特等席ふたつ

こちら「プレミア座席ふたつ」の続きです。









習慣化したというか、もともとの業務だったというかなんというか、毎週決まった時間、部室に俺が一番に来て、鍵を開けて待っているのが常となった。前なんかは部員たちに出現率が希少価値だなんて言われてたんだから、これは非常に大きな進歩だと思う。誰だっけ、宇宙に行った人が似たようなことを言ってた。大きな一歩だって。たぶん。

一番始めにテレビのスイッチをつけて、扉に背中を向けて、ソファに陣取る。それが自然に見えるようにしてあいつを待った。二番目。次に控えめにノブを回すのは、決まって椿だったからだ。

「おはようございます達海さん。今日、北海道で桜が見頃なんですって」

椿は決まって、そう言って入ってくる。挨拶のあとは必ず、時事ネタを仕込んできた。無いときは、天気のはなし。晴れても雨でも、嬉しげに話してくれた。とりわけ好きなのは、季節の変わり目の雨の日らしい。
だから俺も、雨の日をすきになる努力をしよう。

たまに、ソファに座って雑誌を読む振りをしながら、そうやって嬉しそうな顔して入ってくる椿を覗き見た。嬉しそうな横顔。なんだよかわいいやつめ。まるで飼い主にでもなったような気分で椿を迎える。少しの優越感。これのために、俺は足しげく部室に通っていたりすることは、弁論会のみんなには内緒。
わかる?これみんな、椿のためなんだよ、なんてね。

『おはよー椿。おまえ熱心だねえ』

そう返事した。してから、熱心なのは自分の方だったなぁと考えた。
椿の方はというと、少し照れたように笑って、達海さんと話したり、皆さんと映画観たりするの、楽しくて仕方ないんです、と話してくれる。いつも俺の向かいの木箱みたいないちばん粗末な椅子に、誰に言われたでもなく座っちゃうのが好きだった。遠慮しなくていいよ、と思うけど、高校上がりたての椿にとってはおそらく先輩の存在はたてるものとして在るんだろう。頑として席を改めたりしなかった。ささやかな心配りとか、自然に出来ちゃう姿が、すごくいとおしくてたまんない。

それにしても、楽しいです、だって!いちばんに俺の名前が出たりなんかしちゃってさ。ああもう、そうやって期待ばかりさせられて、俺はどうしたらいいわけ。待てばっかり出来るわけがないのに。おまえはほんとにずるい子だね。天然って、時には凶器に成り変わるんだ。焦らしいおまえの仕種は、いつだって正確に俺の脆いところを突いてくる。これは、たいへんずるい。

恋愛に臆病であるふしは無いつもりでいた。だけど反撃ののろしは、いつまでたっても上がらない。だってそう、いつだって相手は『椿』なんだから。



そう、ところで俺、今日もそんなこんなで椿を待っている。前説がこんなに長いのって、椿が居ないからなんだよ。話し相手が居ないなんてもう暇で暇で。椿のことだったら、いくらでも喋れそう。
朝から暇な俺は、部室の中で始業ベルを聞いた。同い年の部員が居ないから、俺今独りぼっち。誰も来ない。他のみんなのゼミの時間割なんかはよく知らない。みんな授業なのかもしれないし、バイトなのかもしれない。椿は一回生だから、授業詰まってんだろうなぁ。
でも気付いた。椿は火曜日、どうやら昼まで何もないみたいだ。この日だけは椿は決まって朝から部室にやって来る。昼飯を食いながら、北海道で桜が咲く話をしたのはそういえば先週の火曜日だった。

そんな今日は火曜日。プレミアリーグ戦ダイジェストを観に、俺と椿だけが部室を訪れる。
今日も日課。朝イチに鍵を開けた。10時半頃には、ふたり揃ってテレビ前を独占してるはず。
律儀に待ってる俺も大概なんだけど、椿に会いたいと思っても、俺にできる口実も手段もほんとにこれしかなかった。アクションかける前に卒業するとか冗談じゃないけどね。さて、どうしたものか。


ふと顔を上げる。歴代のフットボールファンの先輩が残していった、ボールを象った掛け時計が、すっかり日に焼けて白んでいた。よく見ると文字盤に、日本代表W杯初出場おめでとう、とある。いったいいつのだよ。そしてここは何部なんだよ。
時計は十時を二十分前に回っていた。遅いな、椿。ダイジェストもう始まるんだけど。つーか、番組はもう始まってんだけど。

「うっわ、そこから打ってっちゃうのかよ」

一ヶ月前までずっと一人で観てたんだから、むしろこっちが普通であるはずなんだ。一人で盛り上がったり、戦略を勝手に分析してみたりするのは楽しかったし、満足していた。でもああ、もうだめだ。椿が隣にいないとつまらない。あいつは俺の話を楽しそうに聞いてくれるし、なんでも尊敬の目でもって、訊いてもくれる。
相づちが嬉しくて、俺は監督にでもなったみたいに、たくさんたくさん喋った。戦略練ってはああでもない、こうでもない、って。今まで生きてきて、喋り足りなかったぶんすべてを、いま椿に伝えることで補ってるみたい。

