優しい檻



雨の音と痛みは比例する、なんて初めて知った。なんて便利な。目をつむっていても雨の具合がわかるから、自称天気予報いらず、と名乗ってみる。だれに。




「知ってますか、」

椿くんはたっぷりと沈黙を守った後、口を開いた。向かい合わせに座って、俺のために用意したコーヒーを淹れている。

「コーヒーにも、致死量があるんです」

何かと思えばまた物騒な。真剣なカオしてたのは、それでなの。
ヒトって水で死ねるんだよ。コーヒーにだって致死量くらいあってもいいじゃない。問題は、なんでいま、それなの。

「目安は1日あたり、75杯が致死なんですよ。少ないなって、思いません?」

そう言いながらコーヒー注いでるあたり、椿くんもそうとうアレだよね。

「今、俺は何杯目なの」
「2杯目です」

ちらりと時計をみた。13時25分。
じゃあなに、俺はあと10時間ちょいのうちに、73杯コーヒー飲んだら死ぬの。
デジタル時計の、秒数を刻むリズムに便乗してるみたい。にわかに心臓の音が大きくなった。立っていても、熱がどんどん籠もっていく。

「なんでも、カフェインが体に駄目らしいんですね」

つらつらと、かわいいかおして恐ろしいことをいうんだね。あのさ、俺がコーヒーそんなに飲むと思ってんの。いつから君は俺の栄養士になったわけ。あ、もしかして、コーヒー買ってこいって椿くんのことパシったの、根に持ってる?

練習終わりの椿くんを電話一本で呼びつけた。二つ返事で嬉しそうなカオしてやってくるまで、ものの数十分。犬みたいだね、ほんと。でも、少しだけタイミング悪い。雨雲まで連れてくることないよね。
会うやいなや、お遣い頼んだのには俺に落ち度がある。でも、俺の傘も貸してあげたし、お遣いのついでに近くのケーキ屋で好きなの買って良いよって言ったじゃん。
案の定ジャージでかわいらしい店なんかにひとりで入れなくて、コンビニで安いエクレアとロールケーキ買ってきてる。あはは、かわいいかわいい。今は冷蔵庫に入ってる。ご丁寧に2つずつ。
じつは俺、椿くんがそんな店に入れないことは知っている。でも、わざと、言ってみた。

「椿くんはひじょうに間の悪い子だ」

俺はマグカップに口を付けながらどすんとソファに座り込んだ。椿くんはつっ立ったまま、動かない。ただ、後頭部あたりにびしびし無言の視線が刺さる。
このままほおっておくと、ほんとに俺、ただの悪い奴になっちゃうから、おいでって、手招きした。椿くんもマグカップ携えて、俺の隣にそっと座る。あんなにじょうぜつだった椿くんが、うって変わって黙っちゃうとかへん。
部屋の中に、コーヒーすする音と、雨の音が響いてる。すごい大雨。椿くん雨の中走ってったから、ちょっとソファが湿ってるけど、この際気にしないでおく。
何か言いたげな椿くんを無視してコーヒーに神経を集中させてみた。二分でも耐えたのは、我ながらすばらしい。

「椿くん、今からちょっとでかい声だすかも。そんときは、まあ、自由にびっくりして」
「…え、あの、」
「あ、だめ、もう限界。椿くん膝かして」
「持田さん、あ、あし…、」
「言わないで。…あとさ、」

椿くんが戻ってくるまでの数十分間。頑張っていつもの通りに戻ってみせた俺を褒めてよ。

「いつものとこに、コーヒーまだあるからさ、3杯目からはそっちを先に使って」

見上げたすぐそこに椿くんの泣きそうな顔があった。そんな顔するならさ、鎮痛剤とってくんないかな。君がそんな顔するから、耐えられなくなるんだって、ねえ知ってるの。

「あ、もうちょっとしたらさ、エクレア食おうよ」
「…いいですね」
「あんまり食っちゃ寝してっと怒られるけどさ、仕方ないじゃん。俺コンビニスイーツすきだし」
「俺もすきです。あ、じゃあまた、コーヒー淹れますね」
「うん」

いつもと変わらない味は、俺のお気に入りだったりする。甘めに作ってくれる椿くんブレンドは、俺には作れない。椿くんは、絶対にレシピを教えてくれない。むかつく。けど、椿くんを呼ぶ口実になるね。

あしがずきずきする。頭も痛い。
雨はまだ止まないかも。椿くんに八つ当たりしないだけ、まだマシ。
ねえ神様、こんな特技いらない。信じたこともない神様に祈ったって叶えてくれやしない。なんて惨め。ウケる。もう笑うしかない。

「大丈夫ですよ、だいじょうぶ」

目の前がぼんやりしてくる。すべての境界線があいまいになってきた。いよいよやばいかもしれない。熱を持ったあしが、体中を支配してる。俺、どこかに連れてかれちゃう。
冷たい手のひらを、椿くんの手がぎゅっと握りしめた。今なら俺、椿くんの手、このまま折れちゃいそう。あは、椿くんほんとに練習終わりに走って来たんだねえ。膝枕が少し汗くさい。それを正直に言うと椿くん拗ねるから黙っておく。それに、芝生とか、土とか汗の匂いってきらいじゃない。サッカー選手の宿命ってやつか。あーあ、ボール蹴りたくなってきた。サッカー選手が、ピッチにも出ずになにやってんの。言うこときかないあしなんて、俺いらない。


「もうしばらくの、辛抱ですから」


もう気休めなんかいらない。
すきなものが、毒に変わる75杯目。
椿くんは、頼んだら淹れてくれる?



(優しい檻)



title by 泳兵







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