ハロースプリング





「寒い…ですか?監督」


俺のナリを見た椿がこぼした第一声が、それだった。その声に好奇心や楽しさなんかが覗えて、椿が何を見てそう言ったのかはすぐに分かる。

「さむいよー。椿は平気なの?」
「寒いのは、とくいです。それに今、走ってきたばっかりで、体ぽかぽかしてるんですよ」

いかにも今まで外にいました、って一目に分かるくらい鼻の頭と頬を真っ赤っかにして。
おいでトナカイ、って席を空けて見せると、椿ははにかんでそろそろと腰を下ろした。

「体育の時間、よくやりました」
「あー体操着ってよく伸びるもんね」
「そのせいで、上着はのびのびにしちゃったんス」
「はは、母親泣かせだなー」

椿は俺の腕のない服の袖を引いて、不在を確かめている。肝心の俺の手はというと、袖を抜いて服の中へと仕舞い込まれていた。
一番に椿の目をひいたのが、それだった。これを見て、椿は俺を寒がりだと判断したに違いない。
椿の目は、袖ではなくて俺の手を探していた。

「あ、」

見つけたとばかりに遠慮がちな椿の手が伸びてきて、裾の下からはみ出ている俺の右手に優しく触れる。あ、椿、手ぇあったかいね。

「監督の手、氷みたいっス」
「そう?」
「手が冷たい人は、心が温かいんですよ」
「…そーかな?」
「そうです」
「…おかしいな。椿の手は温かい」
「監督に敵うはずがないですから」

じわじわと椿の熱が伝わってきて、それと反比例して椿の温度が緩やかに下降していくのがわかる。椿が俺に熱を分けてくれてるんだなあと思うと、無性に泣きたいような気持ちになった。
それが無意識で行われる、不器用で優しい椿なりの愛情表現なんだ。その献身さがいとおしくて堪らない。自分を簡単に犠牲できてしまうくらいに、俺のこと、好きでいてくれるんだねぇ。ああもう、だいすきだよそういうとこ!

「ずいぶんと俺を買ってくれてんだね」
「…ほんとのことですよ?」

おまえは嘘を吐かない分、まっすぐに伝わってくるんだよ。だからこそいつも、唐突に雄弁になる椿の言葉には必要以上にどきどきするんだ。だってなんかさ、まるで告白みたいじゃない?

「監督は、誰よりも思いやりのある人です」

ああ、簡単にそうやって言っちゃえるんだろうけどね。世界中探したってさ、お前に勝てる優しい心の持ち主なんて見当たらないよ、椿。俺が保証してあげる。

思わずもう一方の手で、椿の首もとに手を回して頭を引き寄せた。椿の首筋がぞわ、と粟立って、ぎゃあ、なんて色気のない小さい悲鳴が上がった。あ、ごめんね椿、冷たいの忘れてた。

「し、下から、手、そんなに出したら服、脱げちゃいますよっ」
「じゃ、椿があっためて」
「えっ、わあ!…かんっ、監督!手を動かさないで、冷たいっ!」

やめて、とは言わないところとか可愛くて困る。
椿が必死にそれに耐えてるなんてのはお構いなしに、ぱくり。真っ赤な頬に噛みついた。
手とは対照的な、冷たい椿の頬。ああうんほらね、やっぱり椿は誰よりも温かいんだよ。誰かを温める為に、おまえの手は温かいんだ、ってだけで。

「わぁっ、ああああの、なに…、」
「つばき、顔真っ赤」
「へ、あぁ!?」

からかうつもりでべろん、と頬を舐めあげた。途端、沸騰したみたいに顔全部を真っ赤にして動かなくなる。ぱくぱく動く口が金魚みたい。その口があまりに無防備なもんだから、

「ああ、そっちのが良かったの?」

そのまま唇にそっとキスを落とす。そうしたらキャパオーバーの椿が泣きながら俺の唇に吸い付いた。
そんなつもりじゃないってようすで、そのくせ背中に手なんか回しちゃって、簡単に雰囲気に飲まれちゃう椿はまだまだ若いんだね。
一生懸命俺にしがみついて、貪るみたいなへたくそなキスは、ただお互いに酸素を送り合ってるみたい。舌でどうにかそれっぽく探りあう、初心者マークつきの大人のキス。
実は必死な顔をこっそり覗き見るのすきなんだ。可愛いんだから、仕方ないよね。

「…まっ、て…監督、」

唐突に肩を掴まれて、唇が名残惜しげに離れる。ふーふー肩で息をしながら、椿が勝ち誇ったような顔して言った。

「…捕まえました、」
「…うん?」
「もう、いじわるだめです」

いつのまにか、というか気づいてはいたけど、背中で俺の両袖が結ばれている。すかさず椿が捲れ上がった裾を引き下げて、俺の腕を服の中へと仕舞い込んだ。
これで一応、俺は身動きができなくなったことになる。

「パーカーの下、タンクトップ一枚ですか!」
「そういや、衣替えしてなかったな」
「だから冷えちゃうんです」

嬉しそうなかおして。俺の母親みたいだな。
つかそれよりさ、そんなことできる余裕なんてあったんだ。いつからそんなことできるようになっちゃったの?ねえ、椿くんたら。

「寒くならならないようにくくっておきますねっ」

自分でほどくことなんて簡単なこと。それはお互い知っている。椿は本気でそんなことはしない。けど、椿はあまりにも可愛いし、せっかく頑張って結んでくれたんだから、しばらくこのままにしておこうかな。

