疎ましくて、置き去りにした



しんと冷えたあたまの中心に、まだちゃんと残っていた。達海さんが触れたばしょはまだ、熱を持ってさめないでいる。
もったいなくて頭洗えないっスって言ったら、またしてあげるから洗ってねって、達海さんは笑った。

単純なハナシ、オレはたぶん、達海さんがいてくれるならばなにも怖くないのだと思う。
達海さんが大丈夫っていってくれるなら、なんだって平気だって思える。何もないことにこしたことはないけれど。
長年いっしょだったスパイクとさよならするのはやっぱり惜しい。あし、元に戻ればいいな。また戻るよな。だってオレ、成長期だもんな。達海さんもそう言ってくれた。単純なんだけど、それだけでオレ、いくらでも身長伸びそう。

新しく買い揃えたスパイクは前のと同じもの。同じかよ、って達海さんには笑われたけど、これじゃなきゃ変な感じがした。なるべく普通にしたかったし、なんでもないんだから、誰にも気づかれたくなかった。達海さんがそんなオレに気遣ってくれて、足の話をするのは二人っきりになった時、こっそりとだけだった。
オレは監督に心配されてる。心配してもらえる。だから、選手としてちゃんと恩に報いなきゃなぁ。試合や練習でヘマをするぶん、自主練とかいっぱいしてとりかえそうと思う。その旨を監督に伝えたら、ちょっとズレてるねえ椿は、と笑われてしまった。

「普通に練習のとき頑張ってもらえたら、俺としてはベストだよ、椿君」



「…あっ!」



***



ため息をついた。ため息は幸せが逃げていくって話を誰かが言っていたのを思い出す。おそらく、それは正しい。誰かが実体験をしたに違いないと思った。

少しだけ動悸がする。
たぶん、これは、きのせい。

誰もいないロッカールーム。『7 TSUBAKI』と書かれたロッカーにどすんと座る。そうやってわざと音を立ててみた。そうしないと勝手に上がってゆく心拍数にのまれてしまいそうだった。誰もいなければ音もないわけで、結局オレはひとり、心臓の音にすら音負けするわけだ。なんだかなぁ、とひとりごちてみて、悲しいふりをする。実際のところなにも、考えてはいない。ただ、頭の中がきれいにまっしろになる。なんにも考えられなくなっている。うまく動かない脳みそと、別離する身体を可哀想にと思うしかない。

もたれた背中で、小さな音がした。積み上げられた白い箱が、存在を強調するように背中を押し返す。


『椿最近さ、寝不足?』
『えっ?』
『くま、できてるね』
『えっと、その…夜にいっぱい練習すると、どうしても興奮して寝付けないんです』
『ああもうフットボール馬鹿め、大概にしろよお前は。選手が自分の体調管理できてないのはよくないよ。…まあ、っつっても止めないよな。…ほどほどに、しなさい』
『へへへ……うっす』
『へへじゃねーよ…ったく、』


(そうだったらいいのにな)


『あ、そうだ椿』
『はい』
『足はどう?スパイク替えて二週間くらい経ったっけ』
『とくに何もなかったです。気のせいだったのかもしれないス』
『…そっか。なら良かった』


(…ああ、どうしよう)


オレは監督に嘘を吐いた。
我ながら恐ろしいくらいの上等な出来ぐあい。するりと喉をついてでたのはオレが望んだ理想。でも、理想は理想であってそれ以上にはならない。本当にそうならいいのに、とは願うけど。勿論、現実とそれとには、ずいぶん大きな距離がある。

足元のスパイクが、するりと足から抜け落ちて、小さな音をたてた。

「あー…」

自傷的になりそうだ。
スパイクが、また大きくなっている。笑えなかった。もう、間違いなく気のせいなんかじゃなかった。


『なんかあったら俺やコーチとかドクターでもいい。すぐに相談すること。いいな?』
『うっす!』
『いいお返事ー』



(オレの体、おかしくなってる)


