよし、平気だからな」

短く浅い呼吸を繰り返しながら、どんどん沈んでいく椿の身体を支える。いつもより軽いような気がしたけど、気付かないフリをした。

「おい達海何の騒ぎだ!?」
「…っ、椿君!?」

後藤と有里が騒ぎを聞き付けてとんでくる。おのおのが悲鳴をあげて、俺と椿を見た。
ロッカールーム。散らばった書類。沢山の白いスパイク。絶望する二人。
一人の人生の終わりが、こんなにしめやかで現実味の無い。

「…わりー、ごとー。椿運ぶの手伝って。有里はドクター呼んどいて」

怖いくらい冷静になって、二人を手招いた。心臓がばくばくいって気持ち悪い。胃がひっくり返ったみたい。寿命、幾らか縮んだんだろうな。気を抜いたら泣きそうだ。

「た、つみ…さ、」
「…ん、」

ああごめんな、椿。気付いてやれなかった俺の責任だ。おまえは何にも悪くないよ。悪いのは俺だ。大丈夫。なんにも心配いらない。だからさ、


「死ぬなんて言うなよ…」


**


救護室のベッドに横たわる椿の顔は青白い。前にも見たなと思ったら、そうだ、有里も同じように過労で倒れたんだった。

寝不足と疲れが原因。あとはどこも悪くない。至って健康。軽いパニックも突発性のもので心配はいらない。
ドクターはそう言った。


(異常無し…?)


「…不謹慎だし、変なこと言うから聞き流してくれていいよ」

有里が俺の隣でそう呟いた。

「達海さん今、世界の終わりみたいな顔してる」
「…そうかもね」

うまく機能してくれない頭が、ぼんやりと音を聞き取って有里に返事をした。
何ができるかどんなに考えたって、俺が椿にしてやれることなんて何もない。俺は椿の監督で、恋人で…あとはなんだろう。ただただ心配ばかりして、保証の無い大丈夫を繰り返すだけ。椿を助けてやることも、できやしない。

情けないけど、頭ん中でさ、誰でもいいからって、すがる相手を探してる。


…なあ聞こえてるか、フットボールの神様






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