灯台から月までの記録




「…水、牛乳、卵…あと野菜が少しある…」


午前2時。土曜日と言うよりはもう日曜日の朝。外はまだ真っ暗いし、喧騒と呼ぶような音もない。忙しい日本人が活動を停止する休憩時間。只今の明かりはリビングのテレビのみ。音は、テンションの高い通販番組の外国人の流暢な日本語。アフレコだけど。
耳の裏でその声がいつまでも煩く響くもんだから、そんなもんいつ使うんだよと、用途不明の健康器具に文句を言ってみた。すると、チャンネルが変わったのか、今度は旅番組のリポーターが喋り始める。あ、聞こえたかな。

暗闇でテレビの照明がちかちかと目に痛い。俺はその光を頼りに1枚のメモを読み上げた。



『冷蔵庫の開け閉めの回数をひかえましょう。』



「……」


最近になって、その約束の下に、もうひとつ規則が追加された。



『1回に要する開放時間はなるべく抑えましょう。』



「…真面目だなぁ」


この紙切れのせいで俺は、毎日冷蔵庫のトビラの前で延々中身を暗唱させられる羽目になっている。
冷蔵庫にあんまり紙とかプリントとか張っちゃダメだって、いつかテレビで聞いたことがある。まあ俺は風水とか気にしないからいいんだけど、東京Vの王様としては、どうなんだろうね。家庭的な王様とか、迫力なくない?
ていうか1度もう、シロさんに見られた。やたら褒められたけど。いやいや、そこは爆笑じゃないスか。そう思ったけど、どうやらこれは正しいことらしい。だから現在もメモが冷蔵庫のトビラのセンターを陣取っていて、今日も俺は、しぶしぶ規則に従わされる。


「もちださぁん、映画観ませんか?」


いつのまにか消えたテレビ音。代わりに、ぺたぺたと覚束ない足どりで、貼り紙の元凶がやって来てそう言った。

「…椿くん、冷蔵庫の中身覚えてる?」
「…えーっと…あ、卵が、ありましたねえ。それから、うがい薬入ってましたー」
「…ねー椿くん緊急事態だよ。明日の朝ごはん無いけどどうしよう?」

チューハイ2本でへべれけの、俺のお嫁さんが、俺の隣にしゃがみこんで言う。

「…オレ、よっつ、しらたまぜんざい入ってるの見ました…」

トビラを指でつついて、デザートの存在を示す。あ、椿くん爪伸びてる。
暗闇でもわかるくらいに顔を真っ赤に染めていて、目は今にも寝てしまいそうなくらいにまぶたが重そう。椿くんてまつげ長いからきっと、人一倍まぶたに負担が掛かるんだろうね。

「…4つ?」
「えーっとですねぇ、…抹茶とふつうのと、2つずつありましたよ。たべていいのかなぁって、どっちがいいかなぁってかんがえましてねぇ、けっきょくきまりませんでした。持田さんは、どっちもすきなんですよね?」

なぜか楽しそうに笑いながら、椿くんは俺に同意を求めてくる。今分かったことといえば、ただ冷蔵庫の中にぜんざいがいくつも入ってるってことくらい。それを褒めてほしいのか、椿くんは頭を差し出してくる。仕方がないから撫でてあげると、嬉しそうに頭を下げた。

「これ、持田さんが書いたんですか」
「…違うよ」
「そうですかー」
「知らない?」

椿くんの反応は薄い。しばらく眺めたあと、むくりと立ち上がって言った。

「そんなことより、映画観ませんか?」
「…またジブリでも観るの?」
「だってあのテレビ、こわいです持田さん」

椿くんが指差す先には、なないろの無音のテレビ画面。おそらく深夜だし、番組がなくてあれに切り替わったのだろう。

「あれはなにものですか」
「文明発展の行く末だよ」
「じゃあすなあらしはどこにいったんですか持田さん」
「地デジの鹿が連れてっちゃったんだろうねぇ」
「そんなあ」

張り紙をするような真面目な彼の面影は見当たらない。いつも以上に不思議な子に変わった酔っぱらい椿くんは、たちまち「何これ星の王子」に変身する。まるで子どもみたいにあれ何これ何と質問攻めを始める。
これで可愛さがなければきっともう、放っておいて俺は寝ちゃう。だけど、かまってほしくて仕方ないらしい椿くんはやっぱりかわいいし面白い。この不思議な感性は、アルコールでもって引き出されるらしかった。
ただ困るのは、いつまでもぐずって寝ようとしないことだろうか。いつまでも俺と話したがる。ねえ椿くん、あんまし煽るのは止めて。夜中なんだしさ。

「その鹿は奈良のひとですか?」
「さぁ…。まあ、たぶん、奈良のゆるいキャラとは別モノだと思うけどね」
「持田さんは物知りですねえ」

あと、あんまり何でも俺に訊かないで。俺、物知りでもなんでもないしね。
椿くんはひとり納得したように頷いて、じゃあ映画を観ましょう、と再び催促してくる。

「めいちゃんとさつきちゃんのがいいです」
「…えー俺、オオトリサマが出るやつが観たいなぁ。ほら、銭湯のやつ」
「あれは前回観ましたよー」
「何回観てもいいじゃん、あれ」
「だめです。泣いちゃうので」
「椿くんのだって泣くじゃん。トウモロコシのシーンでさ」
「ないてません」