まず始めに考えたのは「隠すこと」。どうしたらバレないか、不自然に見えないか、普通でいられるか、だった。だれかに相談だなんて、考えもしなかった。
小さくなる足以外はどこも一向に悪くならない。だからそう、黙っていたならずっとサッカーができる。病院なんて、行ってられない。悪い病気だったら、サッカーできなくなっちゃう。病室に閉じ込められるくらいなら、死んだ方がましだった。
子供みたいに駄々をこねてると思う。でも実際オレの体はどこもわるくない。(たぶん。)痛みもない。プレーはそう、しっかり走れるし、ご飯だっていっぱい食べる。なんなら最近すごく食べれる。高校時代に戻ったみたいに。オレは元気。健康。だから、つまらないことで監督を振り回してはいけない。そう思おうとした。


「オレ…、最低だ………」


(オレは監督を、達海さんを、裏切ってしまったんだ)


***


体重がごっそりと落ちた。
初めはやつれたのかもなんて思った。最近は全く眠れなくなっていた。眠っている間にまた体がおかしくなるんじゃないかって怖かった。なのに見た限り体型は変わったふうに見えない。オレしか変化は気付いていない、はず。身長は1,5センチ位縮んでいたけど。ああ成る程、体重が減ったのってこのせいかと納得した。あはは、なんて。いよいよやばいなぁ、なんて達観してみたりした。
そんなときふと、達海さんがオレに独り言のように溢す。


「…椿背ぇ縮んだ?」


(…あ、どうしよう。)

喉のすぐ下で、心臓がどくどく鳴り響いている。警告音なんかじゃなかった。もう、知らないふりができなかった。警報音が、嗚咽に変わってせり上がってくる。

なんで達海さんには全部解ってしまうんだろうなあ。
助けてって言えたらどんなにも楽なんだろ。でも、言ったら最後。もう、元には戻れなくなる。懸命にそれを飲み込んで、さもなんでもないというように、言った。

「そう見えますか?」
「んー…なんとなく、だけどさ」
「気のせいじゃないですか?オレ、去年も身長伸びてたんですよ」
「……あーそうかも」

じつはこっそりと、背伸びをしていたなんて絶対に、言えない。


独りぼっちのロッカールーム。足元に転がるスパイクは、新品に見えないように必死で履き潰した努力が見える。正直もう、騙すことは限界だった。

どうせまた、新しいものを買わないといけないんだろうなぁ、とため息を吐く。このまま小さくなり続けたら、消えてなくなってしまったりして。そんなくだらないことを想像した瞬間、背筋が凍りつく。ぼんやりと死を、連想した。それもそうか、と思った。だってオレは、達海さんに嘘をついたんだから。きっとバチが当たるんだろう。

(嗚呼、どうしよう?)

もしも始めから達海さんに相談してたなら状況はきっと違うのかな。嘘を嘘で上塗りしては大切なひとを裏切り続けるより、よっぽどましだったのかな。

もしもオレが正直者だったなら多分、達海さんが心配してすぐにおっきな病院に連れていってくれる。そこでたぶん、悪い病気だって言われて、病室に箱詰めされてた。でもこれは全て、オレの為であるんだからしかたない。
長生きはできないかもだけど、身体中に管とか通されたりなんかしたりして。進行を遅らせる薬をたくさん飲みながら、それでお腹いっぱいになっちゃう。そのときオレは、サッカーをテレビとかで観てる。ETUを、1サポーターとして応援したりして。…あーあ、やっとみんなに、見てもらえるチャンスを貰ったのに。それでいつの間にか、オレは病室の一角を占めるだけのにもつみたいになる。ただただ呼吸するだけの、厄介者。そうなれば達海さんはきっと、オレと一緒にいてはいけない。オレなんか忘れた方がいい。だってそうしなきゃ、達海さんは幸せになれない。最初はかなしくても、きっと代わりになるしあわせってたくさんあるはず。あ、達海さんは悲しんでくれるかな。それならオレ、すこしうれしい。悲しんでもらえるっていうささやかなしあわせを抱いて、独りで生きよう。

……あ、結局バットエンドだ。



(オレ、死んじゃうんだ)
(…これ多分、手遅れかな)



それならどうして、はじめから素直に言えなかったんだろうな。


「…っ、たすけて、」


(どうしよう)


「…だれか…、」


(どうしよう何でなんでオレがどうしようどうしてどうしよういやだ嫌だ死にたくないどうしようどうしようどうしてオレはどうしたらいいどうしよう助けてどうしようどうしようごめんなさい誰かダレカだれか!)



「……っ達海さん…、」



つまりこの結果は、


(疎ましくて、置き去りにした、)


オレのエゴのせいだ。







「……椿?」








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