一人だったとき、俺何してたんだろ。独り言ばっか言ってたのかな俺。…あ、違う。そもそも部室に来てない。だって俺、希少価値のお墨付きだったんだから。
まさしく恋の力というのは偉大。

「…早く来てよつばきー、俺寂しい人になっちゃうよー」

無情に過ぎてく時計の針が恨めしい。テレビの向こうの七番が、ゴールを決めて、嬉しそうに手を振り上げてピッチを走っていた。やった、なんて独りで言っても寂しいな。

ねえ椿、





**



「…くしゅっ、」
「…んー?」


待ちわびた声に起こされる。椿がしまった、っていう顔して俺を覗き見ていた。いつの間にか寝ていたらしい。顔近いよ、椿。いつ来たの。

「…今何時?」
「すいません、起こしてしまって」
「ううん、寝るつもりは…無かったんだけど」

テレビ画面はブンデスリーガの特集に切り替わっていた。椿は試合経過が気になるのか、ちらちらとテレビ画面を気にしている。

「…達海さん、」
「…ん?」
「今週の土曜日って、お時間ありますか」
「んー…暇だよー」
「……」
「…ん?どしたの、椿」

いつになくそわそわと忙しない椿。おもむろに鞄をごそごそやり始めて、財布から一枚、小さな紙切れを取り出した。

「サッカー、試合観に行きたいって、言ってましたよね」
「言ってたね、そんなことも」
「オレ、あの、バイトで…サッカー好きだって、その、チケット余ったから、って…えっと、もらったんで、すきなひと、行ってこいって、言われて…」
「ん?ん?」
「それで、達海さん、今月誕生日なの聞いたんで…よかったら、」

ぶちぶちと途切れような言葉並びに、聞き取り側は悪戦苦闘。言いたいことがありすぎるのに上手いこと言えないのか、椿本人がテンパっちゃってる。
だけどねえちょっと椿、いま聞き捨てならない言葉が聞こえてきたような気がするんだけどどうしてくれんの。

「…いま、何て?」
「え?」
「誰と、行けって言った」
「誰と…?…えーっと、『すきなひと』…」
「…それで、チケット、」
「あ、はい!貰い物で申し訳ないんですけど、よかったらどうぞ」
「うーわぁーさんきゅー…」

ねえ、なんなのそれ。
つまりさ、俺にくれるってことは、つまり、その、俺が椿の『すきなひと』ってことでいいの。勝手にそう解釈するけど。
ねえこれって、『待て』してたご褒美なの。今さ、幸せすぎていっぱいいっぱい。ずいぶん熱烈な告白受けちゃって、もう泣きそうだ。両想いだってさ!

「…それからあの、オレ、チケットは一枚だったんで、」
「………ん?」

何かが、たった今消火した音が聞こえた。ひんやり。希望の灯火の鎮火音だろうな。
何が起こってるのか分からないけど(分かりたくもないけど)、椿は申し訳なさそうな笑みを浮かべてチケットを一枚俺にくれた。どういう意味かな、椿くん。俺は試されてるのかな。

「貰ったチケット…一枚なの」
「あ、はいあの、手伝ったらくれるって言われて、」
「つまり何、俺だけのためにバイト代の代わりで貰ってくれたの」
「あの、サッカー好きな人って言ったら達海さんしか浮かばなくて、プレゼント、ぴったりだと思って」
「あ、『好きなひと』って、そういう…」

完全に鎮火した『何か』。ちょっとでも期待しただけ、倍の威力でフラグをへし折ってくれるこの愛しい後輩。たとえるなら、出る杭はなんとやら。泣きそう。泣いていいの。

「?…あ、えっとそれで、続きがあるんですけど、」
「うん?」
「…チケットもう一枚、オレ、自腹で買うんで、達海さんと一緒に行っても良いですか?」
「え」

知ってる?蝋燭の火ってね、最後めちゃくちゃ強く灯るんだよ。
なんだこの可愛い生き物!事態は急展開。テンションが行ったり来たり。こいつ俺を本気で殺しに来てやがる!今日で多分、だいぶ寿命縮んだんじゃない。
もうさ、この際両想いじゃだめなの。辛くなってきたよ、これが天然なんだからさ。

「だめ、ですか?」

なあ。否定するとでも思ったか、椿。断るとでも、思ってんの。
あいにくそんな心配面、気にかける先輩ではないんだよ、残念ながらね。
神様がいるんならさ、たぶん、待ってるだけじゃだめだって言いたいんだ。覚悟決めろ、腹くくれって。
誕生日っていう最高の権力を使ってさ、その日一日だけでもいいんだ。もう、命令でもいい。おまえにずっとそばに居てほしいと思うわけ。他に何にもいらないから。

「…あのね」
「…えっ」
「おまえのチケットは、俺が買ってあげるから…、」
「…え?」
「俺がおまえを誘っていい?」








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