冷蔵庫の前に鎮座していた俺を引きずって、椿くんはリビングへと向かう。

「泣いたらダメなの?」
「泣きたくない気分です」
「どうせ途中で寝るくせに?」
「夢みたんです、昨日」
「…うん?」
「持田さんに、5回フラれる夢」
「ちょっ、」
「だから今、もう泣きたくない気分です」
「……なんかごめんね、」
「へいきです」
「あとでその『持田さん』を5回殴っとくから許して」

仕方なく素直についていってソファに座る。もう、明日の朝ごはんはデザートだけでいいや。
ひとの心配も余所に、椿くんはテレビデッキをリモコンでいじり始めていた。案外けろりとしてる。あれ、俺5発なんかで許してもらえたのかな。よく分かんないけど、夢の中の俺はたいそう悪役なんだねえ。
ていうか椿くんの中で、俺ってどうなってんの。俺、すごく椿くんのこと好きなつもりなんだけど。

肝心の椿くんはというと、酔っぱらって焦点が合わないのか、なかなかボタンが押せずにうにゃうにゃしている。そうしてすぐに、できないと悟ったのか止めてしまった。

「…映画はあきらめます」
「じゃあどうするの」
「……」

俺に頼めば映画くらいつけてあげるのにな。少々意地っ張りなのは素面と一緒なんだね、椿くんて。
しばらくきょろきょろしたあと、椿くんはあくびをしながら呟いた。

「おふろ、入らなきゃ」
「…さっき入ったの見たよ、俺。ていうか、溺死するよ、今入ったりしたら」
「じゃあ持田さんと入ります」
「……襲っちゃうかもね、俺」
「それは、どうぞ、」
「…あー…」

普段そんなこと、言わないくせに。なんだか、どうしようもない何かが込み上げてきて、思わず椿くんをぎゅってした。椿くんはふふふなんて笑ってる。ああもう、呑気なもんだな。今俺がどんな気持ちかなんてきっと、知るわけもないよね、きみ。

「…きみはどうして朝になると何これ星に帰ってっちゃうの」

ため息を椿くんの耳に吹きかけた。くすぐったそうに椿くんが身をよじる。

「…だって持田さん、オレ地球生まれです」
「まぁ、そうだけど」

椿くんの手を引いて、ベッドルームへと向かう。椿くんはおとなしく俺に従ってついてくる。椿くん、いまなにかんがえてる?

「今日はもう遅いから、寝よ」

シーツを捲り上げて、椿くんを呼んだ。椿くんは不思議そうなかおして立ち尽くしている。

「…しないんですか、」
「しないよ。だって椿くん、いつもなんにも覚えてないなんて言うから」
「それ、だれですか」
「きみの知らない椿くん」
「へぇー」
「…俺は二人とも顔見知りなんだけどなぁ」
「椿くん、は、ひとりです」
「…そうだね」
「……かなしい、ですか」
「うん…そんで寂しい」

椿くんはなるほど、と呟いたきり、何も言わなくなった。しばらくじっと俺の目を見たあと、小さく、ごめんなさい、と言う。

「かなしませてごめんなさい、」
「うん?」
「オレ、持田さんのことすきですから、」
「しってる」
「持田さん、」
「なに?」
「『何これ星』って、なんですか?」
「…まさに今のきみのことを指して言うんだよ」
「なるほどー」

のそのそもぐり込んで、椿くんがシーツを体に巻きながら、俺にすり寄る。猫みたいに温かい身体をしてるから、問答無用で抱き枕の刑に処してみた。

「ね、椿くん」
「…はい?」
「昨日の朝、なに食べたっけ…」
「オレ、朝も持田さんと居たんですか?」
「いたよ、ずっと」
「…へー」
「先週の土曜の夜、何観たっけ」
「魔女の宅急便です」
「…忘れてないね」
「忘れないですよ」
「…わすれないでね」
「もちろん」
「あと、俺以外のまえでそんな簡単にどうぞってしないでね」
「しませんよ、ぜったい」

思いの外、強い口振りの返答。
あ、そう。しないの。ならいいけど。

「オレねます。おやすみなさい」

俺をほおって置いて、さっさと眠りにつく椿くん。俺の心配事とかそういうもの全て無かったように、星に持って帰っちゃう強引なお別れ。喜べばいいのか、悲しめばいいのか。まあ、また会おうと思えば会えるけど、朝のきみはもう別人だし。覚えてないって言うし。
かぐや姫だってもっと別れを惜しんでたよ。ねえちょっと。俺ばっかりやだよ、椿くん。


「置いてけぼりとかまじうける」
「ここにいますよ、」
「…しかもまだ起きてるし」
「おやすみなさい」
「…うん、おやすみ」


俺ね、きみにはぜんぶのこと覚えててほしいなぁと思うわけ。俺は2倍、椿くんは半分。思い出の積量に差があるとね、パンクしちゃうんだ、俺。寂しいものばかり、積んじゃいそう。いくら夜明けまでぐずったって、君が寝なかったことなんて一度だって無いじゃん。こうしてる間に、聞こえてくるのはいとしい彼の寝息。


「…おきろーわすれんなー」


(ああサヨナラうらめしくていとおしい俺の、)








「…あ、おはようございます。朝ごはん出来てますけど、食べますか?」
「…ぜんざい?」
「えっ、ぜんざいは…確かにありますけど…え、違いますよ?ちゃんと作りました。…オレ、ぜんざい買ったこと、言いました?」

「…ねえ椿くん、昨日なに観たいって言ってたっけ」
「…え…オレ、すぐに寝ませんでしたか?」
「……わあい、椿くんだー」
「…え…はい?」






(そして嗚呼おはよう俺のだいすきな椿くん!)




これじゃあ俺、まるでふたり同時に恋してるような気分だ。



title by 泳兵







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