「ゆるしてーつーばきー」
「おへそ出したら風邪ひいてしまいますから」
「えー…理由はそこなの?」

それから先がノープランらしい椿は、それだけ言って満足げに頷いた。
まだ少し照れが残っているのか、顔は赤いまま。睫毛に涙の粒が乗っかってる。頬と唇がてらてらと光っているのがなんとも官能的で、それでいて子供っぽい。
思わず生唾を飲み込んだことは、椿にはないしょ。

「…手がないと、困ること多いよ」
「監督に風邪をひかれてはそれこそ困るっス!」
「うーんそうかなーもっと困ることは在ると思うけどなー」
「でもいまは、監督の健康が一番優先です」

これまでに無いくらいに勝ち誇ったような自信満々の椿。おとなをなめちゃ、いけないなぁ。椿を説得するくらい、朝飯前だよ。

「例えばね、ほら、」

服の裾から、椿に見えるよう右手の小指を出して見せた。

「指が一つあれば、椿と約束ごとができるのに」
「あっ」

ちょん、と椿の小指に触れる。早くも椿の目が誘惑に揺れていて、犬みたいにそわそわと世話しなく居住まいを正している。
初志貫徹しなよ、と笑うと、椿は照れたように俯いた。

「二本在ったら、椿と写真撮るとき困らない」

ピースサインに作り変えた手を、椿はじっと眺めている。折れるまであとちょっと、かな?

「三本在ったらさ、鉛筆持って、椿に手紙が出せるよ」
「…そう、です、けど…」
「会いたい、って書こうかな。椿は来てくれる?」
「もちろん!」

椿は心外だと言わんばかりに眉をひそめて、俺の言葉に噛みついた。それからふと我に返って、しおしおと肩を落とした。俺のペースに流されていることに気付いたらしい。
でもそっか、あたりまえなんだね。悪かったよ。嬉しいなぁ。

「じゃあ四本あれば…何ですか?」
「四本在ったら…なんだろ、」

椿の期待の眼差しが今は苦しい。そんないいこと言えないよ俺。なんとか知恵を絞ってから、両手の人差し指と親指で、むい、と椿の頬を摘んだ。椿が、むあぁ、と情けない声をあげる。

「…椿のこと、ちゃんと叱ってあげよう。これも愛」
「ふぇ、れもひまは、ひからりぇるようなここ、ひてないっふ」
「ふふ、これも愛、だよ」

椿にはね、無条件で触りたくなっちゃうんだよ。これはもう、愛だよね。
触れた椿の頬が熱い。ふわり、と視線をそらした椿の目に涙が滲んでいた。
手を伸ばして、椿の指に自分の指を絡めた。椿の心臓の音、椿の身体中を巡る血液、椿の体温。そんなのがいっぺんに繋いだ手から伝わってきて、決壊寸前だった愛しさや愛情なんかが全部溢れてむせかえりそうだ。
かろうじて出た声で、椿を追い詰めにかかろうか。

「指が五本あれば椿と、手を繋ごう」
「……」
「両腕があったら、椿を抱きしめてあげられるのに。…ああそれでも椿は手より健康がどうのって、まだ言うの?」
「……す、」
「ん?」
「ずるいですよ、そんなのっ…!」
「…だって椿、俺にもう触ってくれないなんて言うから」
「い、言ってないです…、」

ぐずぐずと鼻をすする椿が、手を、指を、しっかりと絡めて離さない。心を鬼にして、ほどいて、って頼んでみたら、椿は少しだけ考えてから静かに袖を解いた。

「なくなーつばきー」
「だってこんな、」
「んー?」
「…ぷ、プロポーズ、みたいな…、」

照れて真っ赤なかお。熱い指先。悔しそうな目。優しく左手を解して、薬指を探しだす。

「…椿の指にはね、俺とお揃いつけてほしいな」
「もうっ」

椿が降参でいい?そう問うと、ぶっきらぼうに、いいです!と答えが返ってくる。鼻声隠してんのバレバレで、繋いだ手離そうともしないで、それでも強がる椿の腕を引いてもう一度キスをした。

「何で泣くんだよー」
「しあわせ過ぎて泣けるんです」

俺の視線も憚らないでぼろぼろ泣き出した椿を抱きしめると、どくんどくんと心臓が早鐘みたいに脈打っているのが直に伝わってくる。椿を生かして、息をして、血を流して、涙が流れて、体を暖めてくれるための大切な音。
細くてしなやかな椿をつくりあげた、命の音がする。それを思い知った途端、こうやって椿の身体を抱きしめていることが奇跡みたいに思えて勝手に泣けてくるんだ。
椿が過敏にそれを感じ取ったのか、俺の名前を呼ぶ。

「……達海さん?」
「…椿あったかい」
「それは…だって、」
「椿がいてくれたら寒くなんてないんだよ、俺」

おまえとずっと一緒にいれば、俺はなんだって平気なんだよ。
椿さえいてくれれば、あとはなんにもいらない。だいすきだよ。
いつまでたって寒くても大丈夫。あいしてるよ、椿。
そう呟いたら、椿は照れくさそうに笑ってこう言った。「でも、」



「春になっても、たくさんぎゅってしてくださいね」




title by メルヘン









「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -