王様の憂鬱




元はと言ったら全部オレがわるい。

待ち合わせ時間に5分遅刻したのは、少しの交通渋滞のせいだけど、それをちゃんと計算しなかったのはオレのミスだ。だってほら、大型連休後半の道路に、時間通りを求めたのは間違ってる。
それに途中で気が付いて、連絡しようとしたのに運悪く携帯を所持してなかったのも悪い。今から取りに帰るより、バスを降りて公衆電話を探すより、遅れてでも会って謝る方が、よっぽど正しくて誠実な方法だと思った。
持田さんは、オレがいつも待ち合わせには15分前に着いているのを知っている。つまり、いま、それを踏まえると彼を実質20分待たせたことになるわけで、これはたいへんな大遅刻になる。
はい、ワンナウト。



持田さんにはなんの非だってない。



「目蓋はっけーん」
「……」
「あ、ここ耳だ」
「…なに、してるんですか」
「五感使って、椿くん感じてんの」

拗ねる持田さんのことも、ちゃんと甘んじて受けとめなければいけない。反省すべきは、義務。今から予定していた食事だってなんだって全てキャンセルして、まっすぐに持田さん家に行くのだって、文句言うのはお門違いだ。
こっちを向いてくれないのも、目を合わせてくれないのも、仕方ないこと。贅沢は言っちゃいけない。

「『五感』じゃあひとつ…足りてません」
「あは、贅沢な椿くん!」

あ、ツーアウト。
オレ、サッカー選手だから、イエローのほうが良かったかもしれないけど、これでレッドになってしまったらちょっと困る。まだ退場は、避けたい。
部屋に招き入れてくれただけ、まだ許してもらえる余地があるんだと思った。でもやっぱり、物凄く居心地悪い。申し訳なさでいっぱいになる。息苦しい。
しばらく沈黙が続いて、あまりにも居たたまれなくなって、土下座の勢いでもう一度謝った。こっちを向いた持田さんは、目を閉じていた。目蓋の向こうの瞳とは、多分ばっちり目が合っているのに。
どきどきしてるオレに、持田さんから手が伸びてきて、オレの首に回った。一瞬だけ、絞められるのかな、って覚悟してしまった。息苦しい原因は、此じゃないけど。心配はただの杞憂。おぼつかない両腕が、オレをぎゅう、と抱きしめて言った。


『椿くんみっけ』


そうして、いまに至る。
持田さんは目の代わりに、手とか鼻とか、はたまた舌まで使ってオレの身体を研究し始めた。触ったりにおいを嗅いだり舐めてみたり、身体の隅から隅まであらゆる方法で確認しては声に出して、研究成果を述べている。

「この骨、骨盤…でぱってる」
「…えっと、」
「ここは背骨だから…あ、じゃあここは脇腹」
「…っ、」
「…くすぐったいの」
「はい」
「だろうね」

持田さんは鼻を鳴らすばかりで、止める気配は見当たらない。悪いのは全部オレだから、文句は言っちゃいけない。だけど。

「目…、」
「め?…ここ目なの?」

持田さんは笑ってオレのくるぶしに口付けた。分かってるくせになあ。

「…目だって、使わなきゃ劣化してしまいますよ、」
「…いいよ、もう。だって椿くんの匂いも感触も味だってちゃんと覚えた。椿くんを間違えたりしないよ」

その言葉を聞く限り、持田さんは完全にへそを曲げていて、これは困ったことになったとそのとき初めて気が付いた。もう、怒られるよりずっとキツイ罰だった。寂しいですよ、ねえねえ持田さん!こっち向いてください。
持田さんはそれを見越してやってるんだろうか。そうだとしたら、めちゃくちゃ怒ってるって、そういうことに、なりますよね。

「オレが、寂しいからだめです」
「えー…いらなぁい」
「必要なんです。オレには…」
「はぁ、そお。椿くんのくせに」
「…っオレ、謝りましたっ」
「切羽詰まる椿くんちょうかわいい」
「ねぇ持田さん…、」
「はいはいわかったわかった」

おもむろに取り出した何かを、持田さんは容赦なくオレの口に押し込んだ。押し込むまでに、持田さんの指が顔を這う。容赦なく目に指が刺さりそうになって、慌てて目を閉じた。多分これはマシュマロで、思い出す限り、ほんの数分前まで可愛らしい袋に詰められて、きれいなリボンが掛かっていた、はず。
持田さんがオレの鼻を摘んだ。びっくりして目を開けると、今度こそ持田さんの充血した目と目が合った。そうしてまた、びっくりした。持田さんがめちゃくちゃ不機嫌そうにオレをにらんだ。その目から、ぽろんと何かが落ちていった。

(…うそだ)

「…持田さん目が兎みたいに、」
「うるさぁい見んなー」
「あ、ごめんなさい」
「どれもこれも、椿くんのせいだあー」
「すみません、」
「これ食えー」
「はい」

(もちださんが、ないてる)

切羽詰まってたのは果たしてどちらなんだろう。
五個めのマシュマロ。わざと目を狙ってませんか、ねえ持田さん!

あと、実をいうならもう、お腹いっぱいなんです。甘すぎて鼻がつんとする。鼻血出そう。あ、これ、マシュマロの所為じゃない。オレも泣きそう。
ほんの数分前まで、それがあなたの後ろ手に隠れていたのは知っている。きっと、それをもって待ち合わせ場所に立っててくれたんでしょう?そう考えるともう、全部オレの口に突っ込んでほしかった。マゾヒストとかじゃないけど、うん、そんな気分。食べさせてほしいってわがままは言わないですから。
オレにあげようって思ってくれたなんて。愛されてるんだなぁと思う。愛されるだけの分量に、オレが来なかった時間を階乗すれば、きっとそれが持田さんを心配させた分の体積になる。溢れたそれが、涙になったっておかしくない。

持田さんはやさしい。

「ばかつばきめ、王様に心配かけやがって」
「ごめんなさい、王様」
「王様待たせるとかまじ、刑罰ものだから」
「は、反省してま、」
「許さん」
「………すみません」
「……事故に遭ったのかな、とか、悪いやつにからまれてんのかな、とか、もしかしてどっかで苦しんでるのかなとかずっと、そんなことばっか考えてた。心配損。どこさわっても全身健康体。連絡つかないまま待たされる身にもなってみろばか。へらへら現われやがってばか。俺の心配返せよ泣き虫椿。……どんなに心配したのか、大介がほんとにわかってくれるまではとりあえず許さん」

オレのお腹に頭を擦り付けてそう言った。持田さんは、一息で、そう言った。まさかさっきの全部、健康チェックだったんですか。握られた手が、びっくりするほど小さかった。こどもみたいだ。どうしょうもない焦燥感や後悔と一緒に、愛おしさが溢れ返ってくる。いつもは強くて逞しくて頼もしい大きな手と体。それがいま、たちまちひどく小さくて儚いものにすり替わってしまっていた。

(…あ、)

それで、ふとある記憶が蘇えった。




『…無いよ、そんなこと』



『え、そんなはくじょ、』
『うるさい泣き虫』
『あっ、すみません』
『…あのね、俺にだって「カナシイ」とか「サビシイ」って気持ちはあるの。ただ、涙が出ないだけ』
『…なんでですか?』
『そこ根拠訊くの?……まあ、強いて言うなら、本気でそう思ってないからじゃない?』


持田さんは無邪気に笑って言った。

それは、とある質問の回答。



『持田さん、最近いつ泣きました?』

それを、鼻をすすって映画を観ながら、持田さんに問いかけた。休日の昼下がり。話題の泣ける映画は予想を裏切らない。オレの涙腺は緩みっぱなしで、大変な大洪水が起きていた。持田さんは涙でぐちゃぐちゃのそんなオレを楽しそうに眺めながら言う。

『無いよ、』と。

それがあまりにもあっけらかんとしていて、持田さんらしいなあ、と素直にそう思った。むしろ、あまりにも清々しいから感心してしまったくらいで。実際、泣いている持田さんなんて見たこともなかったし、想像もできなかった。

薄情だなぁ、なんて冗談交じりな感想を思わず口に出してしまう。
本当は内心、なんだか寂しいなあ、と思っていた。それを言ったらだめな気がした。別に彼を否定したいんじゃなかった。凶弾したら、ホントに持田さんの涙が止まってしまうと思った。それは、だめ。
持田さんに心が無いわけがない。それはオレが一番よく知っている。勝手にオレが、寂しいと思ったのはたぶん、単なるヤキモチ。オレのためにも泣いてくれないんですか。オレのこと好きじゃないんですか。そんなくだらないことを考えていた。
ううん、そんなはずないのに。

ただ、涙が出ないなんてことが純粋に不思議だった。
持田さんのメンタルが強いのか、もっと違う場所に原因があるのか、泣き虫の自分にはとても分からない。だってすぐに、泣けてくるんだから。悲しいものは総じて悲しい。従って彼の言う、悲しいこと、が想像つかなかった。

そしてまさか、その『初めて』が、『オレが居ないこと』だなんて、思いもしないじゃないですか。あなたの十年ものの記録を、つまらない遅刻なんかで破ってしまった。ほんとに、ただの遅刻なんかで!
ああどうしよう。なんだか死ぬほど、このまま死んでも構わないほど(死んだらダメだ、持田さんが拗ねるから)幸せだ。持田さんがすきだ。だいすき。


「…椿くん、日頃の行いが良すぎるせいで、五分だって心配になるんだからね。…今度からたまには、時間ぎりぎりに来るといいよ」
「……あの、」
「…なに」
「心配…してくださって、ありがとうございます……ごめんなさい」
「…王様は臣民を大事にするものなの」
「…マシュマロ、オレにくれるつもりだったんですか?」
「…もうあげない」
「……」
「…おいこらにやにやすんな」



あ、スリーアウト。



だってオレ、こんなにもあいされてる!











